テーマ | 伊賀の寺社建築 |
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見どころ・解説 | 常住寺は上野城を東に望む眺望のよい丘陵にあります。かつて「琰王寺」と呼ばれた当寺は藤堂家との関わりが深く、藤堂高虎の妻松寿院の2基の供養塔があります。 常住寺の閻魔堂は、慶長7年(1602)に筒井定次が母の三十三回忌の際に建立したものを、万治3年(1660)に藤堂藩の2代藩主藤堂高次が母松寿院の十三回忌に合わせ再建したものです。桁行3間、梁間3間の入母屋造、平入り、本瓦葺きで、正面に向拝を付け、四周に縁を廻らしています。正面の中央は双折桟唐戸に引違障子を入れ、両脇間と両側面の前から1間は蔀戸となっていて、両側面の後ろから1間は板壁となっています。柱上の組物は出三斗、中備は蟇股で、軒は二軒繁垂木です。向拝は柱間の虹梁をわたして端部に獏の丸彫木鼻を出して、柱上に連三斗を載せています。 堂内は、前1間を外陣、奥2間を内陣とし、その間は格子戸で仕切り、外陣は畳敷き棹天井、内陣は畳敷き格天井となっています。内陣中央の須弥壇には、奥・中・外の入れ子の木造厨子があり、中央に木造閻魔坐像が安置されています。この閻魔王像は、広く人びとの信仰を集めていたようで、天正20年(1592)に奈良元興寺で、近世には江戸でも開帳されました。 |
所在地 (クリックすると地図表示) | 上野エリア 常住寺 |
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