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日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム
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年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.360 チャレンジカップ2021 オーストラリア代表戦)
テストNo.360 チャレンジカップ2021
オーストラリア
代表戦 English 写真 令和3年,23日 G:昭和電工ドーム大分(大分県) R:ポール・ウィリアムズ(NZ) ●日本代表 23-32
オーストラリア
,RWC2019日本大会以来2年ぶりに、国内でのテストマッチが
オーストラリア
代表との間で組まれた。,流れが
オーストラリア
に傾きかけた15分、CTB中村のビッグプレーが飛び出す。,
オーストラリア
をあと一歩まで追い詰めた。」 / テストNo.360 チャレンジカップ2021
オーストラリア
代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.340 リポビタンDチャレンジ2017 オーストラリア代表戦)
テストNo.340 リポビタンDチャレンジ2017
オーストラリア
代表戦 English 写真 機関誌,2017)11月4日 G:日産スタジアム R:ニック・ブライアント(NZ) ●日本代表 30-63
オーストラリア
,代表○ No.579★340 リポビタンDチャレンジ2017
オーストラリア
代表初来日
オーストラリア
,
オーストラリア
の新聞の書き出しをそのまま借りたい。,
オーストラリア
の「敵陣ラインアウト後に仕掛けて仕留め切る」伝統は健在、ここで勝負はついた。 / テストNo.340 リポビタンDチャレンジ2017
オーストラリア
代表戦
日本ラグビーフットボール史
(《早稲田が豪州へ遠征》)
という点では慶應義塾蹴球部の中国・上海遠征(1925(大正14)年12月)を嚆矢とするが、遠征地が南半球
オーストラリア
,早稲田が最初の海外遠征地に選んだ
豪州
ラグビーの歴史は古い。,NSW=1874年)はじめ、クイーンズランド(1883年)、ビクトリア(1888年)、そしてウエスタン・
オーストラリア
,なお、
豪州
全土を統括する
オーストラリア
・ユニオンが設立されたのは戦後も1949(昭和24)年のこと。,【早稲田大学ラグビー蹴球部
オーストラリア
遠征メンバー】 団長:喜多壮一郎(教授) 監督:木村文一 / 《早稲田が
豪州
へ遠征》
日本ラグビーフットボール史
(《W杯と日本代表チームの記録 第1回大会~第5回大会》)
《W杯と日本代表チームの記録 第1回大会~第5回大会》 【第1回大会】 ▼開催国:
オーストラリア
・ニュージーランド,22日〜6月20日 ▼出場チーム:予選(太字の上位2チームが決勝トーナメント進出) ▽プール1:
オーストラリア
,アメリカ○(ブリスベン) ②5.30●日本7−60イングランド○(シドニー) ③6.3●日本23−42
オーストラリア
,①6.6準々決勝○ニュージーランド30−6スコットランド●(クライストチャーチ) ②6.7準々決勝○
オーストラリア
,準々決勝○ウェールズ16−3イングランド●(ブリスベン) ①6.13準決勝○フランス30−24
オーストラリア
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.95 第1回ラグビーワールドカップ(NZ・豪州)第3戦)
テストNo.95 第1回ラグビーワールドカップ(NZ・
豪州
)第3戦 English 写真 機関誌,昭和62年(1987)6月3日 シドニー ●日本代表 23-42
豪州
代表○ 日本最後に大暴れ 23,藤田、G沖土居、PG沖土居2、DG沖土居 日本代表の最終戦はシドニーで行われ、日本は優勝候補の地元
オーストラリア
,「日本の闘志が
豪州
を受身に立たせた。,日本の目標は米国に勝ち、イングランドと
豪州
に善戦することだったのだから。 / テストNo.95 第1回ラグビーワールドカップ(NZ・
豪州
)第3戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.93 第1回ラグビーワールドカップ(NZ・豪州)第1戦)
テストNo.93 第1回ラグビーワールドカップ(NZ・
豪州
)第1戦 English 写真 機関誌,○ 米国の壁破れずW杯での初戦を落とす No.258★93 第1回ラグビーワールドカップ(NZ・
豪州
