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日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム

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年代史・観戦記・その他資料 (コラム『慶應義塾創部以前の、国内におけるラグビーフットボール』)

コラム『慶應義塾創部以前の、国内におけるラグビーフットボール』 English 1.英国ラグビーミュージアム,どうしてもここで慶應義塾の初勝利までエピソードを知らせねばなるまい。,時計通りに試合が終われば慶應義塾の初勝利はこの日だった。  ,1908年秋に三田綱町グランドで再戦し12対0のスコアで慶應義塾は初勝利した。,1908年11月15日付『時事新報』には慶應義塾の勝利の様子が書かれてある。 / コラム『慶應義塾創部以前の、国内におけるラグビーフットボール』
日本ラグビーフットボール史 (全国大学選手権大会)

1月2日に行われた準決勝は、慶応義塾大と明治大が対戦し、FWで前に出たい明治大、BKに決定力のある慶應義塾大,という好対照の対戦であったが素早い仕掛けでボールを大きく動かしながら攻めた慶應義塾大がCTB増田、WTB,慶應義塾大も37分にPGを決め7-3で前半終了。,関西大学Aリーグ1位の天理大はBKの活躍で法政大、慶応義塾大など関東の伝統校を次々に破って24年ぶりの,第2試合は、王者帝京大に対して慶應義塾大が健闘し、接戦を繰り広げた。
日本ラグビーフットボール史 (《日本ラグビーの50周年記念式典》)

森五郎兵衛 松岡正男 櫛山次郎 真島進 中村愛助 稗田幸三郎 スペンス B.エブラハム J.エブラハム 慶應義塾大学, 第三高等学校 同志社大学 慶應義塾普通部 京都一中 同志社中学 京都一商 毎日新聞社 朝日新聞社 近畿日本鉄道
日本ラグビーフットボール史 (《オックスブリッジ大学連合とナイトゲーム》)

なかでも国立競技場でおこなわれた9月16日の全慶應義塾との試合は、戦後の日本ラグビーでは初めてというナイトゲーム,後半にはいって全慶應義塾が追い上げる好ゲームとなったが、やはり逆転とまではいかず、結局コンバインドチーム,したがってこの夜の全慶應義塾ーオックスブリッジ大学連合戦は2度目のナイトゲームとなる。  ,大学連合27-3全明治大学 ③9月16日(国立競技場)※Ⅰ  オックスブリッジ大学連合24-17全慶應義塾大学
日本ラグビーフットボール史 (《アジア競技大会で7人制日本代表が悲願の金メダル達成》)

プレーが途切れれば試合終了という中でボールを2分間ほどつなぎ、最後は山田章人(慶應義塾大学)がゴールライン
年代史・観戦記・その他資料 (大正3年(1914)度)

#241;ol 16シーズン目 低調なシーズンに終わる  三高の部活動休止もあり、東西の交流もなく慶大,慶大が18−6でYCACに3回目の勝利を収めたのと、同大がKRACに3試合とも接戦したことが収穫であった,その他の主要試合 〈関東〉 T3(1914).11.28 ●慶応義塾 6−19 ○YCAC G:横浜根岸,R:チッケン 第21回対戦 T4(1915).1.16 ○慶応義塾 18−6 ●YCAC G:横浜根岸,R:チッケン 第22回対戦 T4(1915) ●慶応義塾 ?
年代史・観戦記・その他資料 (大正5年(1916)度)

11 ○YCAC G:横浜根岸 R:不明 第1回定期戦 T6(1917).1.7 △三高 6−6 △慶応義塾,G:三田綱町 R:高地万寿吉 第4回定期戦 慶応義塾、YCACに4度目の勝利 大正5年12月18日,T5(1916).12.18 ○慶応義塾 3−0 ●YCAC G:横浜根岸 R:不明 第24回対戦1),●慶応義塾 ?−?,.2.10 ○三高 22−3 ●KRAC G:神戸東遊園地 R:不明 第8回定期戦 1) 第24回慶応義塾対
年代史・観戦記・その他資料 (明治36年(1903)度)

