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1
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約100万年前
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松尾川河川敷(久井町)の大阪層群の地層からアケボノゾウなど動物の足跡が発見される。
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『和泉市の歴史 2』(2008年)
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2
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約2万年前(旧石器時代)
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父鬼で人が生活し始める。(大床遺跡)
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『和泉市の歴史 1』(2005年)
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3
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約2万年前
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大園遺跡に短期的なキャンプが営まれ、人びとの生活の痕跡があらわれる。
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『和泉市の歴史 4』(2015年)
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4
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岩宿時代後期
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大園遺跡から(国府型)ナイフ形石器・剥片が見つかる。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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5
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縄文草創期
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有舌(茎)尖頭器が用いられる。(大園遺跡、伯太北遺跡)
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『和泉市の歴史 5』(2024年)
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6
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縄文時代(早期)(約8000年前)
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横山谷に集落が出現、縄文時代後期まで存続する。(仏並遺跡)
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『和泉市の歴史 1』(2005年)
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7
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縄文時代(中期)
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府中町、肥子町付近に集落が形成される。(府中豊中遺跡、板原遺跡)
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『和泉市の歴史 5』(2024年)
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8
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縄文時代(後期)(約4000年前)
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土面を用いた祭りが行なわれる。(仏並遺跡)
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『和泉市の歴史 1』(2005年)
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9
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約4000年前
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池田下、万町付近で小規模な集落が営まれる(以後、断続的に生活の痕跡が現れる)。
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『和泉市の歴史 3』(2011年)
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弥生時代前期
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石津川下流の台地上に弥生集落が登場する。(四ツ池遺跡)
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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弥生時代前期後半
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泉大津市曽根町、池上町付近、虫取町付近、高石市綾園付近に集落が形成される(池上曽根遺跡、虫取遺跡、大園遺跡)。
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『和泉市の歴史 5』(2024年)
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12
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弥生時代中期初頭
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池上曽根遺跡で新たな環濠が掘削され、集落規模が大幅に拡大する。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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弥生時代中期(前100年頃)
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下宮(横山遺跡)・福瀬(福瀬遺跡)に集落が営まれる。
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『和泉市の歴史 1』(2005年)
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弥生時代中期後半(前100年頃)
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池田下、万町付近でムラが形成される。
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『和泉市の歴史 3』(2011年)
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15
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弥生時代中期前半
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府中遺跡・和気遺跡・下池田遺跡などが成立する。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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弥生時代中期後半
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池上曽根遺跡が最盛期を迎える。大型建物(紀元前五二伐採材を利用)と井戸が造られる。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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弥生時代中期後半
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軽部池遺跡・寺田遺跡・池田下遺跡・万町北遺跡などが成立する。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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弥生時代後期
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池上曽根遺跡の大型建物や大井戸が廃絶され、集落規模が急激に縮小し、和泉中央丘陵の先端部に観音寺山遺跡が、信太山丘陵に惣ヶ池遺跡・大野池遺跡が出現する。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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19
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4世紀後半
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和泉黄金塚古墳が築造される。信太丸笠山古墳が築造される。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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20
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4世紀末~
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須恵器窯が泉北丘陵で営まれ始める。(~一〇世紀頃)
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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5世紀
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府中遺跡に首長の居住空間や竪穴住居群などが出現する。以後集落や水路・祭祀空間などの整備が進む。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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22
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5世紀前半
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鍋塚古墳、信太貝吹山古墳が築造される。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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23
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5世紀前半
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信太山丘陵で須恵器生産が開始される。(~6世紀後半)
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『和泉市の歴史 4』(2015年)
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5世紀後半
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大園遺跡にて群集墳が形成される。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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5世紀後半
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カニヤ塚古墳が築造される。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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5世期後半
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松尾谷の北部箕形町付近に集落が築かれる。(和泉丘陵A8地点遺跡)
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『和泉市の歴史 2』(2008年)
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5世紀末~6世紀前半
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この頃までに大野池地区の窯場が操業を停止する。大野池が築造されるか。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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6世紀
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須恵器窯が谷山池地区にも展開する。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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6世紀
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池田谷の各所で群集墳が造られる。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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30
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6世紀
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唐国池田山古墳群が築かれる。
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『和泉市の歴史 2』(2008年)
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31
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6世紀頃
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信太山丘陵に群集墳が造られる。(信太千塚古墳群)
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『和泉市の歴史 1』(2005年)
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6世紀前半
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茅渟県主氏が府中地域を本拠地とする。
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『和泉市の歴史 5』(2024年)
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33
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6世紀前半
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槙尾川左岸の和泉中央丘陵で須恵器の生産がはじまる。
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『和泉市の歴史 3』(2011年)
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34
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6世紀前半
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和田一号墳と和泉向代一号墳がつくられる。
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『和泉市の歴史 3』(2011年)
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35
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6世紀中頃
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信太狐塚古墳が築かれる。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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36
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6世紀中頃
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マイ山古墳が築かれる。この頃松尾谷の北入り口・唐国町付近に韓国連の祖先たちが定住したか。
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『和泉市の歴史 2』(2008年)
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37
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欽明天皇14年
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553
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この頃には「泉評」が存在する。
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『和泉市の歴史 5』(2024年)
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38
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欽明23年
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562
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『日本書紀』が編纂される。そのなかに坂本臣甘美媛が登場する。
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『和泉市の歴史 3』(2011年)
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39
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6世紀後半
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大園遺跡の集落が最盛期をむかえ、信太山丘陵では群集墳が築かれる。
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『和泉市の歴史 4』(2015年)
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40
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6世紀後半
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池田下、万町に集落が営まれる。
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『和泉市の歴史 3』(2011年)
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41
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6世紀後半~
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松尾谷での古墳の造営が途絶える。
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『和泉市の歴史 2』(2008年)
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6世紀末
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下代古墳群・三林古墳群・黒石古墳群が形成される。
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『和泉市の歴史 3』(2011年)
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43
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6~8世紀
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松尾谷に条里制が設定され、唐国村あたりまで開発が進む。
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『和泉市の歴史 2』(2008年)
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推古9~10年
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601~ 602
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坂本糠手が外交使節として百済に派遣される。
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『和泉市の歴史 3』(2011年)
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45
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推古18年
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610
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坂本糠手が新羅・任那両使の口上を大臣蘇我馬子に伝える。
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『和泉市の歴史 3』(2011年)
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46
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7世紀前半
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万町北遺跡が廃絶し、対岸の池田寺遺跡が登場する。池田下の集落が発展していく。
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『和泉市の歴史 3』(2011年) 『和泉市の歴史 6』(2013年)
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47
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7世紀前半
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取石池が築造される。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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7世紀中葉(640年代か)
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坂本寺の造営はじまる。和泉寺もこの頃造営される。
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『和泉市の歴史 3』(2011年) 『和泉市の歴史 5』(2024年)
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7世紀後半
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軽部池が築造される。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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50
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7世紀後半
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大鳥評・和泉評・日根評が置かれる。
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『和泉市の歴史 6』(2013年)
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