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日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム

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年代史・観戦記・その他資料 (決勝記録一覧)

けているので無敗の京大が全国制覇となった] 第4回 昭和6年(1931)1.8 ○慶応大学 17−0 ●同志社大学,11 ●京都大学 神宮競技場 目良篤 第6回 昭和8年(1933)1.3 ○早稲田大学 27−3 ●同志社大学,花園ラグビー場 巌栄一 第7回 昭和9年(1934)1.3 △早稲田大学 8−8 △同志社大学 神宮競技場,花園ラグビー場 阿部吉蔵 第10回 昭和12年(1937)1.3 ○早稲田大学 9−8 ●同志社大学,花園ラグビー場 杉本彰 第25回 昭和29年(1954)1.3 ○早稲田大学 23−5 ●同志社大学
日本ラグビーフットボール史 (《同志社ラグビーの功績と存在感》)

西では同志社大学である。,」とあり、また同志社ラグビー蹴球部創立二十五年誌「同志社良久飛以」にも「明治41(1908)年同志社に,しかし、同志社ラグビー蹴球部が創部25年記念誌という公式の出版物に掲載しているということは、同志社大学,同志社大学ラグビー部の創部は1911(明治44)年11月となっている。    ,京都ラグビーの勃興は三高、同志社大学並立の形で進行していく一方で、これら上級学校の活動を支える重要な役割 / 《同志社ラグビーの功績と存在感》
年代史・観戦記・その他資料 (決勝記録一覧)

3 ●明治大学 国立競技場 野々村博 第16回 昭和55年(1980)1.3 ○明治大学 6−3 ●同志社大学,国立競技場 真下昇 第17回 昭和56年(1981)1.3 ○同志社大学 11−6 ●明治大学 国立競技場,明治大学 21−12 ●早稲田大学 国立競技場 八木宏器 第19回 昭和58年(1983)1.9 ○同志社大学,18−6 ●明治大学 国立競技場 真下昇 第20回 昭和59年(1984)1.7 ○同志社大学 31,−7 ●日本体育大学 国立競技場 八木宏器 第21回 昭和60年(1986)1.6 ○同志社大学 10
年代史・観戦記・その他資料 (日本選手権大会の歩み)

第2回大会は同志社大学が近畿日本鉄道を17−6で破り、第3回大会では八幡製鉄が25−6で明治大学に勝ちそれぞれ,第1回大会は、花園ラグビー場で、同志社大学が近鉄を18−3で破り初代王者となった。,第13回大会までは、早稲田大学が3回、同志社大学、日本体育大学、明治大学が各1回優勝し、近鉄3回、リコー,国立競技場 八木宏器 第21回 昭和59年(1984)1.15 ○新日鉄釜石 35−10 ●同志社大学,国立競技場 真下 昇 第22回 昭和60年(1985)1.15 ○新日鉄釜石 31−17 ●同志社大学
年代史・観戦記・その他資料 (大学選手権の歩み)

第21回大会の決勝、同大対慶大の熱闘で「慶大幻のトライ」が話題になった。,もしこのトライが認められていれば、同大の3連覇はなかった。  ,明治大学 13回 (引き分け優勝2を含む) 2 帝京大学 13回 4 関東学院大学 6回 5 同志社大学
年代史・観戦記・その他資料 (大正2年(1913)度)

#241;ol 15シーズン目 慶応義塾4回目、6試合の関西遠征を挙行  慶応は、正月休みを利用して同大,慶応義塾 46−0 ●京都一中 G:京都 R:井上 T3(1914).1.8 ○慶応義塾 8−0 ●同大,G:同大 R:スペンス 第2回定期戦 T3(1914).1.10 ●慶応義塾 0−5 ○KRAC G,同志社大学が東上  同大が東上し、YCACに0−17と完敗したが、慶応に0−3と善戦して気を吐いた。,0−0 △KRAC G:同大 R:不明 第4回定期戦
年代史・観戦記・その他資料 (昭和2年(1927)度)

