函番号(資料番号)
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136-49
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旧書名
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想山著聞奇集
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旧書名ヨミ
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旧書名(ローマ字)
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数量
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5
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単位
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冊
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書名
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想山著聞奇集
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書名ヨミ
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ショウザンチョモンキシュウ
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書名(ローマ字)
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書名(欧文)
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書名の備考
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原題簽存(左肩双辺)。目録題同、ふりがな「しやうざんちよもんきしふ」。
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版写
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版
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特殊装丁
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書型
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大
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存欠
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全5巻
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原装・改装
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原装
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合冊
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丁数
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299
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寸法
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26.1/18.8
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寸法(縦)
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寸法(横)
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材質
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形態に関する注記
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編著者
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三好想山
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編著者ヨミ
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ミヨシショウザン
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編著者(ローマ字)
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成立
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嘉永2年嘉平月、方外子無党社主僧允(刻印「無党社主」「執中」)序。嘉永2年孟夏、佐々木庸綱(刻印「佐々木庸綱」「鷦鷯」)序。嘉永2年夏、想山斎主人凡例。嘉永3年孟春、青山直意附記(御蔭参りに関する奇事を5巻とし巻首に置く予定であったが、続刊に送る旨を記す)。嘉永3年孟春、江都鎮護山主蓮堂(刻印「蓮堂」「釈諶真」「字曰義海」)跋(苗木藩青山直意(刻印「静慮」「直意」)書)。青山直意(刻印「静慮」)跋。最終丁裏に刊記「青山直意蔵/(刻印「老少斎蔵板」)/津坂光霽書/早川可静刻/嘉永三年庚戌十一月刻成」。
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成立西暦
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1850
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成立推定
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刷り書写の態様
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早印。
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内容
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若年よりの見聞に基づく諸国奇談を集めた雑記随筆。漢字かな交じり。諸家による精密な挿画入り(一部は薄墨刷・朱刷・淡彩色刷入り)。出来るだけ虚説や文飾を廃したとし、年記や人名・地名の固有名詞を含む具体的な記述で写本随筆的内容。凡例に勧善懲悪のために編んだとするが、教訓とは無縁の話をも含む。達意の文章で描写力あり。内容見出し、巻1:出雲大社遷宮の時雲出る事(文化6年7月21日遷宮時の奇瑞)、天狗の怪妙并狗賓餅の事(北美濃郡上郡武儀郡・東美濃賀茂郡恵那郡辺、山の木に初て斧を入れる時に狗賓餅(ごへい餅、天狗が集まるとして家内では作らず)を供える)、鏡魚と名付たる異魚の事(尾張国知多郡横須賀、マンボウの如き魚)、蛸薬師霊験の事(目黒蛸薬師、疣取り、物断ちの話)、頽馬の事(尾張美濃辺、ギバという馬の卒死病、「大津東町上下仕合」と染込んだ馬の腹当の由来)、菖蒲の根魚と化する事(土佐家の御絵師土屋桂意広長の談話)、毛の降たる事、白蛇霊異を顕したる事、狐の行列并讐をなしたる事附火を灯す事(著者の家の下男吉松の在所濃州武儀郡志津野村の馬方の体験談)、人の金を掠取て蛍にせめ殺さるゝ事附虫ぎらひの事(勢州久米村(雲津と松坂の間の建場)の宿屋の因果話)、吉夢応を顕す事(富札の夢)、巻2:品川千躰荒神尊霊験の事(文化12年11月29日・文政4年正月10日・文政6年正月12日の品川大火に焼け残った茶屋村田屋の話、隣の海雲寺の千躰荒神の利益、「追加」として天保12年正月8日の大火の話、村田屋は焼けたが海雲寺は残る)、猫のもの云たる事(隣の猫に「来たな」)、海獺昇天するを打留る事、山〓{獣偏・操の旁}(やまをとこ)の事、風に倒れし大木自然と起たる事(伊勢松坂の入口にある建場茶屋松崎屋の奥「福神の社」の側の椋)、剜抜舟(くりぬきぶね)堀出したる事(尾張国中嶋郡諸桑村満成寺裏、字竹越で出土)、鎌鼬の事(「尾州七里の者〈七里の者と云は東海道筋宿々に在住して御屋形の御用飛脚荷宰領などつかさとる者也〉」が大井川で目撃)、馬の幽魂残りて嘶く事、弁才天契りを叶へ給ふ事附夜這地蔵の事(三河国渥美郡豊川村三明院の弁財天が美声の馬子と契る話、若き女よき娘に夜這いをする武州入間郡冨村の「夜ばひ地蔵」)、麁朶に髪の毛の生たる事(江戸芝三田の八幡宮、元禄5年の古絵馬(野田定栄画)の模写)、巻3:元三大師誕生水籾の不思議の事(江州浅井郡三川村玉泉寺)、蟇の怪虫なる事、戯に大陰嚢を売て其病気の替りたる事附大陰嚢の事(市谷田町四丁目〈字牛小屋〉の売卜者海野景山の隣人が大陰嚢を名主に売る話、元禄年間戸塚宿に大睾丸の乞食あり、流行唄に「ぶら++つんだせ戸塚の金玉」、紅毛人の治療の申し出を断る)、狩人異女に逢たる事(狩人が山中で異人に会い「錬(きた)ひ玉〈此錬ひ玉と云は一玉に壱万遍念仏を唱へながら錬ひ揚たる玉也此玉を二ツ持居て身の守りとし一所懸命の危急の時にもちゆる玉なりと〉」で狙う)、七足の蛸死人を堀取事(勢州飯野郡多屋村・藤原村辺に七足の蛸あり、野三昧へ行き新葬の死人を掘り取る、帰り途に籾糠を撒き枇杷の木の棒で打ち殺す)、天色火の如く成たる事、油を嘗る女の事(板木師の何某の体験談、大師河原参詣の帰途品川入口新宿の旅籠屋紅屋で会った飯盛女が夜中に行灯の油を吸う)、大蛇の事、金を溜たる執念死て後去兼たる事并隠盗現罰を蒙りたる事(執心を残し金を握ったまま埋葬、その墓を暴いて金を取るが、その手が腕に取り付いて離れない話)、イハナ坊主に化たる事并鰻同断の事(濃州恵那郡川上・付知・加子母(「三ケ村」という)辺で行われる「毒もみ」の漁法「辛皮に石灰とあく灰とを入せんじつめ団丸となして淵瀬へ沈るなり」、大イワナの腹から坊主に与えた団子や飯が出てくる話)、雹の降たる事(文政13年3月29日江戸周辺諸所)、巻4:日光山外山籠り堂不思議の事并氷岩の事(日光山内の外山の山頂に籠り堂あり、心願ある者が断食して籠る)、大ひ成蛇の尾を截て祟られたる事并強勇を以右祟を鎮たる事、美濃の国にて熊を捕事(美濃国郡上郡きび嶋村、2月頃穴に籠る熊(木に籠るのを「木熊」、穴に籠るのを「穴熊」という)を「熊突」という笹葉の鑓で殺す)、死に神の付たると云は嘘とも云難き事(名古屋の宅に出入りの按摩可悦の談話、晴眼の若年時に大坂嶋の内の女郎より心中を持ちかけられ承諾、恵比須橋の橋詰で草履を買い、履き替えた下駄を女が橋より無造作に道頓堀に投げ捨てるのを見て「此女は弥死ぬ積り也と初て悟りたり」、後悔するが女が「懐より背中へ手を差入命懸にて下帯をしつかりと握り詰居たるゆゑ」逃げられず、今宮の森で首を縊ろうとするが、夜番にとがめられた拍子に逃げ去る、数日後女は遠