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日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム
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年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.293 リポビタンDチャレンジ2013 ニュージーランド代表来日試合 NZ代表戦)
テストNo.293 リポビタンDチャレンジ2013
ニュージーランド
代表来日試合
NZ
代表戦 English,代表○ No.531★293 リポビタンDチャレンジ2013
ニュージーランド
代表第2回来日
NZ
代表戦,いきなり、ファーストスクラムで
ニュージーランド
ボールをターンオーバーしてみせた事実が象徴しているとおり,、立ち上がりの時間帯、日本は世界一の
ニュージーランド
代表と互角に渡り合ってみせた。,そして、
ニュージーランド
の2人目の寄りは、日本の2人目の寄りよりも明らかに早かった」とスコット・ワイズマンテルヘッドコーチ / テストNo.293 リポビタンDチャレンジ2013
ニュージーランド
代表来日試合
NZ
代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.346 リポビタンDチャレンジ2018 ニュージーランド代表第3回来日 ニュージーランド代表戦)
テストNo.346 リポビタンDチャレンジ2018
ニュージーランド
代表第3回来日
ニュージーランド
代表戦,2018)11月3日 G:味の素スタジアム R:マシュー・カーリー(ENG) ●日本代表 31-69
ニュージーランド
,代表○ No.585★346 リポビタンDチャレンジ2018
ニュージーランド
代表第3回来日
ニュージーランド
,2018年11月3日 G:味の素スタジアム R:マシュー・カーリー(ENG) 日本代表 31 - 69
ニュージーランド
/ テストNo.346 リポビタンDチャレンジ2018
ニュージーランド
代表第3回来日
ニュージーランド
代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.7 NZ大学選抜第1回来日第7戦)
テストNo.7
NZ
大学選抜第1回来日第7戦 English 写真 昭和11年(1936)2月16,日 花園ラグビー場 △日本代表 9-9
NZ
大学選抜△ 第2テスト、ノートライで引き分ける No,「六戦六勝の
ニュージーランド
に全勝を許すか、日本ラグビー界のため万丈の気を吐くかの最後の国際戦である
ニュージーランド
,学生軍対全日本のラグビー試合は二月十六日花園競技場で阿部(主)チェスターマン、三濱(線)審判の下に
ニュージーランド
,先蹴で開始、快晴、無風の絶好のコンディションで観衆も満員、試合は前半日本軍6−0でリードしたが、後半
ニュージーランド
/ テストNo.7
NZ
大学選抜第1回来日第7戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.368 リポビタンDチャレンジカップ2022 NZ代表戦)
T 0 - 5 12分
ニュージーランド
代表 10.リッチー・モウンガ G 0 -,7 19分 日本代表 10.山沢拓也 PG 3 - 7 26分
ニュージーランド
代表,G 3 - 14 32分
ニュージーランド
代表 14.セヴ・リース T 3 -,19 33分
ニュージーランド
代表 10.リッチー・モウンガ G 3 - 21 37分,代表 8.ホスキンス・ソトゥトゥ T 24 - 33 22分
ニュージーランド
代表 10 / テストNo.368 リポビタンDチャレンジカップ2022
NZ
代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.386 リポビタンDチャレンジカップ2024 オールブラックス戦)
代表) 11.マーク・テレア T 7 - 5 13分 オールブラックス(
ニュージーランド
代表,) 10.ダミアン・マッケンジー G 7 - 7 16分 オールブラックス(
ニュージーランド
,代表) 7.サム・ケイン T 12 - 24 26分 オールブラックス(
ニュージーランド
代表,代表) 3.パシリオ・トシ T 12 - 34 35分 オールブラックス(
ニュージーランド
,代表) 9.キャム・ロイガード T 12 - 48 4分 オールブラックス(
ニュージーランド
日本ラグビーフットボール史
(《豪州&NZ大学選抜が相次いで来日》)
