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日本ラグビーフットボール史
(《同志社ラグビーの功績と存在感》)
西では
同志社
大学である。,」とあり、また
同志社
ラグビー蹴球部創立二十五年誌「
同志社
良久飛以」にも「明治41(1908)年
同志社
に,しかし、
同志社
ラグビー蹴球部が創部25年記念誌という公式の出版物に掲載しているということは、
同志社
大学,
同志社
大学ラグビー部の創部は1911(明治44)年11月となっている。 ,を担ったのが京都府立第一中学校(京都一中=現洛北高校)であり、
同志社
普通学校(現
同志社高校
)である。 / 《
同志社
ラグビーの功績と存在感》
年代史・観戦記・その他資料
(昭和39年(1964)3月22日 第1回日本選手権決勝)
久(成蹊大) 5 松山 均(②山城高) 1 G 0 5 渡辺 修吉(美馬商工) 6 黒田 毅(③
同志社高
,日大) C7 石塚 広治(④朱雀高) 0 DG 0 7 畠山(中山)忠(秋田工) 8 藤田 勝三(④
同志社
香里高,) 8 森本 博(関西大) 9 今村 健三(③
同志社高
) 2 T 1 C9 福田 廣(日大) 10,松本 信一(布施工) 13 橋本 武志(③洛北高) 13 長谷川 雄彦(同大) 14 藤川 由武(①
同志社高
,) 10 反 12 14 田中 伸治(徳島城東高) 15 岸本 博巳(④
同志社
香里高) 15 神庭 正生
年代史・観戦記・その他資料
(昭和37年(1962)3月4日 第2回日本協会招待NHK杯)
正(布施工) 7 石塚 広治(②朱雀高) 0 DG 0 7 前田 恭平(同大) 8 高倉 孝次(③
同志社高
,) 8 武田 明(尼崎高) 9 今村 健三(①
同志社高
) 2 T 1 C9 福田 廣(日大) 10,伸治(徳島城東高) 13 橋本 武志(①洛北高) 13 山田 満久(西京高) 14 斎藤 晃(③
同志社高
年代史・観戦記・その他資料
(昭和56年(1981)1月15日 第18回日本選手権試合)
透(函館北高) 6 後 0 2 井上 雅浩(④天理高) 3 洞口 孝治(釜石工) 3 中山 敬一(②
同志社高
,G 0 5 大八木 淳史(①伏見工) 6 高橋 博行(秋田高専) 0 PG 0 6 林 昌一郎(④
同志社高
,0 10 森岡 公隆(④長崎南高) 11 細川 直文(秋田工) 2 PG 0 11 菅野 有生央(④
同志社高
年代史・観戦記・その他資料
(昭和56年(1981)1月3日 昭和55年(1980)度 第17回大学選手権決勝)
③新潟商) 2 井上 雅浩(④天理高) 7 後 6 2 藤田 剛(②大工大高) 3 中山 敬一(②
同志社高
,函館有斗高) 5 大八木 淳史(①伏見工) 0 G 0 5 川地 光二(③熊本工) 6 林 昌一郎(④
同志社高
,10 森岡 公隆(④長崎南高) 0 G 0 10 砂村 光信(④久我山高) 11 菅野 有生央(④
同志社高
年代史・観戦記・その他資料
(昭和55年(1980)1月3日 昭和54年(1979)度 第16回大学選手権決勝)
G 0 5 豊田 典俊(③島本高) 6 岸 直彦(①久我山高) 1 PG 0 6 林 昌一郎(③
同志社高
,松山西高) 0 DG 0 7 横本 吉史(③松山星稜高) 8 瀬下 和夫(③秋田工) 8 大森 康央(②
同志社
香里,) 8 反 18 14 三宅 秀和(④八尾高) 15 橋爪 利明(③大工大高) 15 原田 隆彦(④
同志社高
年代史・観戦記・その他資料
(昭和19年(1944)度)