『関西協会史』P82に「昭和2年12月4日、同志社大学を8−4で破って関西の覇権を握った京都帝大は、東都,第1回関西大学対抗戦 昭和2年(1927)度 優勝 京都大学(1回目) 順位 チーム 京大 同大 三高,勝 分 負 1 京大 ○8−4 ○22−0 2 0 0 2 同大 ●4−8 ○33−0 1 0 1,【その他】 中学は同志社中、高専は大阪高が優勝 第10回全国中学大会は同志社中(2年連続8回目・全同志社含,『同大ラグビー史』P41に「今では考えられない様な過酷スケジュールであった。
日本ラグビーフットボール史 (Ⅲ 大学選手権に青春をかけて)

はともかくこの選手権を語るとき何をおいてもまず触れなければならないのは、1982(昭和57)年度にはじまった同志社大学,それでも同志社は至難とも思える大学選手権3連覇をやってのけた。,同志社出身の選手10人で固めていたことを…。,【同志社大学初優勝&3連覇・栄光にフィフティーン】    この同志社3連覇にまさるとも,いずれにしても大学選手権の歴史を語るとき、どうしても避けて通れないのが同志社大学の3連覇であり、43年間
年代史・観戦記・その他資料 (全国高等専門学校大会史)

−0 ●大阪高商 豊中運動場 アブラハム 第6回 大正12年(1923)2.11 △三高 0−0 △同志社大学,宝塚運動場 杉本貞一 (双方優勝) 第7回 大正13年(1924)2.11 ○三高 8−3 ●同志社大学,宝塚運動場 竹上四郎 第8回 大正14年(1925)1.19 ○三高 6−5 ●同志社大学 甲子園球場,2 明大予科 3回 2 早大高等学院 3回 2 西南学院 3回 6 東京高師 2回 7 同志社大学,(引き分け優勝)、大阪高校、立大予科、同大予科、早大専門部、甲南高校(関西・九州分離開催)、福岡高商(
年代史・観戦記・その他資料 (大学東西王座決定戦の歩み)

昭和30年(1935)度には、慶大と日大が全勝したが両校の対戦がなく、日大は同大とも対戦がないため、王座決定戦,また日大、法大が優勝した年には、関西の同大との対戦がなく、慶大が優勝した年も関西学大との対戦がなく、王座決定戦,早稲田大学 11回 2 明治大学 9回 3 京都大学 4回 4 慶応大学 3回 5 関西学院大学 1回 6 同志社大学
日本ラグビーフットボール史 (《草創から初期の早稲田を支えた京都人脈》)

「当時獨法科に在籍の同志社中学出身西村聡が戸塚球場上の北越館に下宿していた。,そこで西村は同志社中学の一年先輩の井上成意や兄が三高選手だった国光素介等に相談を持ち込んだことから、とんとん,同志社の知友から古ボールをもらい、土台作りに取りかかった」    早稲田ラグビー六十年史はまず京都出身者,井上成意のいう同志とは同志社中学出身の西村聡、玉貫力、増田修、兄が三高のラグビー選手だった国光素介、弟,言葉を変えれば早稲田ラグビーとは、大学進学前の中学生時代に三高、同志社大学で始まった京都ラグビー勃興の
年代史・観戦記・その他資料 (平成24年(2012)1月8日 平成23年(2011)度 第48回大学選手権決勝)

48回大学選手権決勝 写真 機関誌 G:国立競技場 ○帝京大 15-12 天理大● 帝京大、同志社大,三年連続での優勝は、1982年度から84年度の同志社大学以来の快挙である。  
日本ラグビーフットボール史 (《日本ラグビーの50周年記念式典》)

真島進 中村愛助 稗田幸三郎 スペンス B.エブラハム J.エブラハム 慶應義塾大学 第三高等学校 同志社大学, 慶應義塾普通部 京都一中 同志社中学 京都一商 毎日新聞社 朝日新聞社 近畿日本鉄道 奥村信太郎 種田虎雄
日本ラグビーフットボール史 (《高校日本代表の海外遠征》)

コーチとして参加した岡仁詩(同志社大学監督)も、日本協会機関誌に「…今回の遠征の成績の3勝2敗というのはやや
年代史・観戦記・その他資料 (九州朝日招待試合史)

