函番号(資料番号)
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160-36
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旧書名
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秋風集
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旧書名ヨミ
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旧書名(ローマ字)
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数量
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1
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単位
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冊
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書名
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秋風集
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書名ヨミ
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アキカゼシュウ
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書名(ローマ字)
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書名(欧文)
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書名の備考
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原題簽存(中央単辺、青鈍色料紙)。内題「秋風家集」。
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版写
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版
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特殊装丁
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書型
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大
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存欠
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全2巻
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原装・改装
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原装
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合冊
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丁数
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52
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寸法
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26.6/19.2
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寸法(縦)
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寸法(横)
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材質
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形態に関する注記
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編著者
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野呂瀬秋風作・尾崎宍夫編
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編著者ヨミ
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ノロセアキカゼ・オザキシシオ
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編著者(ローマ字)
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成立
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明治36年12月、御歌所参候植松有経序。八十翁尾埼宍夫跋。明治37年8月、七十有七嫗野呂瀬暁月跋。明治37年9月印刷・発行、編輯者 尾埼宍夫(京都市上京区堺町通御池上ル扇屋町三番戸)、発行者 野呂瀬久邇(大阪市南区周防町貳百八十三番邸)、印刷兼製本者 山本彦兵衛(京都上京区寺町通御池上ル上本能寺前町六番戸)刊。
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成立西暦
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1904
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成立推定
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刷り書写の態様
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早印。
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内容
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安政2年に27歳で早世した名古屋の俊才歌人、野呂瀬秋風の遺稿家集。四季・恋・雑に部類した359首及び、嘉永3年3月に没した名古屋藩第十代徳川斉朝の死を悼む歌文集を収める。作例「いひかひのなきよの人にくらふれは物のあはれは犬そ知ける」「子をみれは人めさへこそおもはれねかくおろかにはいつなりにけむ」「我ちゝはかゝりとたにもしらすして笑ふさまこそかなしかりけれ」。序跋によれば、野呂瀬秋風は名古屋藩士。通称六郎。明倫堂に入り植松茂岳に国学を学ぶ。歌は香川景樹や熊谷直好の風を慕い、間島冬道とともに研鑽を積み、「後来の景樹」と属望される。25歳の年、数首を残してそれまでの詠歌を焼き、27歳で没したために遺詠の多くは世に伝わらなかった。一方、秋風妻の久邇は同年で、嗣子基7歳と女菅子3歳を抱え家を守るが、維新廃藩のため名古屋を離れ大阪の町人となり、早くに剃髪し暁月と称した。苦労して子を育て上げるが、明治31年、月を隔てて2人の子を先立てる。夫の遺詠を年来収集し一冊子としていたが、夫の五十年忌と子の七年忌の供養のため上梓を思い立ち、これを京の歌人尾崎宍夫に托して選定と校訂を依頼、尾崎は名古屋の故内田成之が早くに集めていた秋風の家集を借りて校訂を加え、上梓に至ったもの。
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内容(カナ)
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内容(ローマ字)
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旧蔵印識語
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備考
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白地表紙、秋草(薄墨刷)。半丁8行。○野呂瀬秋風は名自邦(よりくに)。服部栄蔵正章の第四子。安政2年7月4日没27歳。墓所名古屋長久寺町善福院。野呂瀬暁月は秋風妻。名久邇(くに)。幼名つな。植松茂岳・尾崎宍夫門。夫に死別後、男女2人の子を抱え、維新の世変に辛酸を嘗め、大阪に移住。明治42年7月30日鰻谷町に没80歳、秋風の墓に合葬(以上、名家伝記資料集成)。
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保存状況種別
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保存状況程度
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所蔵機関
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西尾市岩瀬文庫
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資料種別
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文学 和歌
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大分類
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和書
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和分類
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文学 和歌 家集
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漢分類
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筆跡サンプル画像・全文テキスト
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製作者等
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製作者等読み
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製作者等(ローマ字)
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縮尺
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言語
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日本語
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ISBN
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ISSN
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主題
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主題(カナ)
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主題(ローマ字)
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関連する地域・場所
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関連する地域・場所(カナ)
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関連する地域・場所(ローマ字)
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関連する人物・団体
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関連する人物・団体(カナ)
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関連する人物・団体(ローマ字)
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内容年
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内容年終
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原本の所在・史料群
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西尾市岩瀬文庫
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資料番号
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文化財情報
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manifest.jsonへのURL
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関連画像URL
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自治体史掲載
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出版物・関連資料
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翻訳元の言語
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権利関係・利用条件
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原資料の利用条件
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権利関係・利用条件に関する注記
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緯度・経度・高度に関する注記
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収載箇所
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DOI
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既刊目録名
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デジタル化の経緯に関する注記
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