慶応義塾蹴球部にとって朗報となった、この貴重な情報の発掘者は、ラグビージャーナリストの秋山陽一氏。,M36(1903).12.5 ●慶応義塾 0−44 ○YCAC G:横浜公園 R:不明 第2回対戦 M37,(1904).2.10 ●慶応義塾 ?,○YCAC G:横浜公園 R:不明 第3回対戦 三田綱町に新運動場用地  慶応義塾は12月28日に,第1回塾内大会  慶応義塾で初めての塾内ラグビー大会が行われた。
年代史・観戦記・その他資料 (明治45~大正1年(1912)度)

#241;ol 14シーズン目 明治天皇崩御、明治から大正へ 「7月30日に明治天皇が崩御され、慶応義塾,0 ●京都一中 G:三高 R:不明 その他の主要試合 〈関東〉 T1(1912).11.16 ●慶応義塾,0−15 ○YCAC G:横浜公園 R:ウィリー 第17回対戦 T1(1912).11.30 ○慶応義塾,8−0 ●YCAC G:横浜根岸 R:ウィリー 第18回対戦 T2(1913).2.8 △慶応義塾,3−3 △YCAC G:三田綱町 R:ウィード 第19回対戦 T2(1913).2.15 ●慶応義塾
年代史・観戦記・その他資料 (大正2年(1913)度)

大正2年(1913)度 English Español 15シーズン目 慶応義塾4回目,T3(1914).1.5 ○慶応義塾 27−0 ●京都クラブ G:京都 R:不明 T3(1914).1.6,○慶応義塾 29−0 ●京都クラブ G:京都 R:不明 T3(1914).1.7 ○慶応義塾 46−,0 ●京都一中 G:京都 R:井上 T3(1914).1.8 ○慶応義塾 8−0 ●同大 G:同大 R,:スペンス 第2回定期戦 T3(1914).1.10 ●慶応義塾 0−5 ○KRAC G:神戸東遊園地
年代史・観戦記・その他資料 (決勝記録一覧)

グラウンド レフリー 【大学東西王座決定戦】 第1回 昭和3年(1928)1.1 ○京都大学 11−5 ●慶応大学,●早稲田大学 神宮競技場 橋本寿三郎 第2回 昭和4年(1929)1.1 ○京都大学 12−3 ●慶応大学,京大グラウンド 巌栄一 第3回 昭和5年(1930)1.7 △京都大学 9−9 △慶応大学 神宮競技場,6年(1931)1.8 ○慶応大学 17−0 ●同志社大学 花園ラグビー場 望月信次 第5回 昭和7年,早稲田大学 32−5 ●京都大学 花園ラグビー場 杉本彰 第17回後期 昭和18年(1943)1.1 ○慶応大学
年代史・観戦記・その他資料 (明治40年(1907)度)

明治40年(1907)度 English Español 9シーズン目 慶応義塾創立50,周年記念塾内大会  4月23日に慶応義塾創立50周年記念として、第6回塾内大会でラグビーが行われ、幼年組,慶応義塾蹴球部歌「白鎧鎧(はくがいがい)……」が誕生 『慶応60年史』P146にOBの安藤復蔵がこう,慶応義塾、KRACと定期戦を開始  神戸レガッタ&アスレチック・クラブとの定期戦が決定、明治,M41(1908).2.1 ●慶応義塾 0−30 ○YCAC G:三田綱町 R:不明 第10回対戦
年代史・観戦記・その他資料 (大正6年(1917)度)