10 0 2 83.3 関東学院大学 5 4 0 1 80.0 法政大学 3 1 1 1 50.0 同志社大学,●明治大 24−35 ○九州代表 平和台競技場 三野紀雄 第31回 昭和56年(1981)3.8 △同志社大,●明治大 0−29 ○九州代表 平和台競技場 竹井史旺 第33回 昭和58年(1983)3.6 ●同志社大,3−16 ○九州代表 平和台競技場 近藤誠一 第34回 昭和59年(1984)3.11 ○同志社大
年代史・観戦記・その他資料 (昭和52年(1977)度)

京大OBで同志社大学長も務めた星名氏は、大西鐵之祐元代表監督らと接近、展開、連続理論を打ち立てた指導者,/関西は同大、九州大会は福岡工大が優勝 第49回関西リーグ戦では同大が7戦全勝で2年連続27回目の優勝
日本ラグビーフットボール史 (《日本協会創設35周年と50周年記念祭》)

海外遠征を敢行された功績 ☆第三高等学校蹴球部  明治43年の創立と共に斯界の啓発に尽された功績 ☆同志社大学, 我が国中等学校ラグビーの草分として、明治30年代から中学校ラグビー界の発展に寄与された功績 ☆同志社中学,ラグビー部(現同志社高等学校)  明治44年創立、爾来中学校ラグビーの普及発展に寄与された功績 ☆,貢献された功績 ☆神戸レガッタ・アンド・アスレチック・クラブ(KR&AC)  関西に三高、同志社
年代史・観戦記・その他資料 (昭和39年(1964)3月22日 第1回日本選手権決勝)

久(成蹊大) 5 松山  均(②山城高) 1 G 0 5 渡辺 修吉(美馬商工) 6 黒田  毅(③同志社高,日大) C7 石塚 広治(④朱雀高) 0 DG 0 7 畠山(中山)忠(秋田工) 8 藤田 勝三(④同志社香里高,) 8 森本  博(関西大) 9 今村 健三(③同志社高) 2 T 1 C9 福田  廣(日大) 10,) 14 藤川 由武(①同志社高) 10 反 12 14 田中 伸治(徳島城東高) 15 岸本 博巳(,④同志社香里高) 15 神庭 正生(天理高)  記念すべき第1回日本選手権チャンピオンの座は同大が射止
年代史・観戦記・その他資料 (明治44年(1911)度)

M44(1911).4.8 ○慶応義塾 39−0 ●三高 G:三田綱町 R:ウィード 第1回定期戦 同志社,にラグビー部創部 「すでに周知の如くラグビーは慶応義塾から三高へ、三高から同志社へと伝えられたとされている,キックやドリブルのわざに加えて規則正しい練習により非常に短期間で対抗試合が行えるチームができた」(『同志社,慶応対同志社、第1回定期戦は慶応が圧勝  現在も行われている定期戦として日本最古の慶応対同志社戦は、,YCAC、KRACに慶応がチャレンジし続けた時代から、三高、同志社の創部があり、YCAC、KRACを加
年代史・観戦記・その他資料 (昭和56年(1981)1月15日 第18回日本選手権試合)

透(函館北高) 6 後 0 2 井上 雅浩(④天理高) 3 洞口 孝治(釜石工) 3 中山 敬一(②同志社高,G 0 5 大八木 淳史(①伏見工) 6 高橋 博行(秋田高専) 0 PG 0 6 林 昌一郎(④同志社高,0 10 森岡 公隆(④長崎南高) 11 細川 直文(秋田工) 2 PG 0 11 菅野 有生央(④同志社高,釜石が7連覇のなかで一番苦しんだ試合であり、同大が見事な戦いを見せたといえる。,を受けた谷藤が同大FB平田のタックルを振りきって飛び込んだ。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和37年(1962)3月4日 第2回日本協会招待NHK杯)

37年(1962)3月4日 第2回日本協会招待NHK杯 新聞記事 機関誌 秩父宮ラグビー場 ○同大,) 8 高倉 孝次(③同志社高) 8 武田  明(尼崎高) 9 今村 健三(①同志社高) 2 T 1,伸治(徳島城東高) 13 橋本 武志(①洛北高) 13 山田 満久(西京高) 14 斎藤  晃(③同志社高,前半、均衡を破ったのは同大だった。,殊勲の坂田好弘は同大の1年生、鮮烈なデビューを飾った。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和56年(1981)1月3日 昭和55年(1980)度 第17回大学選手権決勝)

