解題・説明
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「宮川の渡しは参宮街道の一部として京・東国から参宮街道を通る者は小俣の下の渡し(桜の渡し)・大和・紀州より初瀬(伊勢本)街道を通る者は川端の上の渡し(柳の渡し)を利用した。 江戸時代・元文年(1736~1741)の始め、中洲ができたため、出水には一度で良いが常水では二度渡しとなり、中洲を間に山田側は大渡し、小俣側は小渡しとなった。 小俣村では小渡しを板橋にし番所を設け、紀州・鳥羽両領小俣村の管理として通行銭を取った。」(小俣町史,p162)/※元文年については、所功編『日本年号史大辞典』雄山閣.を参照
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