解題・説明
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中島徳松が大正4年(1915)に大徳炭鉱の経営に着手、大正7年に中島鉱業を設立しました。昭和4年(1929)に三菱鉱業に譲渡、飯塚鉱業と改称し、昭和11年(1936)に三菱鉱業と合併して三菱飯塚炭礦として発足しました。 最盛期は従業員4200人、年間70万トンを生産しましたが、昭和36年(1961)閉山。第二会社で生産、5年後に坑口を閉鎖しました。 この巻き上げ機台座は大正時代に煉瓦で建設されたもので、第二坑の本卸と連卸の2本の斜坑で、本卸が入気・石炭運搬とし、連卸の排気・人車運搬に使用されました。
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