大正6年(1917)度 English Español 19シーズン目 慶応義塾、関西,T7(1918).1.7 △慶応義塾 3−3 △同大 G:同大 R:佐伯信男 第5回定期戦 T7(1918,).1.9 ○慶応義塾 3−0 ●三高 G:三高 R:佐伯信男 第5回定期戦 T7(1918).1.12,○慶応義塾 11−0 ●KRAC G:神戸東遊園地 R:スペンス 第10回定期戦 第1回日本蹴球大会開催,その他の主要試合 〈関東〉 T7(1918).1.31 ○慶応義塾 3−0 ●同大 G:三田綱町 R
年代史・観戦記・その他資料 (大正4年(1915)度)

T5(1916).1.8 ●慶応義塾 5−15 ○KRAC G:神戸東遊園地 R:レセリストステン 第,8回定期戦 T5(1916).1.10 ○慶応義塾 8−5 ●同大 G:同大 R:堀井 第4回定期戦,T5(1916).1.11 ○慶応義塾 10−0 ●三高 G:三高 R:国光郁文 第3回定期戦 T5(,まだ関東には慶応義塾しかラグビー部[慶応では蹴球部と称した]がなかった時代である。,その他の主要試合 〈関東〉 T5(1916).1.29 ●慶応義塾 5−6 ○YCAC G:横浜根岸
年代史・観戦記・その他資料 (大正12年(1923)度)

T12(1923).5.22 ○慶應義塾 26−0 ●大阪高商 G:大阪築港 R:井上 1回戦 T12,27−0 ●同大 G:大阪築港 R:竹上四郎 準決勝 T12(1923).5.27 ○慶應義塾 11,その他の主要試合 〈関東〉 T12(1923).11.23 ○慶応義塾 20−3 ●早大 G:早大戸塚,R:香山蕃 第2回定期戦 T12(1923).12.18 ○慶応義塾 60−0 ●明大 G:三田綱町,9−0 ●京大 G:三高 R:竹上四郎 第1回定期戦1) T13(1924).1.6 ○慶応義塾 3
年代史・観戦記・その他資料 (明治42年(1909)度)

明治42年(1909)度 English Español 11シーズン目 慶応義塾蹴球部,M43(1910).2.18 ●慶応義塾 0−21 ○YCAC G:横浜公園 R:マクナートン 第14,回対戦 M42(1909).12.25 ●慶応義塾 0−6 ○KRAC G:神戸東遊園地 R:ジェフリー
年代史・観戦記・その他資料 (明治37年(1904)度)

YCACは2ndで対戦したが慶応義塾は0−17で敗れた。,M37(1904).12.8 ●慶応義塾 0−17 ○YCAC 2軍 G:横浜公園 R:ムーン 第4回対戦,第2回塾内大会  11月19日午後1時、三田綱町グラウンドで慶応義塾第2回フットボール大会が行われた
年代史・観戦記・その他資料 (明治38年(1905)度)

M38(1905).12.8 ●慶応義塾 0−14 ○YCAC 2軍 G:横浜公園 R:ムーン 第5回対戦,M39(1906).2.17 ●慶応義塾 0−9 ○YCAC G:日比谷公園 R:田中銀之助 第6回対戦,塾内大会秋・春2回開催  三田綱町では慶応義塾の塾内大会が行われているが、このシーズンは秋[天長節
年代史・観戦記・その他資料 (明治41年(1908)度)

明治41年(1908)度 English Español 10シーズン目 慶応義塾、YCAC,M41(1908).11.14 ○慶応義塾 12−0 ●YCAC G:三田綱町 R:松岡正男 第11回対戦,M41(1908).12.5 ●慶応義塾 0−25 ○YCAC G:横浜公園 R:不明 第12回対戦,M42(1909).2.13 ●慶応義塾 0−30 ○YCAC G:横浜公園 R:不明 第13回対戦,M42(1909).1.30 ●慶応義塾 6−11 ○KRAC G:横浜公園 R:ジェフリー 第2回定期戦
年代史・観戦記・その他資料 (昭和33年(1958)度)