オーストラリアといえば当時は、カナダや
ニュージーランド
(
NZ
)と同様、ラグビー創始国であり宗主国英国の,早稲田の場合は1等船客の待遇をうけたのにくらべ、また一段と悪条件(2等船客)であったのだが、これにつづく
ニュージーランド
,【
ニュージーランド
大学選抜(
NZ
U)1936·1·22~2·17】 ,
ニュージーランド
大学選抜(
NZ
U)が1936(昭和11)年1月22日長崎入港の北野丸で日本にやってきた,・11 関西学生 8−23
NZ
U 花園 ⑦2・16 日本学生 9−9
NZ
U 花園 / 《豪州&
NZ
大学選抜が相次いで来日》
日本ラグビーフットボール史
(スーパーラグビーとは)
その前身は南半球の南アフリカ協会、
ニュージーランド
協会、オーストラリア協会が共同で設立したジョイントベンチャー,年には、再びオーストラリアの1チームの参戦によって、南アフリカの6チーム、オーストラリアの4チーム、
ニュージーランド
,一つはスーパーラグビーの事業であり、もう一つは南アフリカ、
ニュージーランド
、オーストラリアにアルゼンチン,アルゼンチンの参戦により、SA
NZ
ARは2016シーズンからその名称をSA
NZ
AARに変更している。,シンガポールにはもともと「アジアンドラゴンズ」というエクパッツ(オーストラリア、
ニュージーランド
、アイランダーズ
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.42 NZ遠征1974第9戦)
テストNo.42
NZ
遠征1974第9戦 English 写真 機関誌 昭和49年(1974)5月,19日 オークランド ●日本代表 31-55
NZ
代表ジュニア○ すごい“気迫”の突進、日本代表追撃,ならず No.107★42
NZ
遠征1974第9戦 1974年5月19日 G:オークランド R:C.P,.グレガン KO14:30 日本代表 31 − 55
NZ
代表ジュニア 1 高田 司(トヨタ) 10,『この前は“サカタ”で沸いた
ニュージーランド
が、今度は“ウエヤマ”、“フジワラ”でたいへんです』」(サンスポ / テストNo.42
NZ
遠征1974第9戦
日本ラグビーフットボール史
(《黒衣のパワフル3軍団》)
《黒衣のパワフル3軍団》 このあと日本協会はフランスのパリ大学クラブ「ピュック」、
ニュージーランド
大学選抜,(
NZ
U)、カンタベリー大学(
NZ
)、ダブリン大学(日本代表との対戦はなし)、イングランド大学代表、アイルランド,(
NZ
大学選抜)、そしてカンタベリー大学の
ニュージーランド
が誇る黒衣の軍団である。 ,またコリン.E.ミーズは55キャップを保持するばかりか、南アフリカでの第3回ワールドカップには
ニュージーランド
,オールブラックスコルツとともに日本で猛威をふるったのが、やはり
NZ
U(
ニュージーランド
大学選抜)である
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.76 3国対抗(イングランド学生代表第1回・NZ大学選抜第6回来日)第10戦)
テストNo.76 3国対抗(イングランド学生代表第1回・
NZ
大学選抜第6回来日)第10戦 English,● 国内で初めて
NZ
Uを破る No.198★76 3国対抗(イングランド学生代表第1回・
NZ
大学選抜第,「『ここで我々が
NZ
Uに負けたら、日本のラグビーは壊滅だ。死力を尽くそう』。,二十三日のES対
NZ
Uの試合を見て『止めるところをきちんと止めれば
ニュージーランド
に勝てる』(日比野監督,(中略)
NZ
Uの力のラグビーに対抗した日本代表の走るラグビー。 / テストNo.76 3国対抗(イングランド学生代表第1回・
NZ
大学選抜第6回来日)第10戦
日本ラグビーフットボール史
(《W杯と日本代表チームの記録 第1回大会~第5回大会》)
W杯と日本代表チームの記録 第1回大会~第5回大会》 【第1回大会】 ▼開催国:オーストラリア・
ニュージーランド
,、アメリカ、日本(3戦全敗) ▽プール2:ウェールズ、アイルランド、カナダ、トンガ ▽プール3:
ニュージーランド
,③6.3●日本23−42オーストラリア○(シドニー) 決勝トーナメント ①6.6準々決勝○
ニュージーランド
,49−6ウェールズ●(ブリスベン) ①6.20決勝○
ニュージーランド
29−9フランス●(オークランド,●(ダブリン) ③10.30 3位決定戦○
ニュージーランド
13−6スコットランド●(カーディフ
日本ラグビーフットボール史
(《初遠征でオールブラックスJr.を破る》)
日本代表の次の遠征地はラグビー王国を自負する南半球の
ニュージーランド
(
NZ
)となった。,カナダとともに
NZ
