成立
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見返に朱書譲渡識語「此書は実の草稿にてさらに人に見すへきものにはあらぬを君ははやく箱のそこまてもさくりて見給ひしかは今更つゝみかくすとも詮なく候歟追々の御懇望に付則此節ゆつりまつり候ゆめゆめ人に見せ給ふな君此中より入用の事のみ抜出一冊をつゝりて初心の人の一助にもなし給ふへし 広足/大滋ぬし」。奥書「右は或人の追々被問候にあらまし答候趣に候めつらしからぬ事ともに候へとも子供の為にも成申へきやと書留置候也/天保三年正月 橿園」(文末の「也」を朱書見せ消ち「△」を傍記、頭書に朱書「△扨右書中に自然といひ無為と云事もと此方の神道の上には申へき事にてはなく候へとも人の心得やすからんか為に暫其名目を借て申まてにて実は此方のは神随(カンナカラ)なる道と申物に候それは本居翁著述の書を熟覧致候へは彼老子か云自然とは又異なる所も相分候也」)。大滋は筑後の人で中島広足門の国学者、船曳大滋(弘化4年没、29歳)。
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