,15 レイ・ネルソン 得点:Tノフォムリ2、吉永、PG朽木、吉永 第1回ワールドカップがNZ、
オーストラリア
/ テストNo.93 第1回ラグビーワールドカップ(NZ・
豪州
)第1戦
日本ラグビーフットボール史
(《豪州&NZ大学選抜が相次いで来日》)
《
豪州
&NZ大学選抜が相次いで来日》 【
豪州
大学選抜(AURFC)1934·1·,24~2·19】 南半球の
オーストラリア
から大学選抜(AURFC)チームが初めて日本の土,
オーストラリア
といえば当時は、カナダやニュージーランド(NZ)と同様、ラグビー創始国であり宗主国英国の,
豪州
側の交渉窓口となったマーチンとは、早稲田の
豪州
遠征にも親身になって世話をしてくれた恩人とか。,日本協会としてはシドニー大学の招待が当初の計画だったが、
豪州
側の意向で
豪州
大学選抜(AURFC)に変更 / 《
豪州
&NZ大学選抜が相次いで来日》
年代史・観戦記・その他資料
(7人制日本代表キャップ一覧(男子))
アデレード国際セブンズ2008 HSBC WRセブンズシリーズ2015-2016 第4戦
オーストラリア
,セブンズ2010 USA国際セブンズ2011 第34回香港セブンズ セブンズワールドシリーズ
オーストラリア
,東海大学 16 USA国際セブンズ2011 第34回香港セブンズ セブンズワールドシリーズ
オーストラリア
,隆彰 なかづる たかあき 早稲田大学 2 第34回香港セブンズ セブンズワールドシリーズ
オーストラリア
,大会 254 柳川 大樹 やながわ だいき リコー 1 セブンズワールドシリーズ
オーストラリア
年代史・観戦記・その他資料
(令和元年(2019)度)
遠征で
オーストラリア
代表戦に2戦とも敗れるも、11月の欧州遠征ではイタリア代表と引き分け、スコットランド,代表に勝利 ★50 2019.07.13
豪州
遠征第1戦 ●日本代表5-34
オーストラリア
代表,★51 2019.07.19
豪州
遠征第1戦 ●日本代表3-46
オーストラリア
代表 ★52,2020 NZ大会 14位 ★181 2020.2.01,02 WRSS2019-2020
オーストラリア
,ドバイ大会 12位 ★69 2020.2.01,02 WRWSS2019-2020 第3戦
オーストラリア
年代史・観戦記・その他資料
(日本代表国際セブンズ大会一覧表(女子))
準優勝 日本 日本成績 決勝トーナメント準決で香港に勝ち、決勝で
オーストラリア
に負け、準優勝 予選成績,
オーストラリア
、カザフスタン、シンガポール、中華台北に勝ち 日本監督 浅見 敬子 出場選手 鈴木 彩香井上,準優勝 NZ 日本成績 カップ戦準々で
オーストラリア
に負け、プレート準決でロシアに負け、順位決定戦で,オランダに勝ち7位 予選成績 ロシア、
オーストラリア
に負け、アルゼンチンに勝ち 日本監督 浅見 敬子,大会 写真 開催日 18.1.26~28 開催地
オーストラリア
・シドニー 優勝
オーストラリア
準優勝
年代史・観戦記・その他資料
(日本代表国際セブンズ大会一覧表(男子))
大会 開催日 11.4.2,3 開催地
オーストラリア
優勝 NZ 準優勝 南アフリカ 日本成績 ボウル,大会 開催日 11.11.25,26 開催地
オーストラリア
優勝 NZ 準優勝 イングランド 日本成績,ボウル準々決勝でカナダに負け、シールド準決勝でスコットランドに勝ち、決勝でアメリカに負け 予選成績
オーストラリア
,9戦イングランド大会 写真 開催日 15.5.16,17 開催地 ロンドン 優勝 アメリカ 準優勝
オーストラリア
,大会 写真 開催日 16.2.6,7 開催地 シドニー 優勝 NZ 準優勝
オーストラリア
日本成績
日本ラグビーフットボール史
(《日本をわかせた世界のスーパーチームが来日》)
《日本をわかせた世界のスーパーチームが来日》 ユニセフ協会の呼びかけで世界の2強といわれる
オーストラリア
,旱魃に苦しむ北東アフリカのこどもたちへの募金活動に
オーストラリア
代表ワラビーズとニュージーランド代表オールブラックス,)のナイトゲームでは見ることができなかったが、日本のファンは元ウェールズ主将のコリン・チャービス、元
豪州
代表
日本ラグビーフットボール史
(《高校日本代表の海外遠征》)
本年度の遠征地は
オーストラリア
。,7月24日に関西空港を出発して
豪州
のタウンズビル、ゴールドコースト、シドニーなど東海岸の3都市で3試合,いずれにしても、このカナダ遠征がきっかけとなって、その後は
オーストラリア
、ニュージーランド、そしてホームユニオン
日本ラグビーフットボール史
(スーパーラグビーとは)
その前身は南半球の南アフリカ協会、ニュージーランド協会、
オーストラリア