は戦前から交流のあった友好国。,それも日本協会に招待状を送ってきたのは戦前に来日した
NZ
大学選抜(
NZ
U)の派遣母体でもある
NZ
大学評議会,試合③宿泊はすべて
NZ
の一般家庭にホームステーする―条件が付帯していた。,そして、初めの五戦は負けましたが、六戦目からずっと勝って、オール・ブラックス・ジュニアという、
ニュージーランド
年代史・観戦記・その他資料
(昭和10年(1935)度)
昭和10年(1935)度 English Español 37シーズン目 【代表】
NZ
U,と2テストマッチ 北島忠治監督率いる日本代表は、昭和11年2月に初来日した
NZ
大学選抜(
NZ
U)と2テストマッチ,★6 1936.2.9 ●日本代表 8−16 ○
NZ
大学選抜 神宮競技場 ★7 1936.2.16 △,日本代表 9−9 △
NZ
大学選抜 花園 【大学】 明大2回目の全国制覇 明大がダブリンシステム[7人,【国際】
ニュージーランド
大学選抜(
NZ
U)が初来日(6勝1分) いまも交流が続く
NZ
Uの初来日であった
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.128 第3回ラグビーワールドカップ(南アフリカ)第3戦)
English 写真 機関誌 平成7年(1995)6月4日 ブルームフォンティン ●日本代表 17-145
NZ
,代表○
NZ
に最多失点記録で敗れる No.341★128 第3回ラグビーワールドカップ(南アフリカ,:ブルームフォンティン R:G.ガディオビッチ(C) KO 15:00 日本代表 17 − 145
NZ
,「日本は
ニュージーランド
に大会史上最多失点となる17−145の記録的な大差で惨敗した。,日本のテストマッチ史上でも1987年の
NZ
戦の4−106を上回る最多失点となった。
年代史・観戦記・その他資料
(平成23年(2011)度)
・RWC2019組織委員会はRWC2011
NZ
大会を視察し2019年RWCに向けた準備を開始した。,【代表】 RWC2011
ニュージーランド
大会開催、日本代表1分3敗 ・4月30日~5月13日 HSBC,アメリカ20-14 2勝以上も目標にラグビー王国に乗り込んだ ・9月RWC2011(
ニュージーランド
,)開催、日本対フランス21-47、日本対
ニュージーランド
7-83、日本対トンガ18-31、日本対カナダ,【女子】 ・4月30日 HSBCアジア5日カ国対抗 日本対香港15-0 【国際】 日本A代表
ニュージーランド
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.269 リポビタンDチャレンジ2011 RWC2011 NZ大会 壮行試合 アメリカ代表戦)
テストNo.269 リポビタンDチャレンジ2011 RWC2011
NZ
大会 壮行試合 アメリカ代表戦,20-14 アメリカ代表● No.507★269 リポビタンDチャレンジ2011 RWC2011
NZ
,初戦(フランス)、2戦目(
ニュージーランド
)は激しい試合で接戦に持ち込みたい。,ジャパンのラグビーがこれだけ成長したということを世界に示したい」 W杯(9月9日開幕・
ニュージーランド
/ テストNo.269 リポビタンDチャレンジ2011 RWC2011
NZ
大会 壮行試合 アメリカ代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.270 第7回RWC2011 NZ大会 第1戦 フランス代表戦)
テストNo.270 第7回RWC2011
NZ
大会 第1戦 フランス代表戦 English Fran,(AUS) ●日本代表 21-47 フランス代表○ No.508★270 第7回RWC2011
NZ
,
ニュージーランド
の観客は日本がいいチームだと分かってくれたと思う」 / テストNo.270 第7回RWC2011
NZ
大会 第1戦 フランス代表戦
日本ラグビーフットボール史
(結語)
これは、当時の
ニュージーランド
(
NZ
)協会の好意により、英国でのルールの改正について、まず、
NZ
協会に
日本ラグビーフットボール史
(スーパーラグビー参戦の条件)
としての我々はスーパーラグビーチームの運営については何の知識も持ち合わせなかったため、一から十までSA
NZ
AAR,我々の要請や要望に対して、SA
NZ
AARは実に真摯に向き合ってくれた。,SA
NZ
AARからの要求を整理すると、概ね以下の7つのカテゴリーに分けることができる。 ,我々が奔走する中、元
ニュージーランド
代表で、スーパーラグビーにおいて選手や指導経験のあるマーク・ハッメット,(3)活動拠点の整備 SA
NZ
AARのフランチャイズには、活動拠点が求められる。