しかし戦時中の混乱期に、昭和19年5月19日、三高33−3
同志社高
商の試合が三高グラウンドで行われたとの,『
同志社
ラグビー史』P428〈高等商業学校の部〉の戦績にはこの記録が記載されていない。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和60年(1985)1月15日 第22回日本選手権試合)
孝治(釜石工) 3 森川 進豪(②伏見工) 4 菊地 保(黒沢尻工) 1 T 2 4 圓井 良(④
同志社
香里,一関工) 0 DG 0 C12 平尾 誠二(④伏見工) 13 小林 日出夫(明大) 13 福井 俊之(③
同志社高
年代史・観戦記・その他資料
(昭和58年(1983)1月15日 第20回日本選手権試合)
9 前 4 1 木村 敏隆(①広島工) 2 多田 信行(黒沢尻工) 12 後 4 2 中山 敬一(④
同志社高
年代史・観戦記・その他資料
(昭和59年(1984)1月15日 第21回日本選手権試合)
一関工) 0 DG 0 12 平尾 誠二(③伏見工) 13 金子 敦行(筑波大) 13 福井 俊之(②
同志社高
年代史・観戦記・その他資料
(昭和58年(1983)1月9日 昭和57年(1982)度 第19回大学選手権決勝)
明大 1 木村 敏隆(①広島工) 15 前 6 1 佐藤 康信(②秋田市立高) 2 中山 敬一(④
同志社高
年代史・観戦記・その他資料
(昭和59年(1984)1月7日 昭和58年(1983)度 第20回大学選手権決勝)
) 12 平尾 誠二(③伏見工) 0 DG 0 12 吉永 宏二郎(④大口高) 13 福井 俊之(②
同志社高
年代史・観戦記・その他資料
(大正12年(1923)度)
第7回日本蹴球大会(宝塚) 中学の部は
同志社
中、京都一商、立命館中、京都中の出場で
同志社
中が優勝した,大学高専の部は三高、同大、関西大、
同志社高
商、神戸高商の5校が出場し、三高が優勝した。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和60年(1985)1月6日 昭和59年(1984)度 第21回大学選手権決勝)
五所 紳一(③慶応高) 3 馬場 新(④長崎南高) 3 中野 忠幸(②慶応高) 4 圓井 良(④
同志社
香里,C12 平尾 誠二(④伏見工) 0 DG 0 C12 松永 敏宏(④天王寺高) 13 福井 俊之(③
同志社高
年代史・観戦記・その他資料
(決勝記録一覧)
けているので無敗の京大が全国制覇となった] 第4回 昭和6年(1931)1.8 ○慶応大学 17−0 ●
同志社
大学,11 ●京都大学 神宮競技場 目良篤 第6回 昭和8年(1933)1.3 ○早稲田大学 27−3 ●
同志社
大学,花園ラグビー場 巌栄一 第7回 昭和9年(1934)1.3 △早稲田大学 8−8 △
同志社
大学 神宮競技場,花園ラグビー場 阿部吉蔵 第10回 昭和12年(1937)1.3 ○早稲田大学 9−8 ●
同志社
大学,花園ラグビー場 杉本彰 第25回 昭和29年(1954)1.3 ○早稲田大学 23−5 ●
同志社
大学
日本ラグビーフットボール史
(《日本協会創設35周年と50周年記念祭》)
海外遠征を敢行された功績 ☆第三高等学校蹴球部 明治43年の創立と共に斯界の啓発に尽された功績 ☆
同志社
大学, 我が国中等学校ラグビーの草分として、明治30年代から中学校ラグビー界の発展に寄与された功績 ☆
同志社
中学,ラグビー部(現
同志社高
