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函番号(資料番号) 143-3
旧書名 諸陵周垣成就記
旧書名ヨミ
旧書名(ローマ字)
数量 1
単位
書名 諸陵周垣成就記
書名ヨミ ショリョウシュウエンジョウジュキ
書名(ローマ字)
書名(欧文)
書名の備考 原題簽存(左肩無辺)、外題右肩に「秘本」、同右下に「陵図具」、同左下に「後附陵図類」。序題「元禄十一戊寅歳諸陵周垣成就記」。
版写
特殊装丁
書型
存欠
原装・改装 原装
合冊
丁数 90
寸法 27.2/20.0
寸法(縦)
寸法(横)
材質
形態に関する注記
編著者 細井知慎編
編著者ヨミ ホソイチシン
編著者(ローマ字)
成立 自序あり、末に「元禄十二己卯歳九月廿八日雨そぼ降日浅草の郷如意庵の南の窓のもとに識す/細井知慎」。序末に「追加」あり、末に「于時宝永六年己丑七月十九日/細井知慎重識」。20丁裏に元奥書「元禄十二己卯年五月 細井次郎大夫知慎写」。その奧に附記あり。本編末、62丁目裏に書写識語「右賀茂季〓{鷹の上半}(鷹)所蔵原或秘庫之本也云々/于茲文化十歳次癸酉年春二月巻首二十二葉自写以下課人令書写一校之后謹蔵于函底矣/立入伴信友於平安書之(花押)」。同丁裏左端に附記「以上/以下信友後附」。本編の22丁目までは伴信友筆、23丁以下(図)は別筆。増補記事の②末に附記「此神陵図は文政三年の三月薩摩殿の家人白尾国柱(クニバシラ)字斎(サイ)蔵其国より江戸に来居り予に語りて云過にし年その君の命を奉て日向大隅薩摩の国々を行めくりて山陵の御在処を正し古老の旧聞遺伝をかむかへ古書に徴して其考証を書記し復命して奉りたる図の案あり君命をつゝしむよしありてたやすく人に見する事なきをおのれか志を識れりとて薩摩へいひやりて写させてくれたるをやかて此ほんにおしたるなり但し事書は国柱かみつから書そへたるなり中風の病にて手ふるひて心にまかせす肝要のみを書しるせり其考証の全書は本国に帰りて後写させておこさんと約りて別れつるに帰りつきていくほともなく身まかりぬとそかくて其家継ける子某かり其よしをいひて請ひやりたれといまにかへりことたにきかす 天保三年六月 信友記」。増補記事の④末に附記「右河内国陵墓之図同国志紀郡拝志村人伴林光平〈字六郎〉製写所贈来也可秘襲矣/天保十二年四月七日 伴信友識」。
成立西暦
成立推定 近世後期写
刷り書写の態様
内容 歴代天皇陵の所在等の考証書。漢字カナ交じり。末に陵墓彩色絵図集35丁及び後人による増補記事5丁あり。自序によれば本書成立の経緯は以下の通り。元禄10年春、大和郡山に住む編者の兄「芝山先生〈名知名/字孟賓〉」の勧めにより、諸陵墓の修復を主君柳沢吉保に進言、同年秋に主命により編者が陵墓の在所を比定し、修復を加えることとなった。病床に在った兄はその報を聞いて喜んだが、間もなく8月朔日に42歳で没した。翌11年8月、主命により編者は禁廷に上り、諸陵を見たところ、東武の命により竹の周垣が新たに作られていた。翌12年5月、許されて「此一冊并一紙」を一通繕写して家に伝えることとなった。「追加」自序には、京師で一人の神職が東武の人に、この帝陵の件は自分が仙洞に申出て行われたと語ったと聞き、亡兄の発案によることを強調する。その末に注記「是は妙門様へ上ル時書付候神職とは青木主計とて長崎の神職右のことく云と黒だ豊前守殿の家人蔵田又右衛門慥にかたる故如此追加せり」。奥書の後の附記中に「此書見せ申衆/一位様〈天英院〉 妙法院御門跡 水野和泉守殿 黒田豊前守殿 大嶋古心老 有馬六左衛門殿 今林大内記 荒井(ママ)筑後守 〈御吟味役〉辻六郎左衛門 近衛太閤様〈応円満院と云是は中途にて押ふる人有て終に達せずと聞ゆ〉」の記事あり(21丁目裏)。○巻末に伴信友による増補記事28丁あり。内容は、①:「日本武尊陵図」(伊勢国鈴鹿郡高宮村能褒野)。半丁1図。②:白尾国柱より贈られた日向大隅薩摩にある「神陵」絵図集。淡彩色入り。見開8図。白尾による注記入り。③:聖徳太子廟についての覚書。見開1面及び半紙本大の罫紙4紙。④:伴林光平より贈られた河内国の陵墓絵図集。淡彩色入り。17丁。
