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函番号(資料番号) 121-71
旧書名 亀山鈔
旧書名ヨミ
旧書名(ローマ字)
数量 2
単位
書名 亀山鈔
書名ヨミ キザンショウ
書名(ローマ字)
書名(欧文)
書名の備考 乾巻の原題簽存(左肩無辺)。
版写
特殊装丁
書型
存欠 全2巻
原装・改装 原装
合冊
丁数 72
寸法 25.9/18.7
寸法(縦)
寸法(横)
材質
形態に関する注記
編著者 森春樹
編著者ヨミ モリハルキ
編著者(ローマ字)
成立 文政13年10月、隈市人森春樹自序。上巻末に書写識語「明治紀元冬十一月望後一日写於南豊日田市山亭寓居/莵陜 漆嶋宿祢並継」。書写者は奥並継。宇佐八幡宮祠官。神祇少史。平田銕胤門。明治27年没71歳。
成立西暦 1868
成立推定
刷り書写の態様
内容 豊後国日田郡の歴史考証書。上代の制度一般の概論より説き起こし、地名考証、社寺沿革、名所旧跡、伝説口碑、学問文学藝能、人物逸話等多岐に渉る。諸書に見える記事や諸家の言説を引き、随筆風に記述する。漢字かな交じり。各巻の見出し、乾之巻:比多国日田郡となれる事、豊後国風土記の事、国造と国司の差別并郡司の事、郡司を検校といひ長者といひし事、邑阿自か事、郡を立し事、県の事、郷荘の差別、国司四役の人の私の田地有し事、郡司も私の田地有し事、古への田地の事、官を売る事、郡郷字の事、大蔵朝臣姓の事、俗名の事、大原八幡宮の御事、大原の社司公則の事、大原社大宮司の事、石井大明神は西宮高明公ならぬ事、石井神人桜木亜相の事、大原山神宮寺の事、羽野村菅相寺の事、五馬社の事、肥田八郎宗直鎌倉にて鞠の事、日田綽阿か事并聖光上人日田に来られし事、日田家紋の事、鬼田与三手取与二か事、西征将軍宮御墓の事、菊池か墓の事、足利時代日田鍛冶の事、韓長老墓の事、古き年号を存る物の類、和泉式部塔虎御前塔の事、不知由縁してよし有けなる名、廃寺、伏木竈の事、烽の事、豊臣秀次朝臣秀頼の二公日田通行の事、小河久作か事、豊西記の事、筑後生葉郡隈上山北二村日田大蔵氏の事、坤之巻:日の隈城の事并町河、隈河白斑亀の事、日ノ隈山古今不同の事、日田の町は田嶋に在し由来、郡中古今相違有物の事、鎌手村出口村簗場公事の事、日田儒学の事、画、和歌、狂歌、俳諧、蹴鞠、立花挿花、香、煎茶、点茶、碁、日田年魚の味日本一の事並に字の論、日田地脈の事。著者は日田の人。荒木田久老門(書中に「我師荒木田久老神主」とあり)。天保5年8月30日没64歳。自序によれば、寛政初年、豊後岡藩主中川君の儒医唐橋世済翁より、豊後国志を編纂したいので日田・玖珠二郡の古事古跡のうち風土記に載せないものを記すよう依頼され、豊西記日田志等に洩れたものを記して贈った。それ以来自分でも当地の地誌を編もうと思い立ち、多病の身を押して『造領記』1巻、『亀山鈔』1巻を編み、長瀬真幸に遣わしたところ、序文を付けて返された。その後、渡辺重名が同書を持ち帰ったが、その蔵書とともに門人に盗まれたと言って返さなかった。手元の稿本も人に貸して失い、多くの星霜を経た。この度大原八幡宮の宝庫に『大日本史』数百巻を奉納するため、校訂書写を自分と家弟永昇とに依頼されて成就した。そこで2書編纂に再び取り組み、完成させたもの。
内容(カナ)
内容(ローマ字)
旧蔵印識語 印記「宇佐宮奥氏章」(朱双辺枠方印)。
備考 代赭色表紙。『阿蘇宮由来抜書・阿蘇宮記・下野狩抜書』(121-69)と同装丁。○乾巻「画」の条、「貞享天和の頃豆田の俳人中村西国狩野派の画を能せり此翁の大原社神殿の後の板壁に雲龍有て甚善かりしを此画寛政中社再興の時取除て今はなし…」。