等学校) 明治44年創立、爾来中学校ラグビーの普及発展に寄与された功績 ☆,貢献された功績 ☆神戸レガッタ・アンド・アスレチック・クラブ(KR&AC) 関西に三高、
同志社
年代史・観戦記・その他資料
(明治44年(1911)度)
M44(1911).4.8 ○慶応義塾 39−0 ●三高 G:三田綱町 R:ウィード 第1回定期戦
同志社
,にラグビー部創部 「すでに周知の如くラグビーは慶応義塾から三高へ、三高から
同志社
へと伝えられたとされている,キックやドリブルのわざに加えて規則正しい練習により非常に短期間で対抗試合が行えるチームができた」(『
同志社
,慶応対
同志社
、第1回定期戦は慶応が圧勝 現在も行われている定期戦として日本最古の慶応対
同志社
戦は、,YCAC、KRACに慶応がチャレンジし続けた時代から、三高、
同志社
の創部があり、YCAC、KRACを加
日本ラグビーフットボール史
(《前身はNHK杯》)
選手権への出場資格は社会人1、2位の八幡製鉄、近鉄と大学の東西各1位の法政、
同志社
の4チーム。,若い
同志社
フィフティーンを日本一に育て上げた青年監督、岡仁詩の喜びの言葉を再現してみよう。,…とにかく一生懸命、全力を出しきったという満足感が私たち
同志社
のラガーマンのすべてです。,監督岡仁詩は
同志社
の優勝を「幸運」だったという。,
同志社
監督岡仁詩が同じ機関誌で、優勝の喜びを控えめに表現しているのとは対照的。
日本ラグビーフットボール史
(Ⅲ 大学選手権に青春をかけて)
それでも
同志社
は至難とも思える大学選手権3連覇をやってのけた。,考えようによれば3連覇達成時の
同志社
にも通じるように思えてならない。,、また過去42回の大学選手権で関西勢の優勝は
同志社
の3連覇を含めた4度あるだけ。,
同志社
出身の選手10人で固めていたことを…。,【
同志社
大学初優勝&3連覇・栄光にフィフティーン】 この
同志社
3連覇にまさるとも
日本ラグビーフットボール史
(《甲子園南運動場と全国中等学校大会》)
そのあと第3試合(キックオフ:午後2時10分)でラグビーの三高─
同志社
戦が行われた。,第1回大会の出場チームは
同志社
、三高、京都一商の4チーム(慶應は棄権)。,優勝は
同志社
だったが、ほかにエキシビションゲームとして大会第2日に三田倶楽部(慶應OB)─大学倶楽部(,大正9)年
同志社
中 京都一商 豊中 中学が分離 第4回 1921(大正10)年
同志社
中,大正12)年
同志社
中 立命館中 宝塚 第7回 1924(大正13)年
同志社
中 京都一商 宝塚
日本ラグビーフットボール史
(《草創から初期の早稲田を支えた京都人脈》)
「当時獨法科に在籍の
同志社
中学出身西村聡が戸塚球場上の北越館に下宿していた。,そこで西村は
同志社
中学の一年先輩の井上成意や兄が三高選手だった国光素介等に相談を持ち込んだことから、とんとん,
同志社
の知友から古ボールをもらい、土台作りに取りかかった」 早稲田ラグビー六十年史はまず京都出身者,井上成意のいう同志とは
同志社
中学出身の西村聡、玉貫力、増田修、兄が三高のラグビー選手だった国光素介、弟,言葉を変えれば早稲田ラグビーとは、大学進学前の中学生時代に三高、
同志社
大学で始まった京都ラグビー勃興の
年代史・観戦記・その他資料
(全国高校大会史(旧中等学校大会を含む))
第1期 中等学校時代 第1回~第27回 27回の大会中、9回の優勝を遂げた
同志社
中を中心に発展してきた,昭和5年(1930)度の第13回大会で
同志社
中時代はピリオドが打たれ、初優勝を果たした京城師範を筆頭に,中学大会の第3回~7回大会まで
同志社
