解題・説明
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冷水峠は九州の箱根といわれ、2里20町(約10キロ)の天険は長崎街道最大の難所であった。慶長17年(1612)に冷水峠の開削・開通に伴い、内野宿は宿駅として起宿、町建てされ、開設されたと考えられる。黒田長政の命で、毛利但馬(母里太兵衛)が冷水峠の開削・内野宿の建設を担当した。その後、土豪・内野太郎左衛門(重信)が代官としてその任にあたった。 江戸時代には参勤交代やオランダ商館長、長崎奉行、幕府高官等の往来など交通が頻繁に行われていた。シーボルト、吉田松陰、伊能忠敬など、多くの人々や、将軍徳川吉宗への献上象などもこの峠を通ったとされており、歴史を感じる事のできる場所である。 筑紫野市山家から冷水峠を越えて内野に至る区間は、「平成8年文化庁の歴史の道百選」に選定された。
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