③新潟商) 2 井上 雅浩(④天理高) 7 後 6 2 藤田  剛(②大工大高) 3 中山 敬一(②同志社高,函館有斗高) 5 大八木 淳史(①伏見工) 0 G 0 5 川地 光二(③熊本工) 6 林 昌一郎(④同志社高,10 森岡 公隆(④長崎南高) 0 G 0 10 砂村 光信(④久我山高) 11 菅野 有生央(④同志社高,前半はこの得点のみで同大が4−0とリード。,後半は7分に同大白川、10分に明大砂村がそれぞれPGを決めて同大7−3。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和55年(1980)1月3日 昭和54年(1979)度 第16回大学選手権決勝)

G 0 5 豊田 典俊(③島本高) 6 岸  直彦(①久我山高) 1 PG 0 6 林 昌一郎(③同志社高,松山西高) 0 DG 0 7 横本 吉史(③松山星稜高) 8 瀬下 和夫(③秋田工) 8 大森 康央(②同志社香里,) 8 反 18 14 三宅 秀和(④八尾高) 15 橋爪 利明(③大工大高) 15 原田 隆彦(④同志社高,前半6分、同大のオフサイドで明大砂村がゴール成功。,悔しい敗戦を喫した同大は翌年この壁を乗り越えて優勝することになる。
日本ラグビーフットボール史 (全国大学選手権大会)

今大会は関西勢が振るわず、関西王者の同志社大が関東対抗戦5位の筑波大に敗れ、1回戦を突破したのは京都産業大,しい大学ラグビーだが、関西大学Aリーグで初優勝を飾った関西学院大が縦横無人のラグビーで日体大を翻弄、同志社大,48回大会:帝京大:大会史上2校目の三連覇  帝京大の三年連続での優勝は1982年度から84年度の同志社大学以来,:八連覇の金字塔  今季の大学選手権は関西勢の活躍が目立ち、天理大が慶應義塾大を29―24で破り、同志社大
年代史・観戦記・その他資料 (明治45~大正1年(1912)度)

日本初の中学生試合  6月5日に三高グラウンドで同志社普通部と京都一中の試合が行われ同志社普通部が23,M45(1912).6.5 ○同志社普通部 23−0 ●京都一中 G:三高 R:不明 その他の主要試合,G:同大 R:相馬竜雄 第2回定期戦 T2(1913).1.11 ●三高 0−11 ○KRAC G:,R:スペンス 第1回定期戦 T2(1913).2.5 △三高 3−3 △同大 G:同大 R:松田守之助,第3回定期戦 T2(1913).2.22 ●同大 8−9 ○KRAC G:神戸東遊園地 R:スペンス
年代史・観戦記・その他資料 (大正8年(1919)度)

ol 21シーズン目 慶応義塾の関西遠征  慶応は3戦全勝で遠征を飾っているが、三高に3−0、同大,G:同大 R:不明 第8回定期戦 T9(1920).1.10 ○慶応義塾 19−3 ●KRAC G:,しかし参加チームは中学の部2チームのみで、いきなり決勝戦となり同志社中が3−0で京都一商を破って優勝した,オールホワイト)創立 「このクラブは大正8年に杉本貞一氏を中心にして慶応出の脇・中野・石倉・佐々木の諸氏と同志社出,の竹上・和田(川崎)・大脇・美濃部・上野等の諸氏が会合し、三高・同志社の発展に備えると共に関西ラグビー
年代史・観戦記・その他資料 (大正6年(1917)度)

1917)度 English Español 19シーズン目 慶応義塾、関西へ遠征し同大,、三高、KRACと激突  前年の三高に続き、同大が第5回定期戦に3−3と初めて慶応と引き分けた。,T7(1918).1.7 △慶応義塾 3−3 △同大 G:同大 R:佐伯信男 第5回定期戦 T7(1918,大会はア式(サッカー)とラ式(ラグビー)に分かれ、ラグビーは全慶応義塾が棄権したため三高、全同志社、京都一商,の3チームが参加し、全同志社が三高に19−0、京都一商に31−0で勝って優勝した。
年代史・観戦記・その他資料 (大正7年(1918)度)