中が5連覇した以外、4連覇は高校大会になってから初めての記録である,3連覇も中学時代の
同志社
中と京城師、中学大会から高校大会にまたがっての秋田工[引き分け優勝を含む]に記録,○
同志社
中 6−0 ●京都一商 豊中運動場 杉本貞一 第5回 大正11年(1922)2.11 ○
同志社
中
日本ラグビーフットボール史
(《全国中学・高校大会と記録の数々》)
《全国中学・高校大会と記録の数々》 戦前の連勝記録としては中学大会創設の大正時代に
同志社
中学が5連覇,仮に啓光学園が2005(平成17)年度の第85回大会をも制していたとすれば、
同志社
中学の5連覇に並ぶ大記録,だからといって平成の4連覇が色褪せるわけでもなければ、
同志社
中学の5連覇に劣るわけでもない。,日本選手権の新日鉄釜石、神戸製鋼が記録した7連覇、大学選手権で
同志社
によって樹立された3連覇とともに啓光学園
年代史・観戦記・その他資料
(昭和2年(1927)度)
『関西協会史』P82に「昭和2年12月4日、
同志社
大学を8−4で破って関西の覇権を握った京都帝大は、東都,【その他】 中学は
同志社
中、高専は大阪高が優勝 第10回全国中学大会は
同志社
中(2年連続8回目・全
同志社
含
年代史・観戦記・その他資料
(明治45~大正1年(1912)度)
日本初の中学生試合 6月5日に三高グラウンドで
同志社
普通部と京都一中の試合が行われ
同志社
普通部が23,M45(1912).6.5 ○
同志社
普通部 23−0 ●京都一中 G:三高 R:不明 その他の主要試合
年代史・観戦記・その他資料
(大正8年(1919)度)
しかし参加チームは中学の部2チームのみで、いきなり決勝戦となり
同志社
中が3−0で京都一商を破って優勝した,オールホワイト)創立 「このクラブは大正8年に杉本貞一氏を中心にして慶応出の脇・中野・石倉・佐々木の諸氏と
同志社
出,の竹上・和田(川崎)・大脇・美濃部・上野等の諸氏が会合し、三高・
同志社
の発展に備えると共に関西ラグビー
年代史・観戦記・その他資料
(決勝記録一覧)
3 ●明治大学 国立競技場 野々村博 第16回 昭和55年(1980)1.3 ○明治大学 6−3 ●
同志社
大学,国立競技場 真下昇 第17回 昭和56年(1981)1.3 ○
同志社
大学 11−6 ●明治大学 国立競技場,明治大学 21−12 ●早稲田大学 国立競技場 八木宏器 第19回 昭和58年(1983)1.9 ○
同志社
大学,18−6 ●明治大学 国立競技場 真下昇 第20回 昭和59年(1984)1.7 ○
同志社
大学 31,−7 ●日本体育大学 国立競技場 八木宏器 第21回 昭和60年(1986)1.6 ○
同志社
大学 10
年代史・観戦記・その他資料
(大正6年(1917)度)
大会はア式(サッカー)とラ式(ラグビー)に分かれ、ラグビーは全慶応義塾が棄権したため三高、全
同志社
、京都一商,の3チームが参加し、全
同志社
が三高に19−0、京都一商に31−0で勝って優勝した。
年代史・観戦記・その他資料
(大正7年(1918)度)
慶応、京大、同大、三高、京都一商、
同志社
中の6チームが出場したが、慶応、京大が準決勝で棄権したため決勝戦,では、三高が24−0で
同志社
中を下して優勝した。
年代史・観戦記・その他資料
(日本選手権大会の歩み)
第2回大会は
同志社
大学が近畿日本鉄道を17−6で破り、第3回大会では八幡製鉄が25−6で明治大学に勝ちそれぞれ,第1回大会は、花園ラグビー場で、
同志社
大学が近鉄を18−3で破り初代王者となった。,関西対決を制した
