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目録ID mp002930-100030
タイトル 阿山郡長田村 常住寺 全景
タイトル(カナ) アヤマグンナガタムラ ジョウジュウジ ゼンケイ
タイトル(ローマ字) Ayamagun Nagatamura Jojuji zenkei
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者 常住寺
作成者(カナ) ジョウジュウジ
作成者(ローマ字)
出版・製作者
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年 昭和初期
製作年終
数量 1枚
形状 絵葉書
大きさ
大きさ(縦) 9.1cm
大きさ(横) 14.1cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 長田
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体 常住寺/十王寺/筒井定次/藤堂高次/藤堂高久
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 常住寺は、かつては十王寺とも呼ばれた天台宗の寺院で、伊賀盆地の中央部を見下ろす長田の丘陵に位置する。天正伊賀の乱で焼失したが、伊賀国を統治した筒井定次が慶長7年(1602)に亡母三十三回忌追善として十王堂を造営、万治3年(1660)には藤堂藩2代藩主高次が亡母十三回忌追善として同地に閻魔堂を再興した。また、元禄16年(1703)には藤堂藩3代藩主高久が、自らの遺命により当寺の裏山に葬られている。この高久の墓所は「長田御山」と呼ばれ、江戸時代には藩主や藩士が折にふれて参拝している。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 伊賀市
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 静止画
資料種別
資料分類(大分類) 郷土資料-絵葉書
資料分類(中分類) 絵はがき
資料分類(小分類)
文化財情報
manifest.jsonへのURL
参照データ
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自治体史掲載 『伊賀市史』第1巻888p/『伊賀市史』第2巻578~580・587~588p/『伊賀市史』第4巻830~833・968p/『伊賀市史』第5巻口絵・915~916p/『上野市史』文化財編口絵・442~445p
出版物・関連資料 『定本 伊賀百寺』口絵・58~59p
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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