この試合の後YCACから招待され、一同大喜びで試合を受けたが、その当日は雨のため横浜行きを中止した。,慶応、京大、同大、三高、京都一商、同志社中の6チームが出場したが、慶応、京大が準決勝で棄権したため決勝戦,では、三高が24−0で同志社中を下して優勝した。,KRAC G:神戸東遊園地 R:不明 第14回定期戦 T7(1918).12.4 ○三高 6−0 ●同大,R:スペンス 第15回定期戦 T8(1919).1.18 ○慶応義塾 6−0 ●同大 G:豊中 R:
年代史・観戦記・その他資料 (昭和60年(1985)1月15日 第22回日本選手権試合)

1985)1月15日 第22回日本選手権試合 写真 機関誌 国立競技場 ○新日鉄釜石 31-17 同大,● 3年連続同大を破りついにV7達成 昭和59年(1984)度 第22回日本選手権試合 1985年,孝治(釜石工) 3 森川 進豪(②伏見工) 4 菊地  保(黒沢尻工) 1 T 2 4 圓井  良(④同志社香里,一関工) 0 DG 0 C12 平尾 誠二(④伏見工) 13 小林 日出夫(明大) 13 福井 俊之(③同志社高,前半3分同大は左オープンへ回して平尾、綾城、清水でトライ。
年代史・観戦記・その他資料 (大正12年(1923)度)

慶応、京大、同大、早大、関西大、大阪高商、大阪高校の7校が出場し、慶応が優勝を飾った。,第7回日本蹴球大会(宝塚)  中学の部は同志社中、京都一商、立命館中、京都中の出場で同志社中が優勝した,大学高専の部は三高、同大、関西大、同志社高商、神戸高商の5校が出場し、三高が優勝した。,G:同大 R:竹上四郎 第12回定期戦 T12(1923).11.24 ○同大 9−0 ●KRAC,G:同大 R:不明 第19回定期戦 T12(1923).11.27 ●同大 0−5 ○京大 G:三高
年代史・観戦記・その他資料 (令和4年(2022)1月9日 令和3年(2021)度 第58回大学選手権決勝)

大学選手権初戦の同志社大学戦も、格の違いを見せつけるかのように76-24で圧倒した。
年代史・観戦記・その他資料 (大正10年(1921)度)

第5回日本蹴球大会(豊中)  第5回大会、中学の部は慶応普通部の不参加により、同志社中と京都一商の両校,のみの対戦となりいきなり決勝戦が行われ6−0で同志社中が3連覇を達成した。  ,5−17 ○KRAC1) G:同大 R:スペンス 第17回定期戦 T10(1921).12.10 ○,G:同大 R:竹上四郎 第9回定期戦 注9関西14−0 T11(1922).1.9 ○慶応義塾 14,同大ラクビー史にはこの試合の記録なし。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和60年(1985)1月6日 昭和59年(1984)度 第21回大学選手権決勝)

五所 紳一(③慶応高) 3 馬場  新(④長崎南高) 3 中野 忠幸(②慶応高) 4 圓井  良(④同志社香里,C12 平尾 誠二(④伏見工) 0 DG 0 C12 松永 敏宏(④天王寺高) 13 福井 俊之(③同志社高,私も早大の監督として準決勝で同大と対戦したが、同大の強さは本物であり、いまでも同大の歴史ではこの年がベストチーム,試合は同大が先手を取った。,同大フィフティーンも「やられた!」
日本ラグビーフットボール史 (《戦前の全国高専大会》)

出場校も前年度優勝の三高はじめ早高学院、同志社大、関西大、大阪高校、大阪高商、関西学院、大阪外語の8チーム,同時に第10回大会優勝の同志社予科を除いては、早、慶、明の予科、あるいは専門部の代表チームが交互に王座
年代史・観戦記・その他資料 (大正9年(1920)度)

T10(1921).2.11 ●関東OB 0−17 ○関西OB G:豊中 R:櫛山次郎 第2回 同大,の公式試合なし 『同大ラグビー史』P39には「同大は部活動が低迷し大正8年度は京都一商と練習試合をした,第4回日本蹴球大会(豊中)  中学の部は同志社中、京都一商、慶応普通部の3校が出場し同志社中が2連覇
年代史・観戦記・その他資料 (大正11年(1922)度)