「俳諧」の条、「早く天和以前より貞享元録にいたりて豆田に中村西国有京の重頼大坂の梅翁宗因に学て世にしらる浪花の梅林軒風黒といふ俳人天和二年俳諧高名集を著したる自序に曰〈上略〉大はたぬき杳波を游き遠山を踏て尋慕千万を選て一国一人に賦六十有六人〈春樹曰必一国に一人を取にあらす六十六人を六十六国に宛たる也〉画図に一句を添是を師とし明とす云々下略此集中西国の句めけてのく枕は秋のしるし哉豊後中村西国と記せり西国の号は松葉軒落安舎卜幽等通称は嶋屋勝兵衛諸藝堪能の人にて書は定家様画は狩野家にて設色を能す又細工を能し舒竹に妙を得たり是は竹を皮なからのへて箱抔を造ていろ++彫物をす其餘浄瑠璃枕の藝等戯技多く松平大和守君こゝを領し給ひしゆかりに一年江戸に往て其邸にやとし置れて久しく居たり其間紀州君萩君其外諸大名に召れたり委は自筆の江戸の紀に見ゆ元録四年辛未年江戸にのほりし也或日露沾君に〈日向延岡内藤君也〉めされていまた御見え仕さりけれはと有て西国の句霜ふむやいつか二階の書の面主君御脇春まて遅し極月の梅沾徳第三鳥の寝松ともいはす売に来て以下未陌遠水沾荷か輩にて俳諧略す又駒角君〈但馬豊岡京極甲斐守君也〉にて百韻駒角君御句歯かためや巌をもとのさゝれ屑立鳳脇薺に見出す世の福寿草可雲第三市餝る隣の村を東風ふきて〈四五略〉西国六句目岸辺のうつり波のかけよむ七句目調和月の外涼しきものは何々そ〈以下略〉又二月十九日〈元禄五年なり〉露沾君御会にめされて/我としやけふも無事にて春の雨 〈大津尼〉知月/不断目ゆかし花園の湖 露沾君/巻かせぬる亭の蒋の戸霞て 西国/初に燕の巣をかけにけり 〈三河〉桃隣/飯時は子を呼にやる朝のほと 尺艸/湯船をつなく川きしのくま 未陌/名月に下踏はく音の気疎さよ 沾荷/うそ肌寒く髪の落ちる 〈大津〉乙州/朝皃の今朝姿見に這ひかゝり 其角/三弦かりにやるもかねこと 沾蓬/呑中の味くらからぬ夜のみつ 沾徳/爰に手をうつ国のおたやか 同/以下略其角も満巻まて有知月母子桃隣は蕉翁の門人なり此後も折々俳諧有元録五年正月九日大和守君の溜池の御屋敷にて薙髪して日の出てあたまの霞晴にけりと云句をせしかは大和守君より卜幽と名を賜しと也在江戸の間俳事の餘は諸大名方其外より願の細工或は浄瑠璃枕の藝にて所々に行たり元録五年十二月十六日江戸を辞して上方にのほりて国に帰れり此往返の時なるへし蕉翁を訪れしかとも其頃閉関の説を書て対客を辞せられし時にて逢はさりしとなり又一年浪華にて西鶴由平と三吟にて桜塚の西吟を執筆として三百韻をなして各百韻つゝ自筆に書たる大巻あり其序文は西鶴にて文に白梅は豊後と両陽の名木花の作意合して同し爰に阿らんた流のはや船をうかへ一日にこの三百韻硯の海静に名残の浦につきにけり迄さし合改る事におよはす心まかせの三吟是を俳諧の胴骨と名つけ侍るものならし延宝六年三月日と記西鶴句賦何絞俳諧/さくわけや難波について豊後梅/西国脇 三つの川口きいたうくひす/由平第三 樫の木に波の緒すけて霞来て/以下略此百韻則西鶴自筆次に賦何者西国の句喰た同士や田舎の〓{時の下に共}と桜鯛由平脇雲波霞ませこせの山西鶴第三抜書をさかせは春の海見えて下略其次は半幽軒由平句尋見ん西国案者花にさあ西鶴脇由平わたくし一度は藤波第三西国望所夫なり是なり春くれて各句者自筆いつれも美筆由平は光悦流の能書也此巻其外江戸の記西海記等小国の兵庫屋惣左衛門宅に蔵せり其故は西国一子を兵庫屋養子に遣しけれは自身も後其家にて終りしよし此惣左衛門予か家と年来懇意なれは予岡城往返にはかならす此家にやとりしかは西国の遺物委く見し也則ち惣左衛門は西国の曽孫也西国印行の書は千本鑓一巻奥書梅翁宗因花見数寄胴骨雲くらひ等なり此胴骨は京の長田長兵衛か古き書籍目録には西鶴か集と出たり(以下朱拙の詳しい記事あり)」。
保存状況種別
保存状況程度
所蔵機関 西尾市岩瀬文庫
資料種別 歴史 日本史
大分類 和書
和分類 歴史 日本史 雑史 地方 西海道附琉球
漢分類
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言語 日本語
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内容年
内容年終
原本の所在・史料群 西尾市岩瀬文庫
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自治体史掲載
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