協会が共同で設立したジョイントベンチャー,2006年には新たに南アフリカと
オーストラリア
から1チームずつが参戦し、14チーム(「スーパー14」),2011年には、再び
オーストラリア
の1チームの参戦によって、南アフリカの6チーム、
オーストラリア
の4チーム,一つはスーパーラグビーの事業であり、もう一つは南アフリカ、ニュージーランド、
オーストラリア
にアルゼンチン,シンガポールにはもともと「アジアンドラゴンズ」というエクパッツ(
オーストラリア
、ニュージーランド、アイランダーズ
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.46 豪州遠征1975第5戦)
テストNo.46
豪州
遠征1975第5戦 English 写真 機関誌 昭和50年(1975)8月,2日 シドニー ●日本代表 7-37
豪州
代表○ 日本30点差で
豪州
に敗れる No.124★46,
豪州
遠征1975第5戦 1975年8月2日 G:シドニー R:W.M.クーニィ KO 15:00 日本代表,7 − 37
豪州
代表 1 高田 司(トヨタ) 7 前 18 1 ロン・グラハム 2 黒坂 敏夫(,その後一進一退のゲーム展開であったが、
豪州
は確実に得点を重ね37−7の差で敗れた。 / テストNo.46
豪州
遠征1975第5戦
日本ラグビーフットボール史
(《南半球から豪州大学選抜2度目の来日》)
《南半球から
豪州
大学選抜2度目の来日》 オックスブリッジ両大学に次いで1956(昭和31)年2月に来日,したのが
豪州
大学選抜(AURFC)である。,その「百年の友情にも優る」
豪州
の大学選抜チームが日本遠征で刻みこんだ記録は9戦8勝1敗。,わずか1点差というきわどい勝利に映るが、トライ数の比較では明治が4本に対し、
豪州
は2本。,としては
豪州
No.1」といわれた国際級の選手。 / 《南半球から
豪州
大学選抜2度目の来日》
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.4 豪州学生選抜第1回来日第5戦)
テストNo.4
豪州
学生選抜第1回来日第5戦 English 新聞記事 写真 昭和9年(1934),2月11日 神宮競技場 ●日本代表 8-18
豪州
学生選抜○
豪州
との第1テストに惜敗 No.12,★4
豪州
学生選抜第1回来日第5戦 1934年2月11日 G:神宮競技場 R:清瀬三郎 KO 14:37,23分
豪州
はインゴールにハイパントを上げてバーケット押さえてトライ、ゴール。,19分
豪州
はスクラムからリース、ヴィンセントでトライ、ゴール。 / テストNo.4
豪州
学生選抜第1回来日第5戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.5 豪州学生選抜第1回来日第7戦)
テストNo.5
豪州
学生選抜第1回来日第7戦 English 新聞記事 写真 昭和9年(1934),2月18日 花園ラグビー場 ○日本代表 14-9
豪州
学生選抜● 第2テスト見事に雪辱を遂げる,「試合経過:前半5分
豪州
ウェストフィールド、ドロップゴール成功[当時は4点]。,後半12分
豪州
はゴール前ラインアウトからデューヴァル倒れ込んでトライ、ゴールし逆転。,20分
豪州
ゴール前のルーズから右に丹羽、橘、内藤と回してトライ。 / テストNo.5
豪州
学生選抜第1回来日第7戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.185 豪州A代表来日第2戦)
テストNo.185
豪州
A代表来日第2戦 English 写真 機関誌 平成15年(2003)6月,8日 秩父宮ラグビー場 ●日本代表 15-66
豪州
A代表○ 日本、今季4連敗 No.416★185,
豪州
A代表来日第2戦 2003年6月8日 G:秩父宮ラグビー場 R:K.ディーカー(NZ) KO,しかし、
豪州
A代表との第1戦は7トライ、この試合は10トライを奪われた。,とにかく
豪州
A代表の個々の突進を止められない、タックルできないのだ。 / テストNo.185
豪州
A代表来日第2戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.69 豪州学生選抜第3回来日第5戦)
テストNo.69
豪州
学生選抜第3回来日第5戦 English 写真 機関誌 昭和56年(1981,)3月21日 秩父宮ラグビー場 ○日本代表 10-9
豪州
学生選抜● 日本代表逆転勝ち No.179,★69
豪州
学生選抜第3回来日第5試合 1981年3月21日 G:秩父宮ラグビー場 R:八木宏器 KO,14:00 日本代表 10 − 9