日本ラグビーフットボール史
(《ジャパンを支えるエージグループの強化》)
急造チームながら第1、2戦のアルゼンチン、
ニュージーランド
に敗れたものの、イタリア、フィジーに勝ったあと,翌第31回大会(ウェールズ、スイス)では
ニュージーランド
、イングランドも加わり、世界的なユースの大会へと,ランクされたが、前回の11位のU19日本代表が13位扱いとなったのは、日本選手団団長川村幸治によると「
ニュージーランド
,グループ分けではカナダ(前回4位)、
ニュージーランド
(5位扱い)、ルーマニア(前回10位も今大会の扱いは
日本ラグビーフットボール史
(2009 JWC試合結果)
5-22) 7-12 (0-12) 15-21 (5-21) 54-17 (40-0) 優勝は
ニュージーランド
日本ラグビーフットボール史
(2008 JWC試合結果)
10-33 (0-26) 20-24 (17-3) 5-17 44-8 (19-3) 優勝は
ニュージーランド
日本ラグビーフットボール史
(ルール改正の変遷)
ルール改正の変遷 2007年ラグビーワールドカップ(以下、RWC)フランス大会以降、2011年RWC
ニュージーランド
日本ラグビーフットボール史
(《日本をわかせた世界のスーパーチームが来日》)
スーパーチームが来日》 ユニセフ協会の呼びかけで世界の2強といわれるオーストラリア代表ワラビーズと
ニュージーランド
,旱魃に苦しむ北東アフリカのこどもたちへの募金活動にオーストラリア代表ワラビーズと
ニュージーランド
代表オールブラックス
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.271 第7回RWC2011 NZ大会 第2戦 NZ代表戦)
テストNo.271 第7回RWC2011
NZ
大会 第2戦
NZ
代表戦 English 写真 機関誌,2011)9月16日 G:ハミルトン R:ナイジェル・オーウェンズ(WAL) ●日本代表 7-83
NZ
,代表○ No.509★271 第7回RWC2011
NZ
大会 第2戦
NZ
代表戦 2011年9月16,9月16日、ハミルトンのワイカトスタジアムで
NZ
代表オールブラックスとの対戦。,後半に入っても前半の途中から
NZ
に傾いた流れは、基本的には変わらなかった。 / テストNo.271 第7回RWC2011
NZ
大会 第2戦
NZ
代表戦
日本ラグビーフットボール史
(《はじめに》)
○ また全香港の来日によって開かれた国際交流の扉は、つづいて2ヶ月後の同年3月に朝鮮駐留の
ニュージーランド
,日本ラグビー史は
ニュージーランド
代理公使R.L.G.チャリスの話として、KayForceの実力を「…在朝鮮部隊,選抜編成されたものだが、その実力は本国のクラブ・チーム程度のもので、地区代表チームまでの力はなく、むろん
ニュージーランド
日本ラグビーフットボール史
(②育成環境の整備)
プレーヤーの育成においても国際化を視野に入れ、スポーツ庁委託事業として女子高校生の国際交流プログラム(
ニュージーランド
日本ラグビーフットボール史
(リオ五輪)
予選ラウンドで対戦する
ニュージーランド
、ケニア、グレートブリテンに対して、日本が、最も主導権を握ることができる,この準備こそが、金メダル候補の
ニュージーランド
を破り、トップ4という成果につながった。
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.26 NZ遠征1968第10戦)
テストNo.26
NZ
遠征1968第10戦 English 写真 昭和43年(1968)6月8日 ,ウエリントン ●日本代表 16-25
NZ
大学選抜○ あと一歩及ばず No.53★26
NZ
遠征,今回も
NZ
での最終戦で健闘したが惜しくも逆転負けした。,
NZ
で10試合戦うことは疲労も蓄積しコンディションづくりも難しい。 ,後半10分、28分に
NZ
Uオカラハンがトライ、31分PGで
NZ
Uが逆転、35分日本川崎が相手キックを好 / テストNo.26
NZ
遠征1968第10戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.25 NZ遠征1968第8戦)
○日本代表 23-19
NZ
代表ジュニア● 日本歴史的勝利 No.51★25
NZ
遠征1968,前半2分
NZ
、PG成功0−3。,7分
NZ
のオフサイドで桂口PG成功、3−8。,27分
NZ
PG成功、14−11。,34分
NZ
ラインアウトから展開してパンサーがトライ、23−19。 / テストNo.25
NZ
遠征1968第8戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.73 NZ遠征1982第6戦)