/慶応義塾蹴球部60周年 6月1日に慶応義塾60周年記念式典が日吉で行われた。,『慶応義塾体育会蹴球部六十年史』は11月に発刊されている。,冒頭のページに「発刊に寄せて」と題する一文に黒黄会会長の脇肇氏が「慶応義塾六十年の歴史は其のまま日本ラグビー,日本ラグビー界への慶応義塾の貢献は言葉では言い尽くせない。,Aブロック 早大、慶大、明大、法大、中大、立大、青学大。
年代史・観戦記・その他資料 (明治43年(1910)度)

慶応義塾2年ぶりにYCACを破る  11月26日に行われたYCACとの試合に16−0で慶応義塾が快勝,M43(1910).11.26 ○慶応義塾 16−0 ●YCAC G:横浜公園 R:不明 第15回対戦
日本ラグビーフットボール史 (《古都京都にラグビーの息吹が》)

期せずして慶應義塾にラグビーを紹介し、育てた恩師にも縁のある学校ではあったが、太田中学同様なぜか両校とも,ここでひとつはっきりしていることは、この前史の冒頭で述べたように慶應義塾でラグビーが根付き、育っていった,慶應義塾にとって東都での普及活動は不運の一語に尽きるが、遠く離れた古都京都に蹴球部と同じような土壌をもった,両者の間には違いこそあったが、慶應義塾予科と三高は同年代。
年代史・観戦記・その他資料 (明治32年(1899)度)

#241;ol 明治32年4月~33年3月(以下同じ) 1シーズン目 日本ラグビー発祥の年  慶応義塾,『慶応60年史』P189-208には、明治42年(1909)11月11日博文館より発行された、慶応義塾蹴球部著作,そこには「クラークと田中銀之助が慶応にラグビーを伝えたこと」に加え、「慶応義塾の最初の練習場が仙台ケ原
年代史・観戦記・その他資料 (明治44年(1911)度)

すべきこの試合は、4月8日10時30分、三田綱町グラウンドで、ウィード主審のホイッスルでキックオフ、慶応義塾,M44(1911).4.8 ○慶応義塾 39−0 ●三高 G:三田綱町 R:ウィード 第1回定期戦,同志社にラグビー部創部 「すでに周知の如くラグビーは慶応義塾から三高へ、三高から同志社へと伝えられたとされている,M45(1912).1.8 ○慶応義塾 24−3 ●同大 G:三高 R:相馬竜雄 第1回定期戦 明治時代,のラグビー  慶応義塾の明治時代の成績はYCACに2勝1分13敗、KRACとは1分3敗、三高に2勝、
日本ラグビーフットボール史 (《すべては同好クラブから》)

それは「慶應義塾体育会蹴球部」と呼ばれるが、では1899年秋の発祥時からこの名称をもっていたかといえばそうではない,クラークの誘いに触発された猪熊隆三らのラグビー活動が「蹴球部」と名乗り、慶應義塾体育会に晴れて加盟できたのは,この六十年史掲載の安藤原稿を読むかぎり慶應義塾蹴球部の初代主将は山崎不二雄であるが、どこでどう間違ったのか,4年間の同好クラブ活動という草創期の背景、そして松岡正男の慶應義塾入学から卒業の年度をつぶさに検討すれば,慶應義塾でも百年史で蹴球部初代主将を山崎不二雄としており、今回編纂の日本協会八十年史でも正史の安藤説を
日本ラグビーフットボール史 (《2人のキャンタブとその役割》)

は、2人のキャンタブ─すなわちスコットランド系英国人E.B.クラーク、留学生だった田中銀之助によって慶應義塾,今様に解釈すれば、慶應義塾の語学講師だったクラークは「ラグビー部長」であり、慶應義塾のOBではなかったが,慶應義塾が初めてYC&AC(横浜外国人クラブ)と対外試合を行った1901(明治34)年12月7,ともすれば物心両面で慶應義塾蹴球部(以後蹴球部)の若者たちをサポートした田中銀之助と比較されがちのクラーク,コラム『慶應義塾創部以前の、国内におけるラグビーフットボール』
年代史・観戦記・その他資料 (決勝記録一覧)

