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日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム

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年代史・観戦記・その他資料 (全国社会人大会(全55回)の成績)

それでも7連覇の新日鉄釜石、神戸製鋼の追従を許さない優勝記録はすごい。,(旧富士鉄釜石) 30回 6 大阪府警 30回 9 九州電力 28回 10 東芝府中 26回 優勝チーム,および優勝回数(引き分け優勝を含む) 1 新日鉄八幡(旧八幡製鉄) 12回 2 神戸製鋼 9回 2 新日鉄釜石,(旧富士鉄釜石) 9回 (引き分け優勝1回を含む) 4 近畿日本鉄道 8回 (引き分け優勝1回を含む),(旧富士鉄釜石) 95点 6 三洋電機(旧東京三洋) 90点 7 東芝府中 76点 8 リコー 75点
年代史・観戦記・その他資料 (決勝記録一覧)

17−8 ●トヨタ自工 花園ラグビー場 牧弥太郎 (近鉄、トヨタ、三菱京都が辞退したため、ベスト4の富士鉄釜石,が日本選手権出場) 第23回 昭和46年(1971)1.6 △新日鉄釜石 6−6 △リコー 秩父宮ラグビー,場 江田昌佑 (双方優勝、抽選で新日鉄釜石が日本選手権出場) 第24回 昭和47年(1972)1.8,19−0 ●トヨタ自工 花園ラグビー場 森本 圭 第35回 昭和58年(1983)1.8 ○新日鉄釜石,31−0 ●東芝府中 花園ラグビー場 平井信一郎 第37回 昭和60年(1985)1.6 ○新日鉄釜石
年代史・観戦記・その他資料 (日本選手権大会の歩み)

第8回大会は、私が監督、大東和美主将の早大が、新日鉄釜石に30−16と快勝。,第14回、第15回大会で、早大が12−27で新日鉄釜石に、明大が10−20とトヨタに、健闘むなしく敗れたあと,、第16回から第22回大会まで、新日鉄釜石が7連覇を果たした。  ,慶応大学 花園ラグビー場 牧弥太郎 第7回 昭和45年(1970)1.15 ○日本体育大学 29−13 ●富士鉄釜石,32−6 ●明治大学 国立競技場 野々村博 第18回 昭和56年(1981)1.15 ○新日鉄釜石
年代史・観戦記・その他資料 (昭和45年(1970)1月15日 第7回日本選手権試合)

(1970)1月15日 第7回日本選手権試合 機関誌 秩父宮ラグビー場 ○日体大 29-13 富士鉄釜石,1970年1月15日 G:秩父宮ラグビー場 R:西山常夫 KO 14:30 日体大 29 - 13 富士鉄釜石,) 1 T 2 4 細川 正文(秋田工) 5 浜武 常司(③西海学園) 1 G 1 5 小林 一郎(釜石北高,)  大学選手権で早大に11−9で逆転優勝を遂げた日体大が、富士鉄釜石に勝って夢のチャンピオンに輝いた,日体大は前半20分FL福沢がゴールポスト直下に飛び込んだトライ(青木ゴール)と青木のPGに対し、釜石は
年代史・観戦記・その他資料 (昭和52年(1977)1月15日 第14回日本選手権試合)

昭和52年(1977)1月15日 第14回日本選手権試合 写真 機関誌 国立競技場 ○新日鉄釜石,27-12 早大● ワセダ玉砕 新日鉄釜石悲願のV1 昭和51年(1976)度 第14回日本選手権試合,1977年1月15日 G:国立競技場 R:町井徹郎 KO 14:30 新日鉄釜石 27 - 12 早大,36分、釜石宮本が突進、南村が右スミにトライ。釜石14−3早大で前半終了。,後半釜石松尾、早大岡本がPGを加えた22分、釜石はラックから右に展開、松尾、森、横山、松尾、佐野とつないで
年代史・観戦記・その他資料 (昭和45年(1970)度 第23回社会人大会決勝)

度 第23回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和46年(1971)1月6日 秩父宮ラグビー場 △新日鉄釜石, 第23回社会人大会決勝 1971年1月6日 G:秩父宮ラグビー場 R:江田昌佑 KO 14:30 新日鉄釜石,) 15 山本  巌(早大) [双方優勝、抽選で新日鉄釜石が日本選手権に出場]  第22回の大会にして,前半終了間際には釜石が宮田のパントを内野が押さえて同点にした。,抽選で釜石が日本選手権の出場権を得たが、いまの得点法では10−8で釜石が勝ったことになり、まずは順当という
日本ラグビーフットボール史 (《日本選手権の変遷》)