国より来た客と心中を遂げる)、信州にてくだと云怪獣を刺殺たる事(医者県道玄の談話、若い頃遊歴中に信州伊奈郡松島宿北村と原村の間の病家で妖獣「管(三州遠州辺でいう管狐)」を刺殺した話)、雁の首に金を懸て逃行たる事并愚民の質直褒美に預りたる事、耳の大ひ成人の事、龍の卵并雷の玉の事(市谷柳町の続きの根来にある根来山報恩寺の什宝)、古狸人に化て来る事并非業の死を知て遁れ避ざる事、西応房弥陀如来の来迎を拝して往生をなす事、美濃国須原神社祭事不思議并霊験の事(武儀郡須原神社)、巻5:柳谷観音利益の事(堂内に二百五六十人も眼病の者が参籠、彼らの語る霊験譚)、蛇の執念小蛇を吐出す事、天狗に連行れて鉄炮の妙を得たりし者の事、にち蜂の酒并へぼ蜂の飯の事附蜂起の事(美濃国郡上郡、「にち蜂」が集めた花の露を「にち酒」と称して珍重する話、同国苗木岩村辺のへぼ飯の話)、馬の言云(ものいひ)たる事(東海道大磯宿、馬が「毎日++重荷を背負する末の冥利がわるかんべい」と馬子の非道を語る)、狸の人と化て相対死をなしたる事(宮宿築出し町の飯盛女が高田村秋葉の森で男と心中、木の「枝に腰帯をわなに取て打懸けその両端にて両人一度に首を縊りて〈是をつるべ心中といふ〉」死のうとするが、男は木の股まで上がり、女は地に足が着き死なれず、男は狸であったという話)、磬石の事(讃州白峯に産す)、蚫貝に観世音菩薩現し居給ふ事、〓{虫偏・發}(はね)蚯蚓蜈蚣と変ずる事并蜊(あさり)蟹と化する事、県道玄猪を截たる事、鮟鱇の如き異魚を捕たる事(名古屋巾下の続きの江川)、猫俣老婆に化居たる事、万木柊と化する神社の事。
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内容(カナ)
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内容(ローマ字)
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旧蔵印識語
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印記「成島忠章」(朱白文方印)。
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備考
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水色表紙、宝珠文・晴明判風の星形内に丸に二本霞文(型押)、各後表紙は宝相華文・宝珠唐草文(型押)。○挿画の落款は「華渓」「〈花松斎〉雅山画」「桂意筆(刻印「広長」)」「八十八老卍筆」「南山(刻印「崋山」)」「(刻印「梅渓散人」)」「一雅筆」「直泰写」「〈一雄斎〉国輝画」「国芳」「鶴川儀」「〈七十五翁〉閑林」「北雅」「英泉画(刻印「渓斎」)」「山東庵京水百鶴筆」「〈雅川〉栗園」「文村画(刻印「子蝶」)」等。○僧允序中に「…今方就其所纂述之異聞奇観数百千条之中。特抄録核実著明而近人情者。為五十巻。題曰著聞奇集…」、凡例にも「…去る乙未年(天保6年)の秋頻りに思ひ立奇談雑談秘談深秘談の四条となして書記なし置んと筆に任せて草稿なし漸五十巻に及びたり…」とあり。○著者は尾張名古屋藩士。名永孝。字子錫。通称伴五郎・六左衛門。佐々木庸綱(宗六)に学んで書を能くし、のち主命により上京、花山院家厚に入門して筆道指南家の免許を得た。文政2年より江戸定詰となり市ヶ谷藩邸に住み右筆を務めた。嘉永3年3月6日没享年不詳。○なお『日本庶民生活史料集成』巻16(本書の翻刻所収)、『藩士名寄』巻125、『松涛随筆』巻11・13参照(蟹江和子氏の教示による)。○編纂刊行者の青山直意(本書凡例にふりがな「なをもと」)は想山門人で国学者、美濃苗木藩(恵那郡、現・中津川市、遠山家1万石)藩士。通称稲吉。後名景通。天保13年切米6石2人扶持の右筆として江戸屋敷勤番となり在江戸、十八代藩主友寿夫人栄綱院に仕える。嘉永5年に平田銕胤に入門、高弟となる。文久3年苗木に帰郷。慶応元年2月御金奉行切米11石2人扶持。国学派として維新期の藩政に大きな影響を与える。慶応4年5月京都に上り、中央政府の神祇官権判事となり、明治2年7月神祇少祐に任ず。明治4年神祇官廃止後帰郷、明治14~5年頃東京に移住。明治24年12月11日没73歳(本書刊行の嘉永3年に32歳)。なお、長男の直通は明治2年24歳で藩大参事に登用され、職制改革・廃仏毀釈・家禄奉還・藩士帰農を断行する。三男胤通は明治の内科学の権威で東京帝大医科大学長(『三百藩家臣人名事典』)。○本文挿画とも佳刻。刊行の出資者が別にいたか。○巻2に火災図あり(「南品川観音前火災の図」)、当時の版本では異例。
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保存状況種別
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保存状況程度
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所蔵機関
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西尾市岩瀬文庫
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資料種別
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総記 随想
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和書
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総記 随想 雑筆(内閣に従う)
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