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成立
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巻頭に斎藤彦麿の自筆序文1丁あり(本文とは別筆)、全文「この神道蔀障弁は其人は更にもいはす名たに聞しらねと上田侯の御内人にて某とあるによりて始てさる人ありとしれるのみこは普通の僻儒にて物の弁へもなきさまなりかゝる小さかし人はうるさきまてあまたあれはとかく言立ていふもおとなけなきに似たれと同し国の小諸侯の御内なる我をしへ子のもとよりいかてこの書のよしあしつはらにをしへてよとこはるゝに何をかいはんたゝ殊なる所々にいさゝかかしら書そへてかへしつる也凡儒学の大意は治国平天下のをしへなるをそは夢にたに弁へす伏羲以来今清の賊王か代まて治国平天下の例なし天壌無窮の神勅貫通して泰平観楽なる大御国に生れなから何をあかすと思ひて歟さる荊茨繁茂して屈曲なる小路に迷ひ入つらん/目にちかき大路ありともしらすして茨か中に迷ふおろかさ/彦麿」。本文末に元奥書「于時天保四年癸巳十一月至日信濃国上田藩士山田維則識」。天保6年3月、受業糸我希亮跋(漢文体)。
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