同志社
ファンの喜びは大きかった。,第13回大会までは、早稲田大学が3回、
同志社
大学、日本体育大学、明治大学が各1回優勝し、近鉄3回、リコー,国立競技場 八木宏器 第21回 昭和59年(1984)1.15 ○新日鉄釜石 35−10 ●
同志社
大学
日本ラグビーフットボール史
(《メッカ神宮競技場と東都のラグビー》)
慶應や三高、
同志社
などラグビーの先進校はそれぞれ自校の運動場、もっとひらたくいえば学校の校庭を試合会場,「第2回は中等学校関東代表早稲田実業、関西代表
同志社
中学が顔を合わせ、
同志社
が26対0で勝ち、専門学校
年代史・観戦記・その他資料
(大正9年(1920)度)
第4回日本蹴球大会(豊中) 中学の部は
同志社
中、京都一商、慶応普通部の3校が出場し
同志社
中が2連覇
年代史・観戦記・その他資料
(大正10年(1921)度)
第5回日本蹴球大会(豊中) 第5回大会、中学の部は慶応普通部の不参加により、
同志社
中と京都一商の両校,のみの対戦となりいきなり決勝戦が行われ6−0で
同志社
中が3連覇を達成した。
年代史・観戦記・その他資料
(昭和3年(1928)度)
【その他】 中学は
同志社
中、高専は立大予科が優勝 第11回全国中学大会は
同志社
中(3年連続9回目)が41
年代史・観戦記・その他資料
(大正11年(1922)度)
第6回日本蹴球大会(宝塚) 第6回大会は会場を新設の宝塚球技場に移し、中学の部は
同志社
中、立命館中,、京都一商の出場で
同志社
中が4連覇を達成した。,2) 交流が途絶えていた三高、
同志社
の定期戦が復活した。
日本ラグビーフットボール史
(《そのころ関西のラグビーでは…》)
出身地の兵庫県神戸市郊外に戻っていたが、1918(大正7)年に関西へ赴任してきた慶應蹴球部の後輩や三高、
同志社
,また中学では1912(明治45)年創設の京都一中はじめ、
同志社
中学、京都一商など京都グループを追って、,京都一中、
同志社
中学、京都一商など明治の末期に誕生した中学は別格として、1920(大正10)年代に開花
年代史・観戦記・その他資料
(大学選手権の歩み)
明治大学 13回 (引き分け優勝2を含む) 3 帝京大学 12回 4 関東学院大学 6回 5
同志社
大学
日本ラグビーフットボール史
(《日本ラグビーの50周年記念式典》)
真島進 中村愛助 稗田幸三郎 スペンス B.エブラハム J.エブラハム 慶應義塾大学 第三高等学校
同志社
大学, 慶應義塾普通部 京都一中
同志社
中学 京都一商 毎日新聞社 朝日新聞社 近畿日本鉄道 奥村信太郎 種田虎雄
日本ラグビーフットボール史
(《日本選手権の変遷》)
まず第1回選手権で関西の大学代表
同志社
の優勝について記すなら、日本ラグビー史のいう「西高東低を最初に演出,した京大の偉業に次ぐ2度目の快挙」であり、また日本ラグビー発展の歩みと
同志社
の勝利は東西大学の交流を原点,
同志社
の優勝ではじまった日本選手権ではあったが、1976(昭和51)年度の第13回選手権までは大学、社会人,新日鉄釜石が
同志社
の挑戦を退ける 「…高卒主体で、大卒はリーダーとして年に2、3人採用が方針,FWの中山、林、大八木、杉本、武藤、バックスの萩本、菅野、平尾、細川、綾城は大学時代に
同志社
の黄金時代
年代史・観戦記・その他資料
(九州朝日招待試合史)
10 0 2 83.3 関東学院大学 5 4 0 1 80.0 法政大学 3 1 1 1 50.0
同志社
大学,●明治大 24−35 ○九州代表 平和台競技場 三野紀雄 第31回 昭和56年(1981)3.8 △
同志社
