テーマ | 伊賀の寺社建築 |
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見どころ・解説 | 新大仏寺は、源平の争乱で焼失した東大寺を復興した俊乗坊重源が、東大寺復興のために全国7カ所に設けた別所の一つ、伊賀別所を起源とする古刹です。 大仏殿は中世末期の戦乱で焼失したものを、享保12年(1727)に当寺の住職陶瑩が藤堂藩に再興を願い出て、元文4年(1739)に宝梁和尚が再建に着手、延享5年(1748)に上棟を迎えました。大仏殿の構造は、木造入母屋造の妻入りで入口に唐破風が付きます。かつては檜皮葺きでしたが、現在は鉄板が張られています。桁行4間、梁間3間で、正面の中央間は格子障子の4枚引戸、両脇には火灯窓があり、虹梁上にも仏顔を拝めるよう板扉が付いた火灯窓があります。側面は、前1間と後1間に火灯窓があり、前2間の箇所に格子障子の4枚引戸が設けられています。円柱の柱上組物は出三斗、頭貫の木鼻は絵様、屋根は二軒繁垂木の格調高い建物です。 大仏殿に隣接してある上人堂は、俊乗上人を祀る堂舎で、寛永9年(1632)に当寺に雨乞い祈願をした藤堂藩の2代藩主藤堂高次が祈願成就の礼として寄進したとされます。桁行3間、梁間3間入母屋造、平入り、桟瓦葺きの堂舎です。蟇股の彫刻や出三斗の柱上組物や火灯窓など、近世建築の特徴をみることができます。 |
所在地 (クリックすると地図表示) | 大山田エリア 新大仏寺 |
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