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函番号(資料番号) 162-218
旧書名 上信日記〈自筆紀行、羽生田修平跋〉
旧書名ヨミ
旧書名(ローマ字)
数量 2
単位
書名 上信日記
書名ヨミ ジョウシンニッキ
書名(ローマ字)
書名(欧文)
書名の備考 書名は原表紙中央書外題による。内題・後補書題簽(左肩無辺)・小口題同。
版写
特殊装丁
書型
存欠 全2巻
原装・改装 原装
合冊
丁数 79
寸法 23.9/16.6
寸法(縦)
寸法(横)
材質
形態に関する注記
編著者 清水浜臣
編著者ヨミ シミズハマオミ
編著者(ローマ字)
成立 原表紙書外題右下に「清水浜臣」。信濃のくに人はにふたの修平跋(「おくかき」)。
成立西暦 1819
成立推定
刷り書写の態様 自筆稿本。
内容 文政2年閏4月より翌5月にかけて、江戸より中山道、北国街道を経て善光寺に参詣、草津、榛名山、伊香保などを経て江戸に帰宅するまでの和歌入り旅日記。漢字かな交じり。訂正書入のある草稿本。途中、各地の門人宅に多く立ち寄る。閏4月1日江戸より武蔵国児玉郡本庄宿に帰る森田豊香の見送りを兼ねて出発。氷川神社神主角井茂臣宅に泊。2日茂臣の次男茂雄を同道、熊谷に泊。熊谷寺に行く。3日岡部村普斎寺、豊香宅に泊。4日同地にて豊香の門人らと歌会。5日出立。浜臣は去年より病あり、この旅は専ら駕籠に乗る。佐野庄(佐野恒世の旧跡)、糟沢、高崎、安中、松井田に泊。6日白雲山妙義社、武尊大権現、大日のたん、東峯、坂本に泊。7日碓氷、熊野社(門人の社人田中佳忠を訪問)、軽井沢、沓掛、宝生寺、追分、小諸、田中に泊。8日海野、白鳥宮、大谷村、瀬沢村、岩久村、上沢村、国分寺、上堀村、上田、秋和村、鼠宿、早雄神社、金井村、横尾村、坂木宿、上戸倉、下戸倉、姥捨山、八幡村、屋代宿の松崎某宅に泊。9日松城、祝神社、鳥打峠、大室村、亀岩峠、川田に泊。10日綿打村、吉野町、福島に泊(大雨で道が途絶えたため)。11日大嶋村の根岸甸牛宅を訪問するが留主、小布施町で門人市村長寅を訪問(下女が善光寺を浅草寺以上と誇る)、浅野の渡し、神代村、伊豆毛神社、北国道東条、吉田村、善光寺東町で門人青山茂葛宅に泊。弟の通長・深見勝寛・山本晴孝・三戸部春雄に会う。12日善光寺に参詣、青山宅に戻り斎藤吉易に会う。春雄の案内で虎が石、武井神社、寛慶寺、常徳院に泊。住持は茂葛の息。藤井茂彬・今井成忠らも来て百人一首の講義をする。13日茂葛の案内で妻科神社に参詣、医者山田真蔭と会う。人々が来て万葉集序・雄略帝歌・古今集序の講義をする。常徳院に泊。14日山本晴孝宅に招かれ、酒宴と歌会。晴孝の別号による「梅居詞」、斎藤吉易に「榎葉井」の号を贈り、その詞、青山茂葛の別号棲霞楼の長歌、藤井茂彬の別号二川楼の長歌、深見勝寛の六十賀(去年)の長歌あり。茂葛の友人瀧沢佐兵衛が所持する古い板鈴の図。15日茂雄・従者と戸隠山登山、飯縄権現に参詣、戸隠山の眺望を詠んだ長歌あり。常徳院泊。(以上上冊)16日仁礼村の門人羽生田修平宅へと出発、毘沙門堂まで人々が見送る。茂彬・吉易は布野川まで送る。福嶋まで舟行、井上、八丁村、杤倉村、仁礼に着、羽生田修平宅に泊。同家で造る仁礼酒を飲む。17日羽生田の案内で高顕寺、蛇山、高井戸(村名の由来となった楡井あり)を廻る。羽生田宅で瀬下敬忠著『千曲真砂』を見る。宝暦3年3月成、大部の地誌で、吉沢鶏山著『信濃地名考』(安永2年刊)は同書よりの抄出という。高梨村の医者中嶋棠亭来。18日羽生田の別号不如学斎・いそしの屋の長歌あり。同家で歌会。19日同家を出発、滑峠、菅平、歌「雲をふくあらしを道に先たてゝすかの荒野を我そ過ゆく」、大明神峠、渋沢、上野国吾妻郡田代、鹿牢川、大笹関所、大笹村着、村長黒岩某宅に泊。20日大前村、西久保村、中居村、赤羽根村、前口村、石津原、草津着、中沢某宅に泊。源泉や薬師堂を見る。「すへて湯の気いとあらけれは湯あむへき心はなし」。温泉の長歌あり。21日岩下村、長野原、横壁村、須加尾峠、牛か淵村、十二村、大戸の関、大戸宿の泉屋某宅に泊。