第6回日本蹴球大会(宝塚)  第6回大会は会場を新設の宝塚球技場に移し、中学の部は同志社中、立命館中,、京都一商の出場で同志社中が4連覇を達成した。,大学高専の部は三高、同大の2校が出場、両校譲らず0−0で引き分けた。,三高 8−3 ●KRAC G:三高 R:竹上四郎 第22回定期戦 T11(1922).11.25 ●同大,2) 交流が途絶えていた三高、同志社の定期戦が復活した。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和58年(1983)1月15日 第20回日本選手権試合)

1983)1月15日 第20回日本選手権試合 写真 機関誌 国立競技場 ○新日鉄釜石 21-8 同大,9 前 4 1 木村 敏隆(①広島工) 2 多田 信行(黒沢尻工) 12 後 4 2 中山 敬一(④同志社高,同大は明大を破って釜石に2度目のチャレンジとなった。,FW戦で優位に立った釜石が、じわじわと同大にプレッシャーをかける。,結局釜石が21−8で同大を寄り切ったが、私は同大がトライ数2対2と互角の勝負をしたことを高く評価している
年代史・観戦記・その他資料 (7人制日本代表キャップ一覧(男子))

回香港セブンズ 第7回香港セブンズ 第9回香港セブンズ 7 山下 浩 やました ひろし 同志社大学,セブンズ 第11回香港セブンズ 第12回香港セブンズ 33 平尾 誠二 ひらお せいじ 同志社大学,セブンズ 第11回香港セブンズ 第12回香港セブンズ 34 土田 雅人 つちだ まさと 同志社大学,サントリー 1 第2回豪州NSW国際セブンズ 46 宮本 勝文 みやもと かつふみ 同志社大学,第5回RWCセブンズアジア地区予選 香港セブンズ 167 仙波 智裕 せんば ともひろ 同志社大学
日本ラグビーフットボール史 (《前身はNHK杯》)

選手権への出場資格は社会人1、2位の八幡製鉄、近鉄と大学の東西各1位の法政、同志社の4チーム。,若い同志社フィフティーンを日本一に育て上げた青年監督、岡仁詩の喜びの言葉を再現してみよう。,…とにかく一生懸命、全力を出しきったという満足感が私たち同志社のラガーマンのすべてです。,監督岡仁詩は同志社の優勝を「幸運」だったという。,同志社監督岡仁詩が同じ機関誌で、優勝の喜びを控えめに表現しているのとは対照的。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和58年(1983)1月9日 昭和57年(1982)度 第19回大学選手権決勝)

1983)1月9日 昭和57年(1982)度 第19回大学選手権決勝 写真 機関誌 国立競技場 ○同大,18-6 明大● 同大、昨年度の雪辱を晴らして日本一 昭和57年(1982)度 第19回大学選手権決勝,1983年1月9日 G:国立競技場 R:真下 昇 KO 14:00 同大 18 - 6 明大 1 木村,敏隆(①広島工) 15 前 6 1 佐藤 康信(②秋田市立高) 2 中山 敬一(④同志社高) 3 後,後半はお互いに攻めきれず同大が1PGを加えて18−6で明大を突き放した。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和59年(1984)1月15日 第21回日本選手権試合)

1984)1月15日 第21回日本選手権試合 写真 機関誌 国立競技場 ○新日鉄釜石 35-10 同大,● 釜石、同大の再挑戦を退け未踏のV6 昭和58年(1983)度 第21回日本選手権試合 1984,年1月15日 G:国立競技場 R:真下 昇 KO 14:30 新日鉄釜石 35 - 10 同大 1 石山,一関工) 0 DG 0 12 平尾 誠二(③伏見工) 13 金子 敦行(筑波大) 13 福井 俊之(②同志社高,同大はFB清水とSO松尾勝博が2トライを返したがそこまで。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和59年(1984)1月7日 昭和58年(1983)度 第20回大学選手権決勝)

1984)1月7日 昭和58年(1983)度 第20回大学選手権決勝 写真 機関誌 国立競技場 ○同大,31-7 日体大● 同大、余裕の大学選手権連覇 昭和58年(1983)度 第20回大学選手権決勝,1984年1月7日 G:国立競技場 R:八木宏器 KO 14:00 同大 31 - 7 日体大 1,) 12 平尾 誠二(③伏見工) 0 DG 0 12 吉永 宏二郎(④大口高) 13 福井 俊之(②同志社高,後半早々同大はハイパントから攻めて平尾、大八木、児玉でトライ、ゴールで21−0とリードを広げる。
年代史・観戦記・その他資料 (国際交流の歩み)

