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年代史・観戦記・その他資料
(全国社会人大会(全55回)の成績)
優勝回数トップは
八幡製鉄
の12回、初期に黄金期を迎えていたとはいえ、第42回大会以降14年間出場できなかった,トヨタ自工) 50回 3 三洋電機(旧東京三洋) 36回 4 神戸製鋼 34回 5 リコー 32回 6
新日鉄八幡
,(旧
八幡製鉄
) 30回 6 新日鉄釜石(旧富士鉄釜石) 30回 6 大阪府警 30回 9 九州電力 28,回 10 東芝府中 26回 優勝チームおよび優勝回数(引き分け優勝を含む) 1
新日鉄八幡
(旧
八幡製鉄
,8=2点、出場=1点) 1 近畿日本鉄道 140点 2 トヨタ自動車(旧トヨタ自工) 137点 3
新日鉄八幡
年代史・観戦記・その他資料
(3 YC&ACセブンズ)
この大会でも
新日鉄八幡
[
八幡製鉄
時代を含む]が最多優勝を記録している。,優勝回数 12回
新日鉄八幡
(前
八幡製鉄
) 5回 トヨタ自動車(前トヨタ自工)、東芝府中 3回 三洋電機,12回 昭和45年(1970)4.12 ○
新日鉄八幡
21-5 ●トヨタ自動車 不明 第13回 昭和46,-16 ●日体大 ○法大 18-11 ●エーコンクラブ 第14回 昭和47年(1972)4.16 ○
新日鉄八幡
,38-10 ●早大 ○東京三洋 20-12 ●慶大 第15回 昭和48年(1973)4.8 ○
新日鉄八幡
年代史・観戦記・その他資料
(決勝記録一覧)
○三井化学 39−0 ●住友奔別 花園ラグビー場 杉本 彰 第3回 昭和26年(1951)1.5 ○
八幡製鉄
,32−0 ●トヨタ自工 瑞穂ラグビー場 小林忠郎 第4回 昭和27年(1952)1.6 ○
八幡製鉄
,11−3 ●近畿日本鉄道 松山市堀之内 山地 翆 第5回 昭和28年(1953)1.5 ○
八幡製鉄
15,19−0 ●大映 松山市堀之内 杉本 彰 第8回 昭和31年(1956)1.6 ○
八幡製鉄
24−5,花園ラグビー場 宇野憲治 第15回 昭和38年(1963)1.8 ○
八幡製鉄
19−3 ●谷藤機械
年代史・観戦記・その他資料
(昭和35年(1960)度)
【NHK杯】 NHK杯は
八幡製鉄
の手に 第1回NHK杯は
八幡製鉄
が50−13で日大を下し初の王座に輝いた,【社会人】
八幡製鉄
が3連覇 第13回社会人大会は、
八幡
が近鉄との3年連続決勝対決を3−0で制し3連覇,【国際】
八幡製鉄
カナダ遠征(4勝2敗) 日本一になった
八幡製鉄
が先陣を切って本格的な海外遠征を行った
年代史・観戦記・その他資料
(昭和26年(1951)度 第4回社会人大会決勝)
第4回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和27年(1952)1月6日 松山市堀之内ラグビー場 ○
八幡製鉄
,11-3 近畿日本鉄道●
八幡
、近鉄を破り2連覇 昭和26年(1951)度 第4回社会人大会決勝,1952年1月6日 G:松山市堀之内 R:山地 翆 KO 不明
八幡製鉄
11 - 3 近畿日本鉄道,『近鉄ラグビー部50年史』&『
八幡製鉄
ラグビー部70年史』によると、くしくも、ともに昭和2年(1927,大映、トヨタを撃破した
八幡
と、住友奔別、神鋼を破った近鉄との対戦は、
八幡
が11−3で順当な勝利を収めたが
日本ラグビーフットボール史
(《前身はNHK杯》)
対戦カードは社会人大会優勝の
八幡製鉄
と関東大学チャンピオンの日大戦。,試合は50-13の大差で
八幡製鉄
が快勝。,選手権への出場資格は社会人1、2位の
八幡製鉄
、近鉄と大学の東西各1位の法政、同志社の4チーム。,結果は関西大学チャンピオンの同志社が
八幡製鉄
、近鉄の社会人を連破して日本選手権初代チャンピオンの座についた,この大切な二つのゲーム(
八幡製鉄
戦と近鉄戦)に常に選手が持てる力を十分に出しきったということなのです。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和25年(1950)度 第3回社会人大会決勝)
(1950)度 第3回社会人大会決勝 写真 昭和26年(1951)1月5日 瑞穂ラグビー場 ○
八幡製鉄
,32-0 トヨタ自工●
八幡