つづく第8、9回は早稲田(前述)と大学勢が優位に立っているが、相手の社会人チームは、7連覇の偉業達成前の富士鉄釜石,新日鉄釜石は大学ラグビーの出身者がわずかに2人。あとは東北、北海道の高校出身者で固めている。,日本選手権の歴史を紐解いても、このような異色のチャンピオンは新日鉄釜石をおいてほかにない。,(要旨)    そして新日鉄釜石時代の終焉とともに3年間の時をおいて登場したのが神戸製鋼である。,それにしても、高校出の優秀な素材を鍛えに鍛えて「鉄の軍団」を育てあげた東北の小さな町の新日鉄釜石。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和36年(1961)度 第14回社会人大会決勝)

この大会に、後に7連覇を達成する新日鉄釜石(当時は富士鉄釜石)が初出場したが、1回戦で大阪府警に6−19
年代史・観戦記・その他資料 (昭和54年(1979)1月15日 第16回日本選手権試合)

昭和54年(1979)1月15日 第16回日本選手権試合 写真 機関誌 国立競技場 ○新日鉄釜石,1979年1月15日 G:国立競技場 R:野々村博 KO 14:30 新日鉄釜石 24 - 0 日体大,その差は釜石の試合運びのうまさである。,後半2分にも釜石は松尾のPGでリードを広げる。,釜石はさらに27分、30分にトライを連取して完勝した。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和56年(1981)1月15日 第18回日本選手権試合)

昭和56年(1981)1月15日 第18回日本選手権試合 写真 機関誌 国立競技場 ○新日鉄釜石,1981年1月15日 G:国立競技場 R:野々村博 KO 14:30 新日鉄釜石 10 - 3 同大,釜石が7連覇のなかで一番苦しんだ試合であり、同大が見事な戦いを見せたといえる。,この試合唯一のトライが釜石に勝利をもたらした。,前半10分の同大SO森岡の見事なドロップゴールと、釜石谷藤のトライで4−3で折り返した後半、釜石は金野
年代史・観戦記・その他資料 (昭和59年(1984)1月15日 第21回日本選手権試合)

昭和59年(1984)1月15日 第21回日本選手権試合 写真 機関誌 国立競技場 ○新日鉄釜石,1984年1月15日 G:国立競技場 R:真下 昇 KO 14:30 新日鉄釜石 35 - 10 同大,社会人準々決勝の九電戦で九死に一生を得た釜石は、準決勝で東京三洋を、決勝では東芝府中に快勝して釜石時代,釜石は円熟の域に達したSO松尾雄治が試合を自在に組み立て、釜石の力を引き出す。,スタンドにはためく釜石の大漁旗にのみ込まれてしまった。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和51年(1976)度 第29回社会人大会決勝)

度 第29回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和52年(1977)1月8日 秩父宮ラグビー場 ○新日鉄釜石,1977年1月8日 G:秩父宮ラグビー場 R:町井徹郎 KO 14:30 新日鉄釜石 27 - 3,司(明大) C2 和田  透(函館北高) 18 後 3 C2 関口 憲明(日体大) 3 洞口 孝治(釜石工,30分にも釜石はNo8小林一郎がドリブルからトライ、さらにもう2トライを重ねて完勝した。,釜石の勝因は松尾のゲームメイクに負うところが多いが、釜石の前へ踏み込むディフェンスに、持ち味のライン攻撃
年代史・観戦記・その他資料 (昭和55年(1980)1月15日 第17回日本選手権試合)

昭和55年(1980)1月15日 第17回日本選手権試合 写真 機関誌 国立競技場 ○新日鉄釜石,32-6 明大● 釜石、明大の挑戦を跳ね返しV2 昭和54年(1979)度 第17回日本選手権試合,1980年1月15日 G:国立競技場 R:野々村博 KO 14:30 新日鉄釜石 32 - 6 明大,しかし期待に反して試合は釜石の一方的な展開になってしまった。,後半も釜石が細川、森とトライを重ねたが、明大も終了間際に橋爪がトライをあげて一矢報いた。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和58年(1983)1月15日 第20回日本選手権試合)

昭和58年(1983)1月15日 第20回日本選手権試合 写真 機関誌 国立競技場 ○新日鉄釜石,)度 第20回日本選手権試合 1983年1月15日 G:国立競技場 R:八木宏器 KO 14:30 新日鉄釜石,同大は明大を破って釜石に2度目のチャレンジとなった。,FW戦で優位に立った釜石が、じわじわと同大にプレッシャーをかける。,38分には釜石松尾が見事なドロップゴールを決めて、釜石がノートライで9−4とリードした。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和53年(1978)度 第31回社会人大会決勝)