主人の兄で医者、亀田鵬斎の門人、加倍靖斎と会う。森田豊香の江戸の宿りで会ったことのある人で、上野志編纂の志を語る。大運寺・古城跡・仙人の窟など周辺の名所の話を聞く。22日三の倉、峠、榛名大坊一宮尹嵩(門人)に会う。同人の案内で榛名山を巡覧参詣、建久元年古文書や文永元年鐘銘、元亨3年鉄灯籠の銘文の写しあり。榛名山を詠んだ長歌あり。尹嵩宅に泊。23日関所(榛名山がすえたもの)、天神峠、伊香保の沼、伊香保着。「こよひはこゝにやとるされと湯の色も濁りてきよらかならねはこよひも湯にはいらさりけり」。24日、水津観音、野田、野ら犬、金古、道寺、福嶋、高崎、佐野川、山名八幡(山上にあると聞く古碑を探すが見つからず)、倉下野着。宿屋藤浪屋の主人で好古家、寸戸白満(キトツクモマロ)に古碑の拓本を見せてもらう(神亀3年の碑と辛巳歳の山名村の碑)。25日主人の案内で山名村の古碑を見る。鏑川で白満と別れ、舟で渡り、藤岡着。門人富田高党(京屋金蔵)に会う。横丁、安保町、長浜、七本木、本庄宿着。森田豊香宅に泊。26日従者を先に帰す。旅中の見聞を詠んだ歌15首あり。中河某宅にて酒宴。27日森田方に集う歌人たちと蒸風呂に行き歌会。参加者は新町宿の田口秋因、小淵龍斎、千木良喜樹、深谷在岡村の斎藤脩正、横見郡下中曽祢の吉祥寺僧明覚、福田村の光谷自得、本庄宿の威徳院虚白、江原季成、武正茂恒、宮下清海、水谷惟賢、清水道一、潮田宗永、森田義方、桜沢幸雄、羽生文皎、主人の豊香と豊文、浜臣、茂雄の20名。28日深谷、熊谷、忍城(この城を見れば武蔵国中の城を全て見尽すため、わざわざ出かける)、鴻巣泊。29日大宮着。あるじ(未詳)及び太郎、三郎、四郎、信嘉、安信、一清などが出迎える。山崎吉業方に行く。周之、明覚来。江戸より信臣、かへめなどが迎えがてら来。5月朔日信嘉の八十賀歌を詠む。日中は歌の添削、日暮れより田川に出て蛍狩り。2日人々に送られて江戸へ出発、荒川岸の榎木屋に泊。3日舟で出発、川口の渡し、千住大橋、浅草川で上陸、未時に帰宅。
内容(カナ)
内容(ローマ字)
旧蔵印識語 印記「泊洦舎蔵」(朱子持枠隅切長方印、清水浜臣)。
備考 原装共紙表紙に覆表紙を付す。四周双辺10行墨刷罫紙。○書名の上信は上州と信州のこと。○跋者の羽生田修平(のぶひら)は、信濃高井郡仁礼宿(現・須坂市仁礼)の問屋・酒造家で豪商「下の問屋」の七代目。幼名大助。通称新平のち修平。号不如学斎・いそしの舎。文化10年頃清水浜臣に入門。本書に記される通り、文政2年閏4月16日より19日まで清水浜臣が同家に滞在する。同年冬より文政4年にかけて江戸に遊学、浜臣に和歌国学を学び、その間の和歌が自筆稿本『詠藻』に残る。文政7年に浜臣が没、その三回忌に修平ら門弟5人が不忍池畔に建碑する。文政11年10月18日没35歳。歌集『文政五年詠草』、歌論書『門田の引板』等の資料214点が羽生田家に残される(『広報すざか』平成19年2月等による)。○閏4月20日赤羽根村条、「此あたりにこめ++といふ木多しうつ木に似たるもの也枝を折て皮をはきとれはうるはしき箸となる土人常に用ふ又若葉をあへものなとにしてくらふにあちはひよし夫木集に 秋ふかき山の夕霧こめ++におのれも色や先かはるらんとよめる是也」。
保存状況種別 虫損
保存状況程度 あり(一部は補修済)。
所蔵機関 西尾市岩瀬文庫
資料種別 文学 国文
大分類 和書
和分類 文学 国文 日記紀行
漢分類
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言語 日本語
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内容年
内容年終
原本の所在・史料群 西尾市岩瀬文庫
資料番号
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自治体史掲載
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