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目録ID mp090020-202209
文書名 知行宛行状
文書名(カナ) ちぎょうあてがいじょう
文書名(ローマ字)
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者 (黒田)長政(黒印)
差出・作成者(カナ) くろだながまさ
差出・作成者(ローマ字)
宛所 百冨弥三次
宛所(カナ) ももどみやさんじ
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 慶長7年(1602)12月23日
作成年終
数量
形状
寸法
寸法(縦)
寸法(横)
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 慶長7年(1602)年12月23日、御牧郡広渡村(現、遠賀郡遠賀町広渡)のうち黒田長政より600石の地を宛行われたことがわかる。
元来は折紙の形態であったが、昭和58年(1983)10月28日以降、巻子装に仕立てた際に余白部分を切り除いている。
弥三次の家譜によれば、息子・太郎兵衛が内野太郎左衛門(内野宿代官)の妹を嫁に迎えている。その後の代では、内野村の庄屋や内野宿町茶屋守などを務めた。

【翻刻(ほんこく)*】
為扶助於御牧郡
広渡村之内六百石
之地宛行畢全
可令領知者也

慶長七年
 拾二月廿三日 長政(黒印)
         百冨弥三次
*古い時代の文字を読み取り、活字化(テキスト化)すること
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 飯塚市歴史資料館
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 古文書
資料種別 古文書
資料分類(大分類) 古文書(近世)
資料分類(中分類)
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自治体史掲載
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