法政大学 11−8 ●早稲田大学 秩父宮ラグビー場 西山常夫 第5回 昭和44年(1969)1.5 △慶応大学,−6 ●明治大学 国立競技場 真下昇 第14回 昭和53年(1978)1.4 ○明治大学 7−6 ●慶応大学,日本体育大学 国立競技場 八木宏器 第21回 昭和60年(1986)1.6 ○同志社大学 10−6 ●慶応大学,国立競技場 斉藤直樹 第22回 昭和61年(1986)1.4 △慶応大学 12−12 △明治大学 国立競技場,早稲田大学 国立競技場 下井真介 第44回 平成20年(2008)1.12 ○早稲田大学 26−6 ●慶応大学
年代史・観戦記・その他資料 (大正8年(1919)度)

大正8年(1919)度 English Español 21シーズン目 慶応義塾の関西遠征,T9(1920).1.6 ○慶応義塾 3−0 ●三高 G:三高 R:佐伯信男 第7回定期戦 T9(1920,).1.8 ○慶応義塾 5−3 ●同大 G:同大 R:不明 第8回定期戦 T9(1920).1.10,○慶応義塾 19−3 ●KRAC G:神戸東遊園地 R:スペンス 第11回定期戦 第3回日本蹴球大会
年代史・観戦記・その他資料 (明治34年(1901)度)

慶応義塾がYCACと12月7日に横浜公園で試合を行いYCACが41−5で勝利を収めた。,M34(1901).12.7 ●慶応義塾 5−41 ○YCAC G:横浜公園 R:バスゲート 第1回対戦
年代史・観戦記・その他資料 (大正15年(1926)度)

/慶応義塾、国内チームに無敗で大正時代を終える 慶応は1899年の創部以来、明治、大正の時代、国内では,早大 31−0 ●商大 G:戸山原 R:橋本壽三郎 第4回定期戦 T15(1926).10.26 ○慶応義塾,.11.4 ○早大 31−5 ●立大 G:立大 R:馬場二郎 第2回定期戦 T15(1926).11.5 ○慶応義塾,明大 3−0 ●商大 G:成増兎月園 R:早川郁三郎 第2回定期戦 T15(1926).11.23 △慶応義塾,8−8 △早大 G:神宮競技場 R:馬場二郎 第5回定期戦 T15(1926).12.4 ○慶応義塾
日本ラグビーフットボール史 (《寄宿舎制度の恩恵》)

《寄宿舎制度の恩恵》 慶應義塾でなぜラグビーが定着していったのだろう。,慶應義塾の寄宿舎制度だが、その歴史は古い。,慶應義塾と改名してからもこの伝統は守り続けられ、ラグビー草創期の1900(明治33)年9月には三田山上,なお、同じように寄宿舎制度がラグビー部創始に結びついたケースとして指摘できるのは、慶應義塾に次ぐ日本で
年代史・観戦記・その他資料 (大正13年(1924)度)

九州にラグビー始まる  九州ラグビークラブが創立、慶大が遠征して記念試合を行った。,19−0 ●YCAC G:横浜根岸 R:山口六助 第6回定期戦 T13(1924).11.23 ○慶応義塾,.12.28 ○京大 12−8 ●東大 G:一高 R:香山蕃 第4回定期戦 T13(1924).12.31 ○慶応義塾,19−3 ●京大 G:三田綱町 R:橋本壽三郎 第2回定期戦 T14(1925).1.4 ○慶応義塾,6−0 ●三高 G:三田綱町 R:奥村竹之助 第12回定期戦 T14(1925).1.7 ○慶応義塾
年代史・観戦記・その他資料 (大学東西王座決定戦の歩み)