時代の幕開け 昭和25年(1950)度 第3回社会人大会決勝 1951,年1月5日 G:瑞穂ラグビー場 R:小林忠郎 KO 13:35
八幡製鉄
32 - 0 トヨタ自工 1,10 C14 森 正一(慶大) 15 野見山 可邦(明大) 15 岩崎(朝倉)巽(松坂工)
八幡製鉄
,このあと黄金時代に入り、
八幡
がラグビーの代名詞といわれる時代を迎える。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和37年(1962)度)
【NHK杯】 優勝は
八幡製鉄
第3回NHK杯は社会人大会で2年ぶり9回目の優勝を果たした
八幡製鉄
が25,【社会人】
八幡製鉄
が優勝 第15回全国社会人大会は
八幡
が19−3で谷藤機械を下し2年ぶり9回目の優勝,/
八幡製鉄
、豪州・NZ遠征(6勝4敗) 5月9日~6月16日に
八幡製鉄
が豪州とNZへ遠征した。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和39年(1964)度)
【選手権】
八幡製鉄
日本一に 第2回日本選手権は
八幡
が15−6で法大を下し初の日本一に輝いた。,【社会人】
八幡製鉄
が3連覇 第17回社会人大会は
八幡製鉄
が25−3でトヨタ自工を破り3年連続11回目,その他の成績は全同大14−15、トヨタ自工8−16、
八幡製鉄
3−6、全明大8−27、全慶大10−19。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和29年(1954)度 第7回社会人大会決勝)
第7回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和30年(1955)1月6日 松山市堀之内ラグビー場 ○
八幡製鉄
,19-0 大映●
八幡
、2年ぶり4回目の優勝 昭和29年(1954)度 第7回社会人大会決勝 1955,年1月6日 G:松山市堀之内 R:杉本 彰 KO 14:00
八幡製鉄
19 - 0 大映 1 小林 ,のトライ(ゴール)で10−0とリードを広げ、試合は徐々に
八幡
ペースとなった。,その後、
八幡
が3トライを加えて19−0と完勝した。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和35年(1960)度 第13回社会人大会決勝)
回社会人大会決勝 新聞記事 写真 機関誌 昭和36年(1961)1月8日 秩父宮ラグビー場 ○
八幡製鉄
,3-0 近畿日本鉄道●
八幡
、近鉄との3年連続決勝対決に勝つ 昭和35年(1960)度 第13回社会人大会決勝,1961年1月8日 G:秩父宮ラグビー場 R:川田大介 KO 14:00
八幡製鉄
3 - 0 近畿日本鉄道,) 0 G 0 C10 上坂 桂造(同大) 11 筒井 清(
八幡
高) 0 PG 0 11 神庭 正生,
八幡
は社会人2連覇を記念して、9月にカナダ遠征を行い4勝2敗の成績で帰国した。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和39年(1964)度 第17回社会人大会決勝)
回社会人大会決勝 新聞記事 写真 機関誌 昭和40年(1965)1月8日 秩父宮ラグビー場 ○
八幡製鉄
,25-3 トヨタ自工●
八幡
、トヨタを破り3度目の3連覇 昭和39年(1964)度 第17回社会人大会決勝,1965年1月8日 G:秩父宮ラグビー場 R:西山常夫 KO 14:00
八幡製鉄
25 - 3 トヨタ,
八幡
は近鉄の抵抗に最後まで苦しんだが、8−3で退け決勝に臨んだ。,
八幡
はこのあと第2回日本選手権で法大を18−6で破って初の日本一の栄冠に輝いた。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和41年(1966)1月15日 第3回日本選手権試合)
1966)1月15日 第3回日本選手権試合 新聞記事 機関誌 花園ラグビー場 ○早大 12-9
八幡製鉄
,回日本選手権 1966年1月15日 G:花園ラグビー場 R:丹羽 正 KO 14:00 早大 12 - 9
八幡製鉄
,
八幡
は前半1分、中央ゴール前のPGを伊野が決めて先制する。,早大は22分、
八幡
ゴール前のスクラムからWTB吉田が左スミにトライを返す。,