豪州
学生選抜 1 石山 次郎(釜石) 6 前 9 1 ジョン・マセソン,30分、
豪州
学生はWTBマッケルホーンがハイパント、日本が処理を誤る間に自ら拾い上げて中央トライ(ゴール / テストNo.69
豪州
学生選抜第3回来日第5戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.13 豪州学生選抜第2回来日第8戦)
テストNo.13
豪州
学生選抜第2回来日第8戦 English 新聞記事 機関誌 昭和31年(1956,)3月21日 秩父宮ラグビー場 ●日本代表 8-19
豪州
学生選抜○ 健闘及ばず連敗 No.24,★13
豪州
学生選抜第2回来日第8戦 1956年3月21日 G:秩父宮ラグビー場 R:川田大介 KO,14:30 日本代表 8 − 19
豪州
学生選抜 1 北島 輝夫(大映) 5 前 8 1 F.M.エリオット,
豪州
もすぐ反撃、5分にルーズからツース、ドーズ、フェルプスとわたってトライ、18分にはラインアウトから / テストNo.13
豪州
学生選抜第2回来日第8戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.47 豪州遠征1975第9戦)
テストNo.47
豪州
遠征1975第9戦 English 写真 機関誌 昭和50年(1975)8月,17日 ブリスベン ●日本代表 25-50
豪州
代表○
豪州
代表に肉薄 No.128★47
豪州
遠征,1975年8月17日 G:ブリスベン R:バーネット(I) KO 15:00 日本代表 25 − 50
豪州
代表 / テストNo.47
豪州
遠征1975第9戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.12 豪州学生選抜第2回来日第3戦)
テストNo.12
豪州
学生選抜第2回来日第3戦 English 写真 新聞記事 機関誌 昭和31年,(1956)3月4日 平和台ラグビー場 ●日本代表 14-16
豪州
学生選抜○ 日本代表第1テスト,に惜敗 No.23★12
豪州
学生選抜第2回来日第3戦 1956年3月4日 G:平和台競技場 R:平山新一, KO 15:30 日本代表 14 − 16
豪州
学生選抜 1 蓑口 一光(明大OB) 3 前 5 1,だが松岡があまりにも近くから蹴ったため
豪州
の選手にチャージされて日本は14−16で敗れた。 / テストNo.12
豪州
学生選抜第2回来日第3戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.14 豪州学生選抜第2回来日第9戦)
テストNo.14
豪州
学生選抜第2回来日第9戦 English 写真 新聞記事 機関誌 昭和31年,(1956)3月25日 花園ラグビー場 ●日本代表 6-19
豪州
学生選抜○ またも惜敗して3連敗,No.25★14
豪州
学生選抜第2回来日第9戦 1956年3月25日 G:花園ラグビー場 R:川田大介, KO 14:00 日本代表 6 − 19
豪州
学生選抜 1 北島 輝夫(大映) 0 前 13 1 F.M,日本は後半21分松岡、24分麻生がPGを決めて6−16と迫ったが、
豪州
は30分ウイルソンがトライ、19 / テストNo.14
豪州
学生選抜第2回来日第9戦
日本ラグビーフットボール史
(《U19世界大会で初の7位に》)
オーストラリア
との第1戦は12-62の大差で落としたが、第2戦のアイルランド戦(不戦勝)、第3戦のグルジア,このあと5-8位決定戦に回ることになり、再び
オーストラリア
との対戦となったが、やはりここでも19-66
日本ラグビーフットボール史
(《5大会連続出場と世界のレベル》)
大会前から
オーストラリア
とともに優勝候補と下馬評の高かったオールブラックスである。 ,第1回W杯で
豪州
に善戦の日本代表。,回大会ではイングランドに7−60、第2大会ではスコットランドに9−47と大差をつけられたが、第1回大会の
オーストラリア
,2003年に
オーストラリア
で開催された第5回ワールドカップは、真下昇団長の下、向井昭吾監督が采配を振るった,大会直前には、
オーストラリア
からマーク・ベル、マーク・エラの両コーチも招聘し、充実した指導陣の下で、日本代表
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.35 豪州代表コルツ(U23)来日第6戦)
テストNo.35
豪州
代表コルツ(U23)来日第6戦 English 写真 機関誌 昭和47年(1972,)4月2日 花園ラグビー場 ○日本代表 24-22
豪州
代表コルツ● ラフプレーのコルツに競り勝つ,No.78★35