大,●明治大 0−29 ○九州代表 平和台競技場 竹井史旺 第33回 昭和58年(1983)3.6 ●
同志社
大,3−16 ○九州代表 平和台競技場 近藤誠一 第34回 昭和59年(1984)3.11 ○
同志社
大
日本ラグビーフットボール史
(《九州協会が独立・西部協会は関西協会へ》)
のメンバー松岡正男(慶應OB)が鹿児島高等農林学校の講師就任とともにラグビーを持ち込んだというから、
同志社
,「…日本全体からながめるならば、明治三十二年慶應にはじまったラグビーは、同四十三年の三高、同四十四年
同志社
日本ラグビーフットボール史
(《夏休みは普及活動へ》)
④田宮(弘太郎)は三高、
同志社
等に宣伝す」と記したメモ書きを残している。
日本ラグビーフットボール史
(《クラブ活動の原点となった東西対抗》)
このOBは寧ろ関西に多く、是に三高、
同志社
の先輩も関西に多いのが原因して関西は一歩先んじてOBチームを
年代史・観戦記・その他資料
(大正2年(1913)度)
同志社
大学が東上 同大が東上し、YCACに0−17と完敗したが、慶応に0−3と善戦して気を吐いた。
年代史・観戦記・その他資料
(全国高等専門学校大会史)
−0 ●大阪高商 豊中運動場 アブラハム 第6回 大正12年(1923)2.11 △三高 0−0 △
同志社
大学,宝塚運動場 杉本貞一 (双方優勝) 第7回 大正13年(1924)2.11 ○三高 8−3 ●
同志社
大学,宝塚運動場 竹上四郎 第8回 大正14年(1925)1.19 ○三高 6−5 ●
同志社
大学 甲子園球場,2 明大予科 3回 2 早大高等学院 3回 2 西南学院 3回 6 東京高師 2回 7
同志社
大学
年代史・観戦記・その他資料
(平成24年(2012)1月8日 平成23年(2011)度 第48回大学選手権決勝)
48回大学選手権決勝 写真 機関誌 G:国立競技場 ○帝京大 15-12 天理大● 帝京大、
同志社
大,三年連続での優勝は、1982年度から84年度の
同志社
大学以来の快挙である。
日本ラグビーフットボール史
(《京大エイトFWの全国制覇》)
京大(全勝=得点合計335)の失点は
同志社
戦での4点だけ。,しかも唯一の失点である
同志社
戦の失点4も点数からみてドロップゴールということになる。,前哨戦となった1月3日の
同志社
戦で完全に甦った。 ,「年末東大に惨敗したのを反省して本領(信次郎)を起用し、遠征メンバーをもって
同志社
、京大と対戦する。,
同志社
戦には本領を中心としてよみがえったように復調、前半は5−8とリードを許したものの、後半はバックス
日本ラグビーフットボール史
(《戦前の全国高専大会》)
出場校も前年度優勝の三高はじめ早高学院、
同志社
大、関西大、大阪高校、大阪高商、関西学院、大阪外語の8チーム,同時に第10回大会優勝の
同志社
予科を除いては、早、慶、明の予科、あるいは専門部の代表チームが交互に王座
日本ラグビーフットボール史
(《舞台は変わって盟主の座は早と明》)
まず明治が1931(昭和6)年に5大学リーグの覇権を握り、関西の京大、
同志社
も倒して初の全国制覇を達成
日本ラグビーフットボール史
(《早慶定期戦と主催者AJRAの役割》)
「実際は指導的立場にあった慶應出身者が多数であるのとこれに三高、
同志社
出身者を加えた団体であるから、関東,そしてメンバーには慶應を筆頭に、三高、
同志社
という東西のラグビー先進校のOBたちが名を連ねている。
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