昭和2年(1927)11月23日の第6回早慶戦で慶応大学は早稲田大学に6−8で敗れ、創部以来初めて日本人,京大は関東の早大、慶大を破って初の全国制覇を成し遂げた。  ,しかし京大と定期戦を組んでいなかった立大にはチャレンジの機会がなく、立大に敗れた慶大と京大の試合が、王座決定戦,昭和30年(1935)度には、慶大と日大が全勝したが両校の対戦がなく、日大は同大とも対戦がないため、王座決定戦,回) 優勝チームおよび優勝回数 1 早稲田大学 11回 2 明治大学 9回 3 京都大学 4回 4 慶応大学
年代史・観戦記・その他資料 (大正11年(1922)度)

慶応義塾が蒔いた種が、京都で育ち再び東京へ戻って花を咲かせたという好例であろう。,私の推測だが、それ以前は慶應のクラーク先生から教えられた『ラグビー式フットボール』(明治42年、慶応義塾蹴球部,関東OB 3−0 ●関西OB G:三田綱町 R:大市信吉 第5回 T11(1922).11.23 ○慶応義塾,三高 3−13 ○YCAC G:横浜根岸 R:アトール 第3回定期戦 T12(1923).1.8 ○慶応義塾,○同大 3−0 ●早大 G:早大戸塚 R:増田鉱太郎 第1回定期戦 T12(1923).1.21 ○慶応義塾
年代史・観戦記・その他資料 (明治39年(1906)度)

M39(1906).11.24 ●慶応義塾 4−6 ○YCAC G:三田綱町 R:ミッチェル 第7回対戦,M40(1907).1.26 ●慶応義塾 0−9 ○YCAC G:横浜公園 R:バッドソン 第8回対戦
年代史・観戦記・その他資料 (大正14年(1925)度)

T14(1925).12.26 ●慶大 12−13 ○上海クラブ G:ダマロ競馬場 R:オームストン,慶大上海遠征 T14(1925).12.30 ○慶大 8−3 ●香港クラブ G:ダマロ競馬場 R:オームストン,○明大 11−3 ●商大 G:石神井 R:橋本壽三郎 第1回定期戦 T14(1925).12.6 ○慶応義塾,○早大 11−3 ●明大 G:早大戸塚 R:北野 第3回定期戦 T14(1925).11.15 ○慶応義塾,.11.21 ●明大 6−8 ○立大 G:立大 R:目良篤 第2回定期戦 T14(1925).11.23 ○慶応義塾
日本ラグビーフットボール史 (《日本チーム同士が初めて対戦―新時代の幕が開けた》)

ホスト役の慶應義塾が組んだプログラムはまず練習マッチで第2チームが三高の相手をする。,慶應義塾が前、後半合わせて10トライ、1ゴール、1PG、1DGと得点方法のすべてを披露。,京大と慶應義塾の対戦は1923(大正12)年度に始まり、三高消滅の1948年度まで22回対戦して勝利は,慶應義塾の戦前の記録を調べてみると、同じ帝大でも東京の対慶應戦全敗に対し、三高卒業生が主力を形成していた,確かに戦前は全敗に終わった東大が戦後の復活定期戦では1946(昭和21)年、1947(昭和22)と慶應義塾
年代史・観戦記・その他資料 (大正10年(1921)度)

6−3 ●KRAC G:神戸東遊園地 R:マクノーン 第20回定期戦 T11(1922).1.7 ○慶応義塾,−0 ●同大 G:同大 R:竹上四郎 第9回定期戦 注9関西14−0 T11(1922).1.9 ○慶応義塾,.1.11 ○三高 9−0 ●東大 G:三高 R:竹上四郎 第1回定期戦 T11(1922).1.14 ●慶応義塾
年代史・観戦記・その他資料 (大学選手権の歩み)

第21回大会の決勝、同大対慶大の熱闘で「慶大幻のトライ」が話題になった。,2 帝京大学 13回 4 関東学院大学 6回 5 同志社大学 4回 6 法政大学 3回 6 慶応大学
年代史・観戦記・その他資料 (明治35年(1902)度)

1902)度 English Español 4シーズン目 体育会加盟へ準備  この年の慶応義塾
年代史・観戦記・その他資料 (大正7年(1918)度)