八幡
は後半19分、ゴール前スクラムで、早大石井のキックをチャージした滝口の好プレーから、FL植木が左中間
年代史・観戦記・その他資料
(昭和36年(1961)1月29日 第1回日本協会招待NHK杯)
36年(1961)1月29日 第1回日本協会招待NHK杯 新聞記事 機関誌 秩父宮ラグビー場 ○
八幡製鉄
,50-13 日大●
八幡
、学生代表の日大に圧勝 昭和35年(1960)度 第1回NHK杯 1961,年1月29日 G:秩父宮ラグビー場 R:川田大介 KO
八幡製鉄
50 - 13 日大 1 吉村 靖俊,25分には
八幡
FL植木が日大のキックをチャージしてトライ(ゴール)をあげ追いつく。,
八幡
が1T、1G、日大が1Tを加えて前半は
八幡
10−8日大と大接戦。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和33年(1958)度 第11回社会人大会決勝)
度 第11回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和34年(1959)1月8日 秩父宮ラグビー場 ○
八幡製鉄
,9-0 近畿日本鉄道●
八幡
、近鉄に雪辱して6回目の優勝 昭和33年(1958)度 第11回社会人大会決勝,1959年1月8日 G:秩父宮ラグビー場 R:川田大介 KO 14:00
八幡製鉄
9 - 0 近畿日本鉄道,
八幡
は日本のエース宮井国夫が入社2年目にしてブレイクした。,9−0と接戦に見えるが、当時のトライは3点、3トライをあげて完封したのだから
八幡
の完勝といえる。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和34年(1959)度 第12回社会人大会決勝)
)度 第12回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和35年(1960)1月8日 花園ラグビー場 ○
八幡製鉄
,13-3 近畿日本鉄道●
八幡
、近鉄を下して2連覇 昭和34年(1959)度 第12回社会人大会決勝,1960年1月8日 G:花園ラグビー場 R:宇野憲治 KO 14:30
八幡製鉄
13 - 3 近畿日本鉄道,近鉄はホームグラウンドでの開催であり、どうしても勝ちたい試合だったが、
八幡
の牙城を崩せなかった。,前半は
八幡
内村のPGのみ。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和40年(1965)度 第18回社会人大会決勝)
18回社会人大会決勝 新聞記事 写真 機関誌 昭和41年(1966)1月8日 花園ラグビー場 ○
八幡製鉄
,1966年1月8日 G:花園ラグビー場 R:宮崎俊行 KO 14:00
八幡製鉄
8 - 3 近畿日本鉄道,またも
八幡
・近鉄の対決に花園は沸いたが、結果は2トライをあげた
八幡
に一日の長があり、1DGに終わった近鉄,
八幡
はまた相手をノートライに封じて優勝を果たしたのだ。,後半8分、
八幡
はラインアウトから左に回し滝口が左コーナーに飛び込んだ。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和40年(1965)1月15日 第2回日本選手権試合)
昭和40年(1965)1月15日 第2回日本選手権試合 新聞記事 機関誌 秩父宮ラグビー場 ○
八幡製鉄
,15-6 法大● 老練
八幡
、若さの法大を突き放す 昭和39年(1964)度 第2回日本選手権試合,1965年1月15日 G:秩父宮ラグビー場 R:西山常夫 KO
八幡製鉄
15 - 6 法大 1 吉村,ペースに乗った
八幡
はさらに連続攻撃から山岡、滝口の両WTBがトライをあげる
八幡
らしい攻撃で9−0とリード,後半は法大WTB水谷が
八幡
のパスミスを突いてドリブルでトライ。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和27年(1952)度 第5回社会人大会決勝)
1952)度 第5回社会人大会決勝 機関誌 昭和28年(1953)1月5日 静岡草薙ラグビー場 ○
八幡製鉄
,年1月5日 G:静岡草薙 R:伊藤真光 KO 不明
八幡製鉄
15 - 6 川崎重工 1 小林 繁(,前半は3−3の折り返し、後半16分、
