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成立
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右下枠内に原本の刊記・刊語「元禄六癸酉歳末春/板本 〈通油町〉佐藤四郎右衛門/治(ち)上に隆(さかん)に俗(しよく)下に潤(うるわし)く大平なる御代とて風流の姿は上野の花やかに人にあし曳の山遠くさはかり広き武蔵野に国の台(うてな)の所せき日々に新にみかき建(たて)葎の門もはてしなくめてたかりける東都の絵図往々諸方に流布して甚多し誠に世人の袖珍也しかはあれとも舘地(くわんち)の交替仮名(けみやう)の変易渾然として算(かそふる)にいとまなし噫呼(あゝ)又鸚鵡のかしこくも人まねに似たれ共先書の欠たるを補行程遠近のとくしつを改め旧跡名所の旁示を正しことには本庄新地の室屋微塵毫厘の相違なくしかのミならす都鄙の調宝諸色を是に増益し江戸宝鑑の図大全と呼ものならし 温清軒(模刻花押)」。内題下部に「江戸叢書刊行会」。大正6年刊『江戸叢書』の附図。
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