テストNo.73
NZ
遠征1982第6戦 English 写真 機関誌 昭和57年(1982)5月,16日 ウエリントン ●日本代表 20-35
NZ
大学選抜○
NZ
Uに競り負け No.191★73,
NZ
遠征1982第6戦 1982年5月16日 G:ウェリントン R:ブリガン KO時間不明 日本代表,20 − 35
NZ
大学選抜 1 石山 次郎(釜石) 10 前 14 1 マーク・グレイ 2 井上,
NZ
Uは12日に
NZ
の大学チャンピオン、ウエリントン大学に大勝したので「日本の勝利は無理」という予想だった / テストNo.73
NZ
遠征1982第6戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.74 NZ遠征1982第10戦)
テストNo.74
NZ
遠征1982第10戦 English 写真 機関誌 昭和57年(1982)5,月30日 プケコヘ ●日本代表 6-22
NZ
大学選抜○ 日本代表最終戦飾れず No.195★74,
NZ
遠征1982第10戦 1982年5月30日 G:プケコヘ R:ビーチ KO時間不明 日本代表 6,
NZ
大学ラグビー評議会のビル・クラーク会長は「今年の
NZ
UはFWが重いがよく走る歴史に残るチームだ」と,日本は
NZ
UのFW、BK一体となった猛攻を5トライに抑えるのが精一杯。 / テストNo.74
NZ
遠征1982第10戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.29 NZ大学選抜第3回来日第3戦)
テストNo.29
NZ
大学選抜第3回来日第3戦 English 機関誌 昭和45年(1970)3月,8日 秩父宮ラグビー場 ●日本代表 6-16
NZ
大学選抜○ またも
NZ
Uの牙城破れず No.68,★29
NZ
大学選抜第3回来日第3戦 1970年3月8日 G:秩父宮ラグビー場 R:堤和久 KO 14,:30 日本代表 6 − 16
NZ
大学選抜 1 川崎 守央(近鉄) 3 前 5 1 アラン・マクレラン,14 マイク・オカラハン 15 萬谷 勝治(トヨタ) 15 エバン・テイラー 得点:PG山口2
NZ
/ テストNo.29
NZ
大学選抜第3回来日第3戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.41 NZ遠征1974第7戦)
テストNo.41
NZ
遠征1974第7戦 English 写真 機関誌 昭和49年(1974)5月,12日 ダニーデン ●日本代表 31-40
NZ
大学選抜○ 日本代表あと一息 後半力尽きて惜敗,No.105★41
NZ
遠征1974第7戦 1974年5月12日 G:ダニーデン R:D.H.ミラー ,KO時間不明 日本代表 31 − 40
NZ
大学選抜 1 高田 司(トヨタ) 19 前 19 C1,日本代表はまだ白星のない
NZ
Uをあわやというところまで追い込んだが、31−40で惜敗した。 / テストNo.41
NZ
遠征1974第7戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.24 NZ大学選抜第2回来日第9戦)
テストNo.24
NZ
大学選抜第2回来日第9戦 English 新聞記事 機関誌 昭和42年(1967,)3月21日 秩父宮ラグビー場 ●日本代表 8-55
NZ
大学選抜○ 第2テストはボロ負け No,.41★24
NZ
大学選抜第2回来日第9戦 1967年3月21日 G:秩父宮ラグビー場 R:江田昌佑 ,KO 13:30 日本代表 8 − 55
NZ
大学選抜 1 天明 徹(東京三洋) 0 前 21 1,日本はこの教訓を生かして、翌年の遠征で
NZ
ジュニアを破り、
NZ
のみならず世界をアッと驚かせる。 / テストNo.24
NZ
大学選抜第2回来日第9戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.23 NZ大学選抜第2回来日第5戦)
テストNo.23
NZ
大学選抜第2回来日第5戦 English 新聞記事 機関誌 昭和42年(1967,)3月12日 花園ラグビー場 ●日本代表 3-19
NZ
大学選抜○
NZ
Uの壁厚し No.40★,23
NZ
大学選抜第2回来日第5戦 1967年3月12日 G:花園ラグビー場 R:江田昌佑 KO 14,:30 日本代表 3 − 19
NZ
大学選抜 1 川崎 守央(近鉄) 0 前 11 1 ピーター・ヘイ,継がれている選手たちが揃う、
NZ
Uの歴史上最強力チームだった。 / テストNo.23
NZ