八幡
がPGに成功。,「24分にはさらに
八幡
はきれいに左へゆさぶり、平山トライして12−6と離した。,その後川崎は必死に攻撃を続けたが、
八幡
の好守に阻まれて成らず、32分には
八幡
はTB大月の駄目押しのトライ
年代史・観戦記・その他資料
(昭和30年(1955)度 第8回社会人大会決勝)
1955)度 第8回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和31年(1956)1月6日 花園ラグビー場 ○
八幡製鉄
,24-5 近畿日本鉄道●
八幡
、2年連続5回目の優勝 昭和30年(1955)度 第8回社会人大会決勝,1956年1月6日 G:花園ラグビー場 R:杉本彰 KO 14:00
八幡製鉄
24 - 5 近畿日本鉄道,) 3 G 1 10 上坂 桂造(同大) 11 筒井 清(
八幡
高) 0 PG 0 11 佐藤 錠司(,とくに
八幡
は黄金期に入ったといっていいだろう。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和37年(1962)度 第15回社会人大会決勝)
回社会人大会決勝 新聞記事 写真 機関誌 昭和38年(1963)1月8日 秩父宮ラグビー場 ○
八幡製鉄
,19-3 谷藤機械●
八幡
、谷藤を破り2年ぶり9回目の優勝 昭和37年(1962)度 第15回社会人大会決勝,1963年1月8日 G:秩父宮ラグビー場 R:西山常夫 KO 14:00
八幡製鉄
19 - 3 谷藤機械,風上の
八幡
が前半から攻め立てた。,こうなれば試合は百戦錬磨の
八幡
のもの。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和43年(1968)度 第21回社会人大会決勝)
回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和44年(1969)1月8日 秩父宮ラグビー場 ○トヨタ自工 19-13
八幡製鉄
,1969年1月8日 G:秩父宮ラグビー場 R:江田昌佑 KO 14:30 トヨタ自工 19 - 13
八幡製鉄
,昨年悔し涙を流したトヨタが、決勝で
八幡
を破りうれしい涙を流すことになる。,前半6分、
八幡
は牧がラックサイドを抜き北島がトライ(ゴール)と先制する。,原が押さえてトライ、さらに1PGを加えて
八幡
の追撃を断った。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和38年(1963)度 第16回社会人大会決勝)
16回社会人大会決勝 新聞記事 写真 機関誌 昭和39年(1964)1月8日 花園ラグビー場 ○
八幡製鉄
,16-3 近畿日本鉄道●
八幡
、近鉄を下し2連覇、10回目の優勝を飾る 昭和38年(1963)度, 第16回社会人大会決勝 1964年1月8日 G:花園ラグビー場 R:宇野憲治 KO 14:00
八幡製鉄
,これで
八幡
が目を覚ます。10分に尾崎のキックを追った伊野がトライして同点。,第1回日本選手権では、この
八幡
が同大の軍門に下った。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和38年(1963)3月3日 第3回日本協会招待NHK杯)
38年(1963)3月3日 第3回日本協会招待NHK杯 新聞記事 機関誌 秩父宮ラグビー場 ○
八幡製鉄
,25-6 明大●
八幡
、明大を下して二度目の日本一 昭和37年(1962)度 第3回NHK杯 1963,年3月3日 G:秩父宮ラグビー場 R:江田昌佑 KO
八幡製鉄
25 - 6 明大 1 吉村 靖俊(福岡工,前半
八幡
は、後にプロレスに転向した巨漢LO草津が、強引なトライを2つもぎ取り優位に立つ。,後半風上に立った
八幡
が明大にプレッシャーをかけ、5分に明大FB安田のキックをチャージした吉村から尾崎に
年代史・観戦記・その他資料
(昭和36年(1961)度 第14回社会人大会決勝)
新聞記事 写真 機関誌 昭和37年(1962)1月8日 花園ラグビー場 ○近畿日本鉄道 6-5
八幡製鉄
,年1月8日 G:花園ラグビー場 R:宇野憲治 KO 14:00 近畿日本鉄道 6 - 5
八幡製鉄