度 第31回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和54年(1979)1月8日 秩父宮ラグビー場 ○新日鉄釜石,年1月8日 G:秩父宮ラグビー場 R:真下 昇 KO 14:00 新日鉄釜石 15 - 3 三菱自工京都,釜石のSOは松尾雄治、三菱のSOが松尾雄吾の兄弟対決が話題になった。,試合は松尾兄のPGで先行した釜石を三菱松尾弟も負けじとPGを返し3−3の展開となった。,ゴールも決めて9−3と釜石が優位に立つ。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和58年(1983)度 第36回社会人大会決勝)

)度 第36回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和59年(1984)1月8日 花園ラグビー場 ○新日鉄釜石,1984年1月8日 G:花園ラグビー場 R:平井信一郎 KO 14:00 新日鉄釜石 31 - 0,まさに釜石はモンスター軍団に成長した。だが準々決勝の九州電力には苦しんだ。,これが薬となって決勝では釜石本来のラグビーを見せた。,松尾は腰を痛めて苦しいシーズンであったが、釜石の連勝を途切れさせず6連覇と記録を伸ばした。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和54年(1979)度 第32回社会人大会決勝)

)度 第32回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和55年(1980)1月8日 花園ラグビー場 ○新日鉄釜石,27-13 東京三洋● 釜石、東京三洋を倒して2連覇 昭和54年(1979)度 第32回社会人大会決勝,1980年1月8日 G:花園ラグビー場 R:平井信一郎 KO 14:00 新日鉄釜石 27 - 13,(福岡工大) 2 和田  透(函館北高) 17 後 7 C2 天尾 健治(新潟工) 3 洞口 孝治(釜石工,釜石の優勝までの軌跡を見ると、抜群の安定感がわかる。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和57年(1982)1月15日 第19回日本選手権試合)

昭和57年(1982)1月15日 第19回日本選手権試合 写真 機関誌 国立競技場 ○新日鉄釜石,)度 第19回日本選手権試合 1982年1月15日 G:国立競技場 R:真下 昇 KO 14:30 新日鉄釜石,新潟商) 2 和田  透(函館北高) 15 後 7 2 佐藤 康信(①秋田市立高) 3 洞口 孝治(釜石工,しかし釜石はトライ、ゴールにPGを加えて15−7で折り返す。,後半9分には明大がスクラムからSH窪田がサイドを突いてトライ、20分にはFWの猛攻で釜石ゴールに迫り、
年代史・観戦記・その他資料 (昭和60年(1985)1月15日 第22回日本選手権試合)

昭和60年(1985)1月15日 第22回日本選手権試合 写真 機関誌 国立競技場 ○新日鉄釜石,)度 第22回日本選手権試合 1985年1月15日 G:国立競技場 R:八木宏器 KO 14:30 新日鉄釜石,③広島工) 2 多田 信行(黒沢尻工) 19 後 4 2 上滝  彰(④富士高) C3 洞口 孝治(釜石工,②伏見工) 4 菊地  保(黒沢尻工) 1 T 2 4 圓井  良(④同志社香里) 5 瀬川  清(釜石工,36分には釜石CTB小林にトライを許し金野ゴールで13−12でハーフタイム。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和55年(1980)度 第33回社会人大会決勝)

度 第33回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和56年(1981)1月8日 秩父宮ラグビー場 ○新日鉄釜石,31-15 東京三洋● 釜石時代の到来、三洋を下して3連覇 昭和55年(1980)度 第33回社会人大会決勝,1981年1月8日 G:秩父宮ラグビー場 R:高森秀蔵 KO 14:00 新日鉄釜石 31 - 15,志郎(日大) 2 和田  透(函館北高) 24 後 3 2 天尾 健治(新潟工) 3 洞口 孝治(釜石工,三郎(福岡工大) 4 千田 美智仁(黒沢尻工) 1 T 1 4 高浜 美昭(天理大) 5 瀬川  清(釜石工
年代史・観戦記・その他資料 (昭和56年(1981)度 第34回社会人大会決勝)

)度 第34回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和57年(1982)1月8日 花園ラグビー場 ○新日鉄釜石,19-0 トヨタ自工● 釜石磐石の快進撃、トヨタを下して4連覇 昭和56年(1981)度 第34,回社会人大会決勝 1982年1月8日 G:花園ラグビー場 R:森本 圭 KO 14:00 新日鉄釜石,前半は釜石CTB金野年明のPGで3−0と拮抗していた。,その後氏家、石山のトライを加えた釜石が19−0で4連覇を達成した。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和61年(1986)度 第39回社会人大会決勝)