大学選抜第2回来日第5戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.30 NZ大学選抜第3回来日第5戦)
テストNo.30
NZ
大学選抜第3回来日第5戦 English 機関誌 昭和45年(1970)3月,15日 花園ラグビー場 ●日本代表 14-28
NZ
大学選抜○ 第2テストも惜敗 No.69★30,
NZ
大学選抜第3回来日第5戦 1970年3月15日 G:花園ラグビー場 R:牧弥太郎 KO 14:30,日本代表 14 − 28
NZ
大学選抜 1 川崎 守央(近鉄) 3 前 19 1 アラン・マクレラン,この試合は、まさに
NZ
Uを射程距離に追いつめての惜敗だといえる。 / テストNo.30
NZ
大学選抜第3回来日第5戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.6 NZ大学選抜第1回来日第5戦)
テストNo.6
NZ
大学選抜第1回来日第5戦 English 写真 昭和11年(1936)2月9日, 神宮競技場 ●日本代表 8-16
NZ
大学選抜○ 日本代表第1テストに惜敗 No.14★6
NZ
,5戦 1936年2月9日 G:神宮競技場 R:中村米次郎 KO 14:35 日本代表 8 − 16
NZ
,前半15分
NZ
Uハイパントを取った木下をつぶしウィルソンがトライ。,39分
NZ
Uワットが快走左中間にトライ、ゴール成功、日本8−16で敗れる。 / テストNo.6
NZ
大学選抜第1回来日第5戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.50 NZ大学選抜第4回来日第4戦)
テストNo.50
NZ
大学選抜第4回来日第4戦 English 写真 機関誌 昭和51年(1976,)3月28日 国立競技場 ●日本代表 6-45
NZ
大学選抜○ 日本代表も歯が立たず No.131,★50
NZ
大学選抜第4回来日第4試合 1976年3月28日 G:国立競技場 R:町井徹郎 KO 14,:30 日本代表 6 − 45
NZ
大学選抜 1 高田 司(トヨタ) 6 前 9 C1 ポール・サブスフォード,今シリーズで日本の各チームはバックスへの貴重なボール供給源であるスクラムで
NZ
Uの押しに苦しんだ。 / テストNo.50
NZ
大学選抜第4回来日第4戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.65 NZ大学選抜第5回来日第4戦)
テストNo.65
NZ
大学選抜第5回来日第4戦 English 写真 機関誌 昭和55年(1980,)3月25日 国立競技場 △日本代表 25-25
NZ
大学選抜△ 劇的スクラムトライ No.163,★65
NZ
大学選抜第5回来日第4戦 1980年3月25日 G:国立競技場 R:野々村博 KO 14:,
NZ
Uはいままでになくスクラムが劣勢だった。,
NZ
のチームに勝てると言わずイングランドのチームにというホクリーさんの談がおもしろい。 / テストNo.65
NZ
大学選抜第5回来日第4戦
日本ラグビーフットボール史
(《U19世界大会で初の7位に》)
なお、2004年のダーバン大会でアイルランドの選手が大会初日の
ニュージーランド
との試合中に亡くなるという
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.43 NZ遠征1974第11戦)
テストNo.43
NZ
遠征1974第11戦 English 写真 機関誌 昭和49年(1974)5,月26日 ウエリントン ○日本代表 24-21
NZ
大学選抜● 宿願の金星 大学選抜を破る No,.109★43
NZ
遠征1974第11戦 1974年5月26日 G:ウエリントン R:G.ハリソン KO14,:45 日本代表 24 − 21
NZ
大学選抜 1 高田 司(トヨタ) 16 前 7 1 K.ランバート,スティーブンス 交代【日】伊藤忠幸(リコー)⑮ 得点:T有賀3、森、藤原、G植山2 日本のチームが
NZ
U / テストNo.43
NZ
遠征1974第11戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.97 NZ代表第1回来日第2戦)
テストNo.97
NZ
代表第1回来日第2戦 English 写真 機関誌 昭和62年(1987)10,月25日 花園ラグビー場 ●日本代表 0-74
NZ
代表○ ボールが取れずにお手上げ No.262,★97
NZ
代表オールブラックス第1回来日第2戦 1987年10月25日 G:花園ラグビー場 R:C.,ハイ(E) KO 14:00 日本代表 0 − 74
NZ