1,10 反 6 C14 宮井 国夫(明大) 15 山田 満久(西京高) 15 松岡 要三(明大)
八幡製鉄
,
八幡
・近鉄時代と並び称された強豪だが、近鉄は
八幡
の陰に隠れがちだった。,
八幡
は宮井が主将を務めてチームを牽引した。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和34年(1959)度)
【社会人】
八幡製鉄
が連覇 第12回社会人大会決勝は
八幡
・近鉄時代を築いた両者の対決となったが、
八幡製鉄
,社会人は九州の
八幡
と関西の近鉄が争う構図なのに、関東の3連覇は大学勢の頑張りか、はたまたチームプレーの,第1回の覇者は社会人王者の
八幡製鉄
。
年代史・観戦記・その他資料
(日本選手権大会の歩み)
として、第1回NHK杯争奪戦の名のもとに昭和36年(1961)1月29日、秩父宮ラグビー場で社会人代表の
八幡製鉄
,第2回大会は同志社大学が近畿日本鉄道を17−6で破り、第3回大会では
八幡製鉄
が25−6で明治大学に勝ちそれぞれ,第3回大会は横井久監督、矢部達三主将の早稲田大学が、
八幡製鉄
を12−9で破り初優勝した。,回大会までは、早稲田大学が3回、同志社大学、日本体育大学、明治大学が各1回優勝し、近鉄3回、リコー2回、
八幡製鉄
,パナソニックワイルドナイツ 6回 (三洋電機時代の優勝回数3回を含む) 6 早稲田大学 4回 7
八幡製鉄
年代史・観戦記・その他資料
(昭和26年(1951)度)
【社会人】 全国実業団大会は
八幡製鉄
が連覇 愛媛県松山市で行われた第4回大会では
八幡製鉄
が近鉄を11−
年代史・観戦記・その他資料
(昭和29年(1954)度)
【社会人】
八幡製鉄
が優勝 愛媛県松山市で行われた第7回全国社会人大会は、
八幡製鉄
が19−0で大映を下
年代史・観戦記・その他資料
(昭和25年(1950)度)
【社会人】 実業団大会は
八幡製鉄
が初優勝 第3回実業団大会は
八幡製鉄
が32−0でトヨタ自工を破り初優勝
年代史・観戦記・その他資料
(昭和27年(1952)度)
【社会人】 社会人大会は
八幡製鉄
が3連覇 第5回大会から、実業団大会を社会人大会に名称を変更した。,この大会は静岡草薙で開催され、
八幡製鉄
が15−6で川崎重工の挑戦を退け、3年連続3回目の優勝を果たした
日本ラグビーフットボール史
(Ⅱ 社会人大会からトップリーグへ)
チームには記念のプラークを贈り、ひとつの時代が終ったことを象徴するセレモニーではある、特別表彰の近鉄、
新日鉄八幡
, 出場10回以上優秀チーム代表 近畿日本鉄道(近鉄)ラグビー部 最多優勝
新日鉄八幡
,回 神戸製鋼 34回 リコー 32回
新日鉄八幡
,年史にも「…この大会(1961年度の第14回大会)は連日数千人のファンを動員し、大盛況だった」とあり、
八幡製鉄
,かつてリコーの主将でもあった日本代表の伊藤忠幸が「仕事とラグビーの両立が我々の誇りだった」と、
八幡製鉄
年代史・観戦記・その他資料
(昭和30年(1955)度)
【社会人】
八幡製鉄
が連覇 第8回全国社会人大会は
八幡製鉄
が24−5で近鉄を下し、2年連続5回目の優勝,社会人は
八幡
・近鉄時代に入り、両者の優勝争いは熾烈を極めラグビー人気を盛り上げていく。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和38年(1963)度)
大学は関東No1の法大、関西同率優勝の同大、社会人は優勝の
八幡
と準優勝の近鉄が推薦され、準決勝同大18,−11
八幡
、近鉄18−6法大、決勝で同大が近鉄に18−3で勝ち初代日本一に輝いた。,【社会人】
八幡製鉄
が連覇 第16回社会人大会は
八幡
が16−3で近鉄を破り2年連続10回目の優勝を飾った,、少年は東京と神奈川、教員は愛知が優勝 第18回の山口国体は宇部市と山口市で開催され、成年で福岡県(
八幡製鉄
年代史・観戦記・その他資料
(昭和40年(1965)度)
【選手権】 早大が初の日本一に輝く 第3回日本選手権試合では早大が
八幡
を12−9で破り初の日本一に輝いた,【社会人】
八幡製鉄
が4連覇 第18回社会人大会は
八幡製鉄
が近鉄を8−3で下し4年連続12回目の優勝を
年代史・観戦記・その他資料
(全国社会人大会の歩み)
第1期 第1回~第20回
八幡
・近鉄時代 第3回大会から20回大会までは
