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成立
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左下枠内に刊語・刊記「寛文五年夏の比□□の新地二の橋まて入新板□令再板之処この比世に懐中江戸之図の重板在之其帋面をみるに方がく道筋天地相違在之先西の御丸に御門橋ひとつも無之木挽丁三丁目の橋よりつき地本願寺の前まてはすぐ道なるを二丁ほと南にあたり道筋あり左馬頭様の御蔵屋敷は日比谷壱丁目の海てにあたる所に彼図にはうだつ橋の海てにあたり在之此外之道筋方角相違之所不可勝斗依之此度道筋やしき付毫髪の違なく令吟味其上本庄三の橋まて書加懐中に令再板者也なをつきせぬ御代のさかふるまゝにいく度も++あらため可令開板ものにこそ/天和三歳改/〈通油町〉本屋三右衛門〈開板〉」(刊年記以下は入木)。
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