豪州
代表コルツ(U23)来日第6戦 1972年4月2日 G:花園ラグビー場 R:,池田正徳 KO 14:20 日本代表 24 − 22
豪州
代表コルツ 1 原 進(近鉄) 18 前,】グレゴリー・ホルベン⑨ 得点:T井澤、村田、水谷、G山口3、PG山口2 岡仁詩監督は初テストで
豪州
/ テストNo.35
豪州
代表コルツ(U23)来日第6戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.36 豪州代表コルツ(U23)来日第8戦)
テストNo.36
豪州
代表コルツ(U23)来日第8戦 English 写真 機関誌 昭和47年(1972,)4月8日 秩父宮ラグビー場 △日本代表 17-17
豪州
代表コルツ△ 乱闘ゲームは引き分け No,.79★36
豪州
代表コルツ(U23)来日第8戦 1972年4月8日 G:秩父宮ラグビー場 R:野々村博, KO 14:20 日本代表 17 − 17
豪州
代表コルツ 1 原 進(近鉄) 0 前 17 1 / テストNo.36
豪州
代表コルツ(U23)来日第8戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.59 豪州クインズランド州代表来日第2戦)
テストNo.59
豪州
クインズランド州代表来日第2戦 English 写真 機関誌 昭和53年(1978,)3月5日 秩父宮ラグビー場 ●日本代表 6-42
豪州
クインズランド州代表○ 『世界』は遠い、ただ,敵を褒めるばかり No.153★59
豪州
クィンズランド州代表来日第2戦 1978年3月5日 G:秩父宮,15 植山 信幸(横河) 15 グラハム・ヌーン 得点:PG植山、DG星野 現役ワラビーズ[
豪州
代表 / テストNo.59
豪州
クインズランド州代表来日第2戦
年代史・観戦記・その他資料
(平成15年(2003)度)
#241;ol 105シーズン目 【協会】 日本協会第7回ワールドカップ招致に立候補 日本協会は、
豪州
,★184 2003.6.5 ●日本代表 5−63 ○
豪州
A代表 長居第2 ★185 2003.6.8,史に残る壮絶な延長戦の末、ジョニー・ウィルキンソンの劇的ドロップゴールで、イングランドが20−17で
オーストラリア
,/3月に日本代表スコッドが
豪州
に強化合宿(1勝3敗)した。,/高校代表海外遠征 7月に第29回高校日本代表の
豪州
遠征(4勝)を実施した。
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.184 リポビタンDチャレンジ2003 豪州A代表来日第1戦)
テストNo.184 リポビタンDチャレンジ2003
豪州
A代表来日第1戦 English 写真 機関誌,平成15年(2003)6月5日 長居第2 ●日本代表 5-63
豪州
A代表○
豪州
Aに完敗 わずか,1トライ No.415★184 リポビタンDチャレンジ2003
豪州
A代表来日第1戦 2003年6月,5日 G:長居第2 R:K.ディーカー(NZ) KO 19:00 日本代表 5 − 63
豪州
A代表 / テストNo.184 リポビタンDチャレンジ2003
豪州
A代表来日第1戦
年代史・観戦記・その他資料
(平成19年(2007)度)
フィジー代表 ラウトカ ★222 2007.6.2 ○日本代表 20−17 ●トンガ代表 コフスハーバー(
豪州
,) ★223 2007.6.9 ●日本代表 10−71 ○
豪州
A代表 タウンズビル ★224 2007.6.16,ってベスト4に進み喝采を浴びたのに対し、優勝候補と目されたニュージーランドは18−20でフランスに、
オーストラリア
,★227 2007.9.8 ●日本代表 3−91 ○
豪州
代表 リヨン ★228 2007.9.12 ●,/高校代表海外遠征 7月に第33回高校日本代表の
豪州
遠征(2勝2敗)を実施した。
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.94 第1回ラグビーワールドカップ(NZ・豪州)第2戦)
テストNo.94 第1回ラグビーワールドカップ(NZ・
豪州
)第2戦 English 写真 機関誌,イングランド代表○ イングランドに完敗 No.259★94 第1回ラグビーワールドカップ(NZ・
豪州
,次の
豪州
戦を思うと気が重いが、各自が思い切って自分の役割を果たすだけだ」(サンスポ、『ノーサイド』日比野弘 / テストNo.94 第1回ラグビーワールドカップ(NZ・
豪州
)第2戦
年代史・観戦記・その他資料
(日本代表 主要国とのテストマッチ対戦成績)
0 内訳 9 日本 NZ 0 7 内訳 ジュニア戦、マオリ戦除く 10 日本