八幡製鉄
・近畿日本鉄道以外
年代史・観戦記・その他資料
(昭和31年(1956)度)
/
八幡製鉄
が香港に遠征し2勝1敗の成績だった。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和33年(1958)度)
【社会人】
八幡製鉄
が3年ぶりに優勝 第11回全国社会人大会は
八幡
が近鉄を9−0で下し3年ぶり6回目の,近鉄が16−9で一矢報いたほか、
八幡
と日本代表が引き分けに持ち込んだ。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和47年(1972)度)
/西日本社会人リーグ発足 発展的解消した九州リーグの
新日鉄八幡
、九州電力、西方自衛隊と中国地区の東洋工業,第1回は
新日鉄八幡
、東洋工業、西方自衛隊が4勝1敗で三すくみとなり首位を分け合った。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和49年(1974)度 第27回社会人大会決勝)
近鉄は東京三洋に18−15、
新日鉄八幡
に15−6、準決勝の新日鉄釜石には14−14と引き分け抽選勝ち、
年代史・観戦記・その他資料
(昭和63年(1988)度 第41回社会人大会決勝)
新日鉄八幡
に17−7、三洋電機(旧東京三洋)に14−12、トヨタ自動車に19−12と苦しみながら勝ち進
年代史・観戦記・その他資料
(昭和43年(1968)度)
【社会人】 トヨタ自工が初優勝 第21回社会人大会でトヨタ自工が、
八幡製鉄
を19−13で破り初優勝を遂
年代史・観戦記・その他資料
(国際交流の歩み)
日本からは昭和35年(1960)9月に、全盛期を迎えていた
八幡製鉄
がカナダ遠征を行い、4勝2敗の成績をあげて,昭和37年(1962)5月、
八幡製鉄
が豪州・NZへ本格的な遠征を行い、6勝4敗の成績を収めた。,
八幡製鉄
時代から、新日鉄が日本のパイオニアとして国際交流に貢献してきた功績は大きい。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和48年(1973)度)
/関東はリコーの4連覇、関西近鉄3連覇、西日本も
八幡
が連覇 第14回関東社会人リーグは、リコーが警視庁,/第2回西日本社会人リーグは、
新日鉄八幡
が5戦5勝で2連覇。
日本ラグビーフットボール史
(《YC&ACセブンズとジャパン・セブンズ》)
回記念大会の優勝は日本代表(監督横井久)となっているが、ここまでの歴代チャンピオンをみると、初代の優勝チーム
八幡製鉄
年代史・観戦記・その他資料
(昭和50年(1975)度)
/関東はリコー、関西は三菱京都、西日本は
八幡
が優勝 第16回関東社会人リーグは、リコーが警視庁を27−,/第4回西日本社会人リーグは、
新日鉄八幡
が5戦全勝で2年ぶり3回目の優勝を遂げた。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和55年(1980)度)
/関東は三洋、関西はトヨタの5連覇、西日本は
八幡
第21回関東社会人リーグは、東京三洋が21−11で横河電機,/第9回西日本社会人リーグは、
新日鉄八幡
が7戦全勝で2年ぶり6回目の優勝。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和52年(1977)度)
/関東は三洋が連覇、関西は近鉄とトヨタの同率優勝、西日本は
八幡
第18回関東社会人リーグは、東京三洋が,/第6回西日本社会人リーグは、
新日鉄八幡
が7戦全勝で2年ぶり4回目の優勝。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和53年(1978)度)
/関東は三洋の3連覇、関西はトヨタと三菱京都、西日本は
八幡
第19回関東社会人リーグは、東京三洋が36,/第7回西日本社会人リーグは、
新日鉄八幡
が7戦全勝で2年連続で5回目の優勝。
日本ラグビーフットボール史
(《日本協会創設35周年と50周年記念祭》)
昭和5年全日本代表チームとしてカナダに遠征、優秀な成果をあげると共に日加親善に寄与された功績 ☆
八幡製鉄
所
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