代表 1 八角 浩司(トヨタ) 0 前 20,向井 昭吾(東芝府中) 15 ジョン・ギャラハー 第1回のW杯を制して名実ともに世界一になった
NZ
/ テストNo.97
NZ
代表第1回来日第2戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.98 NZ代表第1回来日第4戦)
テストNo.98
NZ
代表第1回来日第4戦 English 写真 機関誌 昭和62年(1987)11,月1日 国立競技場 ●日本代表 4-106
NZ
代表○ ケタ違い! ,106点 No.263★98
NZ
代表オールブラックス第1回来日第4戦 1987年11月1日 G:国立競技場, R:フィッツジェラルド(A) KO 14:00 日本代表 4 − 106
NZ
代表 1 木村 敏隆(,ジョン・ギャラハー 交代【日】村井大次郎(丸紅)⑮ 得点:T沖土居 真の世界一とはこんなものだと
NZ
/ テストNo.98
NZ
代表第1回来日第4戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.32 3国対抗(NZU・カナダBC・日本)第3戦)
テストNo.32 3国対抗(
NZ
U・カナダBC・日本)第3戦 English 写真 機関誌 昭和45,年(1970)3月29日 秩父宮ラグビー場 ●日本代表 14-46
NZ
大学選抜○ 3国対抗、
NZ
U,に完敗 No.71★32 3国対抗(
NZ
U・カナダBC.,カナダに比べて
NZ
Uのプレーは強靭さ、正確さ、集散の速さで優る。,
NZ
遠征のときより彼らのモールが進歩した点はここにある。 / テストNo.32 3国対抗(
NZ
U・カナダBC・日本)第3戦
年代史・観戦記・その他資料
(平成19年(2007)度)
また
NZ
代表OBチームが来日、日本代表と熱戦を演じて日本のファンを魅了した。,日本代表 3−13 ○サモア代表 ユアテック仙台 ★225 2007.6.24 ●日本代表 3−51 ○
NZ
,アルゼンチンが地元フランスを破ってベスト4に進み喝采を浴びたのに対し、優勝候補と目された
ニュージーランド
,【国際】
NZ
U12回目の来日 4月、
NZ
Uは31−15日本U21代表、39−17日本U23代表、32
日本ラグビーフットボール史
(《日本代表の遠征を総括すると》)
また南半球遠征では
ニュージーランド
と豪州、アメリカ大陸でもカナダとアメリカなど、隣接の国、あるいは近隣,日本協会の記録によると、さきに詳述したオールブラックスJr.戦と
NZ
U戦は、ともにテストマッチと認定されているが,また日本代表は3次にわたって
NZ
に遠征しているが、オールブラックスとの対戦が一度も組まれていないのも同国
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.15 NZ代表コルツ(U23)第1回来日第3戦)
テストNo.15
NZ
代表コルツ(U23)第1回来日第3戦 English 写真 新聞記事 機関誌,昭和33年(1958)3月2日 平和台競技場 ●日本代表 3-34
NZ
代表コルツ○
NZ
コルツの,突進防げず No.26★15
NZ
代表コルツ(U23)第1回来日第3戦 1958年3月2日 G:平和台競技場, R:川田大介 KO 14:30 日本代表 3 − 34
NZ
代表コルツ 1 貝元(南)義明(近鉄),福岡での第1テストでは、日本は新井の1PGのみでノートライに終わり、
NZ
に10トライを奪われて完敗した / テストNo.15
NZ
代表コルツ(U23)第1回来日第3戦
年代史・観戦記・その他資料
(明治41年(1908)度)
「折しもあれ明治四十一年の春、当時京都の帝大におられたクラーク先生から
ニュージーランド
遠征軍のキャプテン
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.17 NZ代表コルツ(U23)第1回来日第9戦)
テストNo.17
NZ
代表コルツ(U23)第1回来日第9戦 English 写真 新聞記事 機関誌,昭和33年(1958)3月23日 秩父宮ラグビー場 ●日本代表 3-56
NZ
代表コルツ○ 完膚なきまでに,叩かれる No.28★17
NZ
代表コルツ(U23)第1回来日第9戦 1958年3月23日 G:秩父宮,ラグビー場 R:川田大介 KO 14:30 日本代表 3 − 56
NZ
代表コルツ 1 小林 清(明大,日本は前半36分にSH斉藤がチャージしたボールをFL尾崎が押さえた1トライだけで
NZ
コルツに12トライ / テストNo.17
NZ
代表コルツ(U23)第1回来日第9戦
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