オーストラリア
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.192 第5回ラグビーワールドカップ(豪州)第4戦)
テストNo.192 第5回ラグビーワールドカップ(
豪州
)第4戦 English 写真 機関誌 平成,-39 アメリカ代表○ 世界の壁、遠い1勝 No.423★192 第5回ラグビーワールドカップ(
豪州
/ テストNo.192 第5回ラグビーワールドカップ(
豪州
)第4戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.189 第5回ラグビーワールドカップ(豪州)第1戦)
テストNo.189 第5回ラグビーワールドカップ(
豪州
)第1戦 English 写真 機関誌 平成,32 スコットランド代表○ 日本全開あと一歩 No.420★189 第5回ラグビーワールドカップ(
豪州
/ テストNo.189 第5回ラグビーワールドカップ(
豪州
)第1戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.190 第5回ラグビーワールドカップ(豪州)第2戦)
テストNo.190 第5回ラグビーワールドカップ(
豪州
)第2戦 English Franç,29-51 フランス代表○ 日本、善戦及ばず No.421★190 第5回ラグビーワールドカップ(
豪州
/ テストNo.190 第5回ラグビーワールドカップ(
豪州
)第2戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.191 第5回ラグビーワールドカップ(豪州)第3戦)
テストNo.191 第5回ラグビーワールドカップ(
豪州
)第3戦 English 写真 機関誌 平成,フィジー代表○ 予選敗退、フィジーの壁崩せず No.422★191 第5回ラグビーワールドカップ(
豪州
/ テストNo.191 第5回ラグビーワールドカップ(
豪州
)第3戦
年代史・観戦記・その他資料
(3 昭和46-55年(1971-80)度)
岡監督は4月に
豪州
コルツを迎えた2試合のテストを24−22、17−17の1勝1分とし、11月の第3回アジア,[14−62ウエールズ代表、23−70カンタベリー・リンカーン大学]だったが、昭和50年(1975)
豪州
遠征,
豪州
、イングランド、ウエールズ、スコットランド、フランスなど、強豪国の代表チームとの実力差は如何ともしがたい,
オーストラリア
連邦を構成する6つの州のひとつ。州都はシドニー。愛称のワラターは州花でもある。
年代史・観戦記・その他資料
(平成30年(2018)12月15日 第56回日本選手権大会決勝)
リチャード・バックマン(ネーピアボーイズ高) 0 DG 0 12 梶村 祐介(明大) 13 アダム・アシュリークーパー(
オーストラリア
カトリック,京産大)⑨、鹿田翔平(流経大)②、重一生(帝京大)⑬ 【サ】北出卓也(東海大)②、セミセ・タラカイ(
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ン・カレッジ
日本ラグビーフットボール史
(《トップリーグ12チームと仕組み(開幕当初)》)
トップリーグ12チームと仕組み(開幕当初)》 トップリーグ開幕元年は、ラグビーワールドカップ2003
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年代史・観戦記・その他資料
(新リーグ リーグワンのスタート)
最終的には、NZからは、代表クラスのダミアン・マッケンジー、パトリック・トゥイプロトゥ、
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年代史・観戦記・その他資料
(平成29年(2017)度)
日本対世界選抜(World XV)27-47 ・11月4日 リポビタンDチャレンジカップ2017 日本対
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,・2018年1月26日~28日 女子 HSBCセブンズワールドシリーズ2017-2018 第2戦
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,・2017年2月4日~5日 男子HSBCセブンズワールドセブンズシリーズ2016-2017 第4戦
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(日本代表国際セブンズ大会全成績(日本代表、日本選抜参加大会のみ))
豪州
