解題・説明
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近代以降、筑豊は石炭産業で発展したが、エネルギー転換等により石炭の需要低下にともない、旧産炭地振興が急務となった。昭和33年(1958)から昭和35年(1960)にかけての旱魃時など、農業必要水量の50%も不足した状況であった。炭坑跡地への工場誘致のための工場団地あるいは住宅団地の造成、さらに農業振興等に水資源確保は絶対的要素であった。 県営灌漑排水事業の一環として、久保白ダムの建設が計画された。昭和42年(1967)に着工し、昭和46年(1971)に完成。 ダムの建設に際し、家屋12戸・神社2社・宅地3,349坪、田172.2反、畑52.5反、山林501.7反、原野3.1反、墓地2.5反、神社地948坪が水没した。 直接流量が少ないため、内住川上流の黒石に堰を設け、導水路で取水する。 飯塚市と桂川町にまたがる水田と果樹園の農業用水、上水道、工業用水の確保を目的とする。
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