解題・説明
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年代:明治八(1875)年 大きさ:109×155 銘文:奉献/明治八歳/亥九月/小山嘉名治/柿原又市/井原喜五郎/玉仙(印)【銘文:『しまなみ水軍浪漫のみち文化財調査報告書-美術工芸品編-』愛媛県教育委員会文化財保護課編集 愛媛県教育委員会発行 平成十四年三月】 山本玉仙(英):玉英は天保十二年九月十五日に雲溪の末女として生まれ、名を節といった。清月亭、清月園を号とし、父に画法を学んで画技に長じ、明治四十年六十七才で没した。画は親しく父の指導を受け、生花は父及兄の松柏に習い、茶道は丹下喜太夫に就て、石州流を学び、生花は青山流であって其技妙絶、慶応元年(二十八才)召されて藩主久松定弘に生花を教授した程である。明治三十年十二月、其家元より、青山御流生花大日本総会頭たるの允可を受けた。明治三十年九月、図画教師として県立今治高等女学校に聘せられ、数年其職を奉じた。玉英は今治の人佐伯惟政(神職)に嫁し、二男を挙げたが、後故あって実家に帰り、再び山本氏を冒した。初め、天保山墓地に葬ったが、後改葬して、今治市営大谷墓地に移した。 参考文献:【「今治地方の絵馬」矢野徹志著『今治史談 昭和52年10月2日』今治史談会発行】【『政治経済と教育 資料集 近・現代Ⅰ 今治郷土史 第六巻』今治郷土史編さん委員会編 今治市役所発行 平成2年】【『絵馬より見た今治藩絵師山本雲溪』近藤福太郎編 大西史談会発行 1998年】【『小児科の名医猿画の大家 山本雲溪』秋山英一著 「雲溪伝」刊行会 昭和36年】 鳥生三島神社:今治市祇園町1丁目1番63号
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