同年9月に同志社大学が大連、旅順への満州遠征、12月に明治大学が上海遠征と続く。,この時代は慶大、早大、同大、京大、立大、関西大、東大など大学チームが満州、上海、朝鮮などを訪れているが,昭和39年(1964)12月、NZカンタベリー大学来日、昭和41年(1966)年3月同志社大学のNZ・
日本ラグビーフットボール史 (《甲子園南運動場と全国中等学校大会》)

そのあと第3試合(キックオフ:午後2時10分)でラグビーの三高─同志社戦が行われた。,第1回大会の出場チームは同志社、三高、京都一商の4チーム(慶應は棄権)。,優勝は同志社だったが、ほかにエキシビションゲームとして大会第2日に三田倶楽部(慶應OB)─大学倶楽部(,大正9)年  同志社中 京都一商 豊中     中学が分離 第4回  1921(大正10)年 同志社中,大正12)年 同志社中 立命館中 宝塚 第7回  1924(大正13)年 同志社中 京都一商 宝塚
日本ラグビーフットボール史 (《協会成立の経緯と背景》)

1月1日 慶應対京大ゲーム  1月4日 早大対同志社ゲーム  1月7日 早大対京大ゲーム  1月,8日 慶應対同志社ゲーム  以上ゲームニ関スル打合及係員決定ス。    ,1月4日 秩父宮高松宮両殿下ニハ明治神宮外苑競技場ニ於ケル早稲田大学対同志社大学試合ニ御台臨ノ栄ヲ賜ウ
年代史・観戦記・その他資料 (大正5年(1916)度)

なる試合左の如し[以下括弧内(ア)はアッソシェーション式、(ラ)はラグビー式]」として慶応、横浜外人、同志社,○KRAC G:三田綱町 R:不明 第9回定期戦 〈関西〉 T5(1916).11.25 ●同大 0−,R:スペンス 第7回定期戦 T5(1916).12.5 ○三高 5−0 ●同大 G:三高 R:合田,第7回定期戦 T5(1916).12.9 ○同大 10−6 ●KRAC G:神戸東遊園地 R:スペンス,第11回定期戦 T6(1917).1.20 ●同大 0−8 ○KRAC G:神戸東遊園地 R:不明
年代史・観戦記・その他資料 (昭和19年(1944)度)

しかし戦時中の混乱期に、昭和19年5月19日、三高33−3同志社高商の試合が三高グラウンドで行われたとの,『同志社ラグビー史』P428〈高等商業学校の部〉の戦績にはこの記録が記載されていない。
年代史・観戦記・その他資料 (全国高校大会史(旧中等学校大会を含む))

第1期 中等学校時代 第1回~第27回  27回の大会中、9回の優勝を遂げた同志社中を中心に発展してきた,昭和5年(1930)度の第13回大会で同志社中時代はピリオドが打たれ、初優勝を果たした京城師範を筆頭に,中学大会の第3回~7回大会まで同志社中が5連覇した以外、4連覇は高校大会になってから初めての記録である,3連覇も中学時代の同志社中と京城師、中学大会から高校大会にまたがっての秋田工[引き分け優勝を含む]に記録,○同志社中 6−0 ●京都一商 豊中運動場 杉本貞一 第5回 大正11年(1922)2.11 ○同志社中
日本ラグビーフットボール史 (《全国中学・高校大会と記録の数々》)

《全国中学・高校大会と記録の数々》 戦前の連勝記録としては中学大会創設の大正時代に同志社中学が5連覇,仮に啓光学園が2005(平成17)年度の第85回大会をも制していたとすれば、同志社中学の5連覇に並ぶ大記録,だからといって平成の4連覇が色褪せるわけでもなければ、同志社中学の5連覇に劣るわけでもない。,日本選手権の新日鉄釜石、神戸製鋼が記録した7連覇、大学選手権で同志社によって樹立された3連覇とともに啓光学園
年代史・観戦記・その他資料 (平成27年(2015)度)

関西、同志社大が天理大を破り8年ぶり42回目の優勝。九州は優勝福岡工大となった。
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