解題・説明
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市制を施行した昭和7年(1932)は不景気のために、人口は前年よりも減少したが、昭和8年(1933)には「人口、戸数は後半期ヨリ炭況ノ好転ニ伴ヒ漸次増加ノ趨勢ヲ示スニ至レリ」と、好況期を迎える。 昭和8年には、4年前から着工されていた県道工事が一部完成して市街地を一変させた。この県道工事は福岡―行橋線、飯塚―久留米線、飯塚―停車場線、飯塚―大隈線の4線をさす。 このうち、飯塚―久留米線は新たに市中心部を南北に貫通するものであった。昭和7年(1932)3月に飯塚橋が竣工し、翌年には飯塚駅前より市内部分が完成して「昭和通り」と名付けられ、市内でも最も大きな道路となり、交通要地としての飯塚の発展のためにその役割を果たした。 写真の左奥の高い看板は井筒屋とみられる。
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