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目録ID mp9200070-400010
タイトル 長崎街道の冷水峠
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タイトル関連
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製作年 昭和
製作年終
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言語 日本語
ISBN
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主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 旧市町村名:筑穂/大字等:内野
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容 風景・街並み/交通
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 冷水峠は九州の箱根といわれ、2里20町(約10キロ)の天険は長崎街道最大の難所であった。慶長17年(1612)に冷水峠の開削・開通に伴い、内野宿は宿駅として起宿、町建てされ、開設されたと考えられる。黒田長政の命で、毛利但馬(母里太兵衛)が冷水峠の開削・内野宿の建設を担当した。その後、土豪・内野太郎左衛門(重信)が代官としてその任にあたった。
江戸時代には参勤交代やオランダ商館長、長崎奉行、幕府高官等の往来など交通が頻繁に行われていた。シーボルト、吉田松陰、伊能忠敬など、多くの人々や、将軍徳川吉宗への献上象などもこの峠を通ったとされており、歴史を感じる事のできる場所である。
筑紫野市山家から冷水峠を越えて内野に至る区間は、「平成8年文化庁の歴史の道百選」に選定された。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 飯塚市歴史資料館
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 静止画
資料種別 古写真
資料分類(大分類) その他(筑穂額入り)写真-ブラ炭都
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
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自治体史掲載
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翻訳元の言語
権利関係・利用条件 CC BY-NC(表示-非営利)
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