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解題・説明
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内野太郎左衛門重信は、はじめ大庭彦次郎といい、黒田長政が筑前入国の際に、烏尾峠で出迎え、馬一頭を献上し、備前兼房の刀を賜り、名島城までお供しました。さらに慶長12年(1607)12月28日、父重保の80石に20石の加増を加えて100石の知行を宛行われました(=当知行宛行状)。宛所は内野村庄屋彦次郎とあり、この時に地名を姓として内野太郎左衛門の名を賜り、代官ならびに狩奉行を命じられ、犬数匹を預けられました。 しかし、常に福岡に召し出されて近習の勤めを果たしました。 その後、8代目内野太郎左衛門荘(号元華)は『済民草書』を著し、農政の要諦をまとめた。9代目・10代目では町奉行助や勘定奉行などを務めました。
【翻刻(ほんこく)*】 為扶持於穂波郡 内野村之内百石之 地宛行畢、令 可知行者也
慶長拾貮年 十二月廿八日長政(花押)
穂波郡内野村庄屋 彦次郎
*古い時代の文字を読み取り、活字化(テキスト化)すること
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