回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和62年(1987)1月8日 秩父宮ラグビー場 ○トヨタ自動車 19-6 新日鉄釜石,● トヨタが釜石を破り連覇 昭和61年(1986)度 第39回社会人大会決勝 1987年1月8日 ,G:秩父宮ラグビー場 R:井上哲夫 KO 14:00 トヨタ自動車 19 - 6 新日鉄釜石 1 八角,一寿(明大) 16 後 0 2 多田 信行(黒沢尻工) 3 池田 洋七郎(中京大) 3 洞口 孝治(釜石工,前年度は王者釜石との対決のない優勝だったが、この年は決勝で堂々と釜石を下しての優勝、トヨタフィフティーン
年代史・観戦記・その他資料 (昭和59年(1984)度 第37回社会人大会決勝)

1984)度 第37回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和60年(1985)1月6日 国立競技場 ○新日鉄釜石,1985年1月6日 G:国立競技場 R:八木宏器 KO 14:00 新日鉄釜石 22 - 0 神戸製鋼,しかし私は、社会人大会で前人未到の7連覇を達成した新日鉄釜石のベストゲーム、12人の選手がつなぎまくって,すべてのチームが打倒釜石に燃え上がっている中、さすがの釜石も簡単には勝ち進めなかった。,東芝3Tに対し釜石は1T、現在の得点法であれば釜石は20−22で敗れていた。  
年代史・観戦記・その他資料 (昭和46年(1971)1月15日 第8回日本選手権試合)

1971)1月15日 第8回日本選手権試合 写真 機関誌 秩父宮ラグビー場 ○早大 30-16 新日鉄釜石,1971年1月15日 G:秩父宮ラグビー場 R:堤 和久 KO 14:30 早大 30 - 16 新日鉄釜石,前半は釜石ペース。小藪のキックで早大陣へ入り、伊藤がトライ。,釜石は早大ゴール前に攻め、2度、3度と5メートルスクラム。,これで釜石はがっくりきた。バックスのディフェンスも甘くなり、FWの動きも鈍くなる。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和57年(1982)度 第35回社会人大会決勝)

度 第35回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和58年(1983)1月8日 秩父宮ラグビー場 ○新日鉄釜石,16-0 トヨタ自動車● (トヨタ自工が社名変更) 釜石、トヨタを下して怒涛の5連覇 昭和57, 第35回社会人大会決勝 1983年1月8日 G:秩父宮ラグビー場 R:八木宏器 KO 14:00 新日鉄釜石,浩司(保善高) 2 多田 信行(黒沢尻工) 10 後 0 C2 平井 俊洋(同大) C3 洞口 孝治(釜石工,釜石は準決勝で東芝府中に16−11と苦戦したほかは磐石。決勝ではトヨタに2年連続の完封勝ちを収めた。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和55年(1980)度)

★69 1981.3.21 ○日本代表 10−9 ●豪州学生選抜 秩父宮 【選手権】 新日鉄釜石が3,連覇 第18回日本選手権は、新日鉄釜石が同大を10−3で退けて3年連続4回目の日本一に輝いた。,【社会人】 新日鉄釜石が優勝 第33回社会人大会は新日鉄釜石が東京三洋を31−15で破り、3年連続5回目,の優勝を果たし、釜石時代を着実に築いていく。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和54年(1979)度)

【選手権】 新日鉄釜石が連覇 第16回日本選手権は新日鉄釜石が明大を32−6と圧倒し、2年連続3回目の,【社会人】 新日鉄釜石が優勝 第32回社会人大会は、釜石が27−13で東京三洋に勝ち2年連続4回目の優勝,/国体は成年が岩手、少年は東京と宮崎が優勝 第34回宮崎国体は都城市で行われ、成年は岩手県(新日鉄釜石
年代史・観戦記・その他資料 (昭和45年(1970)度)

【選手権】 早大2回目の日本一 第8回日本選手権で大東和美主将率いる早大が、新日鉄釜石に30−16で快勝,【社会人】 釜石とリコーが双方優勝 第23回社会人大会では、新日鉄釜石とリコーが6−6で引き分けて双方優勝,、抽選で釜石が日本選手権へ出場した。,教員は岐阜が優勝 第25回岩手国体は盛岡市で開かれ、成年の部は東京都(全東京)が19−17で岩手県(新日鉄釜石
年代史・観戦記・その他資料 (昭和59年(1984)度)

