|
備考
|
原装共紙表紙に丁子色覆表紙を付す。料紙薄様(全丁間紙入り)。○巻頭に中川家代々の真蹟類写あり、内容は①中川清秀書簡、②中川秀政書簡、③中川秀成筆古歌短冊、④中川久盛書簡、⑤中川久清書簡、⑥中川久恒筆古歌色紙、⑦中川久通書簡、⑧中川久忠筆漢詩句で、末に添え状の写しあり、全文「中川家御代々御筆物相伝之由来/今百五十年之前天和之頃先祖藤兵衛君〈幻間大居士〉右御代々之御真蹟をそろへ懸物に表装して家に伝へんと松径院様(中川秀政)碧雲寺様(中川秀成)法台院様(中川久盛)宝厳院様(中川久清)宝浄院様(中川久恒)天真院様(中川久通)右御六代之御筆物はそろひたりしに御大祖浄光院様(中川清秀)之御真蹟其頃御家中いつ方にも無之処今の塩山作衣紋正経か同姓加兵衛か家に其祖父の作右衛門正通へ下されし御自筆之御書一通相残りありしを藤兵衛君より加兵衛に所望して則一紙に表装して伝来也/〈右塩山加兵衛といふは今の作右衛門同姓の本家にて禄三百五十石格番手鉄炮頭なり天和二年八月十五日隠居せしに同年十一月家督の角兵衛次男七左衛門一同に御暇にて此表を立退家筋断絶す今の作右衛門家は作右衛門正通か嫡子権左衛門正次か弟同姓五郎左衛門正法慶長の初メ碧雲寺様御代別知に召出されし末家也〉/右之通り中川家御統之御七代之御真蹟懸物伝来有之訳先祖伊織君〈睡也居士〉より通玄院様(中川久忠)に申上に而御筆物御覧被遊其節」陶渕明之詩句御染筆に而伊織君へ下され又懸物に張そへ古田家之重器として代々の珍蔵にて諦考院様(中川久貞)厳祗院様(中川久持)太玄院様(中川久貴)入御覧たる先例にて近年当殿様にも入御覧也右之次第無忘却申伝へ子々孫々長久に疎略之事堅有之間敷もの也/天保三年壬辰二月 淵黙翁広計(花押)/勘解由重功殿/右馬允重剛殿」。淵黙翁は歌人で岡藩士の古田広計。○朝鮮より中川秀政が夫人に宛てた書簡あり、文中に「…こてうなに事なく候やうけ給たく思ひまいらせ候/一はなたかくなり候や/一みゝのなりよくなり候や/一われわれににて候や/一ものおゆい候や/一たち候や/よくうけ給たく思ひまいらせ候」。
|