その他の主要試合 〈関東〉 T8(1919).1.6 ○慶応義塾 9−0 ●三高 G:三田綱町 R:,0−5 ○KRAC G:神戸東遊園地 R:スペンス 第15回定期戦 T8(1919).1.18 ○慶応義塾
日本ラグビーフットボール史 (《陰の主役はE.B.クラーク》)

《陰の主役はE.B.クラーク》 日本ラグビーの創始校慶應義塾が最初に対外試合の相手として選んだチーム,慶應義塾が対外試合を望むとすれば、好むと好まざるとにかかわらず横浜か神戸の外国人クラブとなる。
年代史・観戦記・その他資料 (明治33年(1900)度)

明治33年(1900)度 English Español 2シーズン目 慶応義塾、ラグビー
日本ラグビーフットボール史 (《トライ1号とドロップゴール1号》)

《トライ1号とドロップゴール1号》 慶應義塾とYC&ACとの第1戦では日本ラグビー史に残る歴史的,慶應義塾がYC&ACとの定期戦で2度目の得点を記録するのは5年後の第7回定期戦(第2回以降、1,その間の対戦はすべてゼロ敗だっただけに、塩田賢次郎の初試合=初トライが当時の慶應義塾にとっては想像を絶
日本ラグビーフットボール史 (《創始校倒れて新旧が一線に…》)

慶應百年史には「強い慶應義塾復活の感すらあった。,慶應義塾からOB(3人)、学生(5人)合わせて大量8人がメンバーに選ばれたのだ。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和3年(1928)度)

【大学】 京大が慶大を下し2年連続の全国制覇 京大が関東5大学を制した慶大に12−3で勝ち、2年連続2,/関東5大学対抗戦(慶大、早大、明大、東大、立大)始まる、関西は京大が連覇 これまで対抗戦としてばらばらに,第1回の関東5大学対抗戦は慶大が全勝で優勝した。,第1回関東大学対抗戦 昭和3年度(1928) 優勝 慶応大学(1回目) 順位 チーム 慶大 明大 早大,明大は慶大に健闘したが11−13で惜敗し優勝を逃している。
日本ラグビーフットボール史 (《ラグビー発祥を語る唯一の証人=貴重な記述》)

《ラグビー発祥を語る唯一の証人=貴重な記述》 ここに「慶應義塾体育会蹴球部六十年史」(以後六十年史),しかし、上記2説とも結局は定説の慶應義塾を祖とする歴史を覆すまでには至らなかった。,そして仮に両校が先行していたとして、なおかつ慶應義塾にルーツ校の名誉を譲る結果となったもう一つの理由。,昭和20年代を思い起こしながら、日本に初めてやってきたオックスフォード大学やケンブリッジ大学と母校慶應義塾,(後略)   注① 日本ラグビーにとって最初の試合となった慶應義塾vsYC&AC戦前に撮影された慶應
日本ラグビーフットボール史 (《同志社ラグビーの功績と存在感》)

《同志社ラグビーの功績と存在感》 日本ラグビーを語るとき創始校の慶應義塾とともに大きな存在感を占めるのが,確かにラグビー創始という点では慶應義塾、三高に次いで3番目ではあるが、部成立の遅速に価値が問われるものではない,慶應義塾や三高とは異なった環境がそこにはあったわけで、このことが創部をいち早く現実のものとし、活動へと
日本ラグビーフットボール史 (《蹴球部の成立とその背景》)

ボールにまつわる逸話はさておき、蹴球部の成立で慶應義塾にはいろいろ新しい制度が生まれた。,慶應義塾ではすでに途絶えてしまったこの制度。,なお、慶應義塾のキャップ制度も戦前まで。
日本ラグビーフットボール史 (《早稲田ラグビー誕生の意義》)

早稲田といえば大学創立いらい、何かにつけて慶應義塾とライバル視されてきた大学である。
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