解題・説明
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明治43年(1910)、三菱鯰田一坑より五坑までの8.3キロメートルにわたり運炭電車路が敷設され、炭車や人車が往来した。大正14年(1925)この沿線の大坪に三菱鯰田六坑が開坑した。開坑に伴い、採炭施設とともに、事務所・鉱員社宅・職員社宅・集会所(協和会館)・分配所(購買会)・共同浴場・病院医局などが建築整備され、炭坑で働く人々が集まった。 元来、栄町は地理的に近隣の集落の中心に位置し、上三緒とは郡道で結ばれた交通の要地であった。一面の農地は炭坑用地として、また商店建築用地として埋め立てられ宅地化された。 昭和2年(1927)、行政上も綱分区より分離して栄町区となった。綱分より上三緒に通じる郡道は、安丸の中小路を通っていた。途中に峠があり、ここに峠の茶店兼雑貨屋があった。この店が栄町に移転したのが栄町商店街の第一号店舗である。 栄町が最も盛んなときは、三軒あった料理屋は毎日酔客でにぎわった。店主は早朝から、タイヤ付荷車をロバにつけ、自ら御して野菜や果物、菓子などを飯塚の青果市場に仕入れに行った。
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