内容(カナ)
内容(ローマ字)
旧蔵印識語 印記「古川所蔵」(朱長方印)。
備考 焦茶色表紙、檀紙文(型押)。伴信友による増補書入あり。○巻頭遊紙表に伴信友宛の書簡3通を貼付。①:白尾国柱書簡、全文「先日ハ貴札且尊詠一首被贈下之不浅御懇情不惜感吟奉拝謝候即掛物ニ表装申付候扨被仰聞山陵図ハ蔽藩へ写越候へ共広狭長短書落申候ニ付此内差扣不得差上候処帰郷間も御座候ニ付□図斗入貴覧候国より書徴進呈可申候廿八九日間出立仕候御記念多奉存候貴吟御礼迄捧乱筆候恐々謹言/三月廿六日(右肩に朱書「文政三年」)」、端裏に「伴君 白尾(右肩に朱書「薩摩殿家士」、左下に同「斉蔵国柱(クニバシラ)」)」。②:伴林光平書簡、全文「(前欠)然者御西上之節御約束申上候河内陵墓図記早々拵挙差上可申筈ニ御座候処万端閙布不得其意斬(漸)今日出来仕ニ付差上申候書画共自筆ニて一向無調方千万不厭失敬差上候間御笑留被下候ハヽ生前面目ニ御座候且申兼候へ共御序之砌神代陵墓七図御仰ニ付て御頼申上候幾重ニもよろしく御頼申候何卒紀州若山迄御出し被遣度御頼申上候次第ニ暑気ニおもむき候間御老躰随分御養生専一ニ奉祈候乍憚御家内様へも可然御伝声偏ニ奉希候先ハ右申上度以禿筆如此御座候謹言/〈天保十二年〉三月廿五日朝認/伴林光平拝(右肩に朱書「河州志紀郡拝志村」、右下に朱書「六郎」)/伴尊大人玉牀下」、末に墨書注記「河内/伴林/三月廿五日出/丑四七来」。③長瀬真幸書簡、全文「此御草稿(朱書右傍記「真幸翁物語ヲ書タル草稿ノコト也」)只今迄留置候得共急ニ山陵考書立出来申候間先此侭返上仕候一二枚紛失ニ候哉急ニ見出不申候追而吟味仕跡より返上可仕候甚等閑恐怖不少度々被仰候ニ付余程心掛候へ共未考索積不申候其上繁勤老懶日々と押移延引仕候而其罪難謝せめて皆紛失ニ至不申内と存候而返上仕候御落手可被下候頓首/伴君 真幸/尚々御聞書私咄ニ違候所々少々加筆仕置候以上」、紙背に墨書注記「長瀬/天保二七廿一内田直届来」。○巻末に覚書2紙を貼付。○細井知慎(広沢)は漢学者。唐様の書家として名高い。遠州掛川の生。父に従い播州明石に移る。江戸に出て坂井伯元に儒を学び、20歳の延宝5年、北島雪山より文徴明の書法を受ける。元禄3、4年頃川越藩主柳沢吉保に仕え、その間将軍綱吉に謁見、荻生徂徠らと書を講じた。同15年致仕。宝永5年8月より1年間、山本藤次郎の名で水戸家に仕え、『万葉集』の注釈に携る。享保20年没78歳。○宝永6年付の「追加」自序中に「知慎嘗故羽林源吉保に侍し享保の比天下の神社仏閣御修補の事を司りて其事を知慎に与られ侍りぬ」とあるが、享保は元禄の誤か。○筆蹟サンプル画像へのリンクあり。
保存状況種別
保存状況程度
所蔵機関 西尾市岩瀬文庫
資料種別 歴史 日本史
大分類 和書
和分類 歴史 日本史 伝記 陵墓墓所
漢分類
筆跡サンプル画像・全文テキスト 筆蹟サンプル画像へのリンクあり。
製作者等
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言語 日本語
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内容年
内容年終
原本の所在・史料群 西尾市岩瀬文庫
資料番号
文化財情報
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自治体史掲載
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翻訳元の言語
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