市域に残された古文書などの資料、発掘調査により出土した土器などの資料、和泉市のことをより深く知ることのできる資料を閲覧することができます。 利用規定
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中世黒鳥村文書
現在の和泉市黒鳥町とその周辺に関する中世の古文書。平安時代の豪族による地域開発、中世の黒鳥村に存在した安明寺に対する信仰、室町時代の和泉国における麹の流通に関する古文書が残されています。伝来した家ごとに「立石家文書」8点と「河野家文書」36点に区別されます。現在は大阪府指定文化財に指定されています。
池辺家史料
平安時代の僧侶である覚超が執筆した「修善講式」をはじめとする史料。地域社会において営まれた信仰のあり方をうかがい知ることができます。和泉市南部の横山地域において、世代を超えて大切に受け継がれてきました。「修善講式 覚超自筆草案」は国の重要文化財に指定されています。
山本彦左衛門家文書
市域松尾谷の春木川村(現春木川町)の庄屋を19世紀以降勤め、のちに南松尾村村長を輩出した山本家に伝わった古文書。春木川村は17世紀末以降伯太藩領でした。19世紀~幕末の村政文書が歴年で多数残ります。江戸時代の市域山間部の暮らしについて知ることもできる貴重な史料群です。
杉浦家文書
譜代大名渡辺家の上級家臣杉浦家の子孫の家に伝わった古文書。渡辺氏は、18世紀前半から市域伯太山(現伯太町四丁目)に陣屋を構えたことにより、伯太藩と呼ばれました。本史料群は、江戸時代後半から明治初期までの伯太藩政について知ることのできる貴重な史料群です。また明治期に住友の総本店副支配人を勤めた杉浦聞多に関わる史料も充実しています。
赤井家資料
18世紀半ば以降、市域信太地域にあった上代村(現上代町)の庄屋を勤めた赤井家。一橋領の惣代庄屋も勤めました。18世紀後半には領主一橋家への勤功によってから名字帯刀を認められました。この時期、大坂城代与力や大坂町奉行所与力など武家と姻戚関係がありました。
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マイ山古墳
岸和田市との市境、箕形町に所在した古墳時代後期前半に築造された全長約35mの前方後円墳。宅地造成に伴い、2007(平成19)年に発掘調査が行われた。前方部端部の削平以外は保存状態が良く、後円部に2基(木棺直葬の第1主体部、竪穴式小石室の第2主体部)、前方部に1基(木棺直葬の第3主体部)の未盗掘の埋葬主体が残されていた。
和泉丘陵の古墳
和泉市いぶき野(旧万町、池田下町、唐国町)一帯の和泉丘陵に所在した古墳。「和泉向代古墳群」「明神原古墳」「唐国池田山古墳群」「下代古墳群」「ウトジ池古墳群」が所在しました(その一部は現地保存されています)。和泉丘陵の開発事業に伴い、1981(昭和56)年~1989(平成元)年に発掘調査が行われました。ウトジ池2~4号墳は現地保存されています。
信太山丘陵の古墳
尾井町、王子町、小野町、黒鳥町、山荘町、伯太町一帯の信太山丘陵に所在する古墳。惣ヶ池を主谷として、北と南に大別できます。北側には丘陵最北端の和泉黄金塚古墳やカニヤ塚古墳が、南側には丸笠山古墳や信太千塚古墳群などが所在します。信太千塚古墳群は100基以上の古墳があることが明らかになっていますが、現存するものは少ないです。信太狐塚古墳(前方後円墳・全長56m)を除き、直径20mほどの円墳です。発掘調査されたものは少ないです。
大野池遺跡
信太山丘陵の北西部、和泉市小野町に所在する弥生時代後期の高地性集落。大野池をはさんで700mほどの距離に惣ヶ池遺跡があります。この集落は、惣ヶ池遺跡の集落よりやや遅れて成立したようです。霊園の建設に伴い発掘調査が行われました。竪穴建物6棟、掘立柱建物3棟などが検出されています。竪穴建物のうち1棟は六角形の竪穴建物でした。包含層や遺構覆土の大半が流出しており、出土遺物は極めて少ないです。
惣ヶ池遺跡
信太山丘陵の北西部、和泉市鶴山台・小野町に所在する弥生時代後期の高地性集落。標高50~60mを測り、北から西にかけて平野部や大阪湾が一望でき、六甲の山並みや淡路島まで望むことができます。近年の調査で、鉄器鍛冶炉を有する竪穴建物が検出されました。さらに、近畿地方で見つかった同種の青銅鏡としては最古級で、泉州地域では唯一の出土例である小形仿製鏡と呼ばれる弥生時代の青銅鏡が出土しています。
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埋蔵文化財関係
和泉市がこれまでの発掘調査の現場で撮影した写真などの資料です。報告書などに未掲載のものや、掲載時はモノクロだったものをカラーで紹介します。今は見ることのできない調査前の風景や調査中の遺構の検出状況、遺物の出土状況などを掲載します。