シドニー・コンコルドオーバル 優勝:
豪州
(1回目) カップ決勝 ○
豪州
22-10 ●NZ 準決勝,24-19 ●NZフィジアン ○
豪州
29-17 ●
豪州
レジェンド ○
豪州
フィジアン 15-14 ●,セブンズ2002 平成14年2月2~3日
豪州
・ブリスベン 優勝:
豪州
カップ決勝 ○
豪州
28-0,パプアニューギニア 31-17 ●中国 予選プール ●日本 12-34 ○アルゼンチン ●日本 7-21 ○
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,○トンガ 41-0 ●中国 ○日本 29-7 ●パプアニューギニア 予選プール ●日本 5-26 ○
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(パシフィック・リム選手権から)
5/26~6/24 優勝 ジュニアオールブラックス(2回目) 順位 チーム Jrオールブラックス
オーストラリア
,1 ジュニアオールブラックス ○50-0 ○31-10 ○57-8 ○39-13 ○51-3 2
オーストラリア
,得失差 BP 勝点 1 ジュニアオールブラックス 5 0 0 228 34 194 5 25 2
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,日本 トンガ 1 NZマオリ ○21-18 ○17-6 ○11-7 ○65-22 ○20-9 2
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,負 得点 失点 得失差 BP 勝点 1 NZマオリ 5 0 0 134 62 72 1 21 2
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(テストNo.227 第6回ラグビーワールドカップ(フランス他)第1戦)
English 写真 機関誌 平成19年(2007)9月8日 リヨン ●日本代表 3-91
豪州
代表,○
豪州
に何もできず完敗 No.463★227 第6回ラグビーワールドカップ(フランス他)第1戦,戦後最年少となる23歳の佐々木隆道がゲームキャプテンを務めるBチームは
豪州
に玉砕した。,前半
豪州
を3トライに抑えた激しく低いタックル、粘り強いディフェンスは評価できる。,残念ながら攻撃は
豪州
のプレッシャーの前に機能せず、後半は一方的、優勝候補の
豪州
のすごさにまったく何もできずに
日本ラグビーフットボール史
(9.ワールドラグビーU20チャンピオンシップ2015 イタリア大会)
その後、FORUという南半球のU20の交流大会に招待され、U20ニュージーランド、U20
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(7人制日本代表キャップ一覧(女子))
2017-2018第1戦 ドバイ大会 ワールドラグビー女子セブンズシリーズ2017-2018第2戦
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,2020第2戦 ドバイ大会 HSBCワールドラグビー女子セブンズシリーズ2019-2020第5戦
オーストラリア
,2017第2戦 スリランカセブンズ ワールドラグビー女子セブンズシリーズ2017-2018第2戦
オーストラリア
,2020第2戦 ドバイ大会 HSBCワールドラグビー女子セブンズシリーズ2019-2020第5戦
オーストラリア
,2020第2戦 ドバイ大会 HSBCワールドラグビー女子セブンズシリーズ2019-2020第5戦
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(昭和30年(1955)度)
【代表】 日本代表、
豪州
学生代表と3テスト 日本代表は
豪州
学生選抜を迎えて九州、関東、関西でテストマッチ,★12 1956.3.4 ●日本代表 14−16 ○
豪州
学生選抜 平和台 ★13 1956.3.21,●日本代表 8−19 ○
豪州
学生選抜 秩父宮 ★14 1956.3.25 ●日本代表 6−19 ○
豪州
学生選抜,【国際】
豪州
学生選抜が来日
豪州
学生選抜が来日し8勝1敗の成績で帰国した。,全明大が12−11で
豪州
学生を破り気を吐いたが、日本代表は
豪州
学生に3連敗を喫した。
日本ラグビーフットボール史
(1.昭和20年代(1945~1954))
1947年、南アフリカ、NZ、
オーストラリア
の南半球3カ国がIRFBへ加わり、IRFBメンバーユニオン
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