日本代表以外の対戦は60−22日本選抜、65−6新日鉄釜石、42−6日本選抜だった。,★82 1984.10.27 ○日本代表 20−13 ●韓国代表 福岡春日 【選手権】 釜石ついに7,連覇を達成 第22回日本選手権で、新日鉄釜石は3年連続でチャレンジした同大を31−17でかわし、日本選手権,【社会人】 釜石決勝で4年連続無失点 第37回社会人大会では、新日鉄釜石が神戸製鋼に22−0で勝って7,釜石の記録は、この4年間の決勝ですべてシャットアウト勝ちというものすごさであった。
年代史・観戦記・その他資料 (全国社会人大会の歩み)

期群雄割拠時代  第21回大会で初めてトヨタ自工が優勝し、30回大会で2度目の優勝を果たすまで、近鉄、新日鉄釜石,第3期 第31回~第40回 新日鉄釜石時代  正月の国立競技場に毎年大漁旗が打ち振られ、真紅のジャージィ,がグラウンドに躍動する釜石時代が到来した。,第4期 第41回~第47回 神戸製鋼時代  釜石を追うように林敏之、大八木淳史、平尾誠二の神戸製鋼が
年代史・観戦記・その他資料 (昭和57年(1982)度)

【選手権】 新日鉄釜石5連覇 第20回日本選手権では、同大の健闘も釜石の牙城を崩せず、21−8で釜石が,【社会人】 釜石の5連覇 第35回社会人大会は新日鉄釜石が磐石の強さを見せて決勝でトヨタ自動車[トヨタ,/国体は成年が岩手、少年は東京が優勝 第37回鳥取国体は出雲市で行われ、成年は岩手県(新日鉄釜石)が43
年代史・観戦記・その他資料 (昭和58年(1983)度)

1983.10.22 ●日本代表 24−29 ○ウエールズ代表 アームズパーク129-1 【選手権】 新日鉄釜石,6連覇 第21回日本選手権は全盛期を迎えた新日鉄釜石が、大学チャンピオンの同大を35−10で退けて6年連続,【社会人】 釜石時代 第36回社会人大会決勝は、新日鉄釜石が東芝府中を31−0の大差で破り、6年連続8
年代史・観戦記・その他資料 (昭和53年(1978)度)

★61 1978.11.25 ○日本代表 16−4 ●韓国代表 ムルディカ競技場 【選手権】 釜石7,連覇のスタート 第16回日本選手権では、新日鉄釜石が日体大を24−0で圧倒し、2年ぶり2回目のチャンピオン,この年から釜石の前人未到の7連覇がスタートする。,【社会人】 新日鉄釜石が優勝 第31回社会人大会では、新日鉄釜石が15−3で三菱自工京都を破り、2年ぶり
年代史・観戦記・その他資料 (昭和60年(1985)度)

1985.10.26 ●日本代表 0−52 ○フランス代表 ボジョアール 【選手権】 ミラクル慶大初の日本一、釜石,新日鉄釜石は社会人大会の準決勝で神戸製鋼に敗れ連覇に終止符を打った。,準決勝で新日鉄釜石が9−13で神戸製鋼に敗れる波乱があった。,【国際】 6月、新日鉄釜石がNZ遠征(3勝2敗)。/10月、豪州ランドウィッククラブ来日(2勝)。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和56年(1981)度)

★70 1982.1.30 ○日本代表 18−12 ●香港代表 秩父宮 【選手権】 新日鉄釜石4連覇, 第19回日本選手権では釜石が、食い下がる明大を30−14で突き放して4年連続5回目の日本一を飾った。,【社会人】 釜石4連覇 第34回社会人大会は新日鉄釜石が19−0でトヨタ自工を破って4年連続6回目の優勝,、松尾、洞口、谷藤らが引っ張り釜石時代を爆走する。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和43年(1968)度 第21回社会人大会決勝)

山陽パルプ、リコー、富士鉄釜石をなぎ倒して決勝進出、相手は準決勝で宿敵近鉄を18−9で倒した古豪八幡だった
年代史・観戦記・その他資料 (昭和44年(1969)度 第22回社会人大会決勝)

連覇を狙うトヨタは善通寺自衛隊に92−0[大会新]、大阪府警を41−0、富士鉄釜石を21−3と一方的な
年代史・観戦記・その他資料 (昭和51年(1976)度)

★56 1976.11.20 ○日本代表 11−3 ●韓国代表 ソウル 【選手権】 釜石が初の日本チャンピオン, 第14回日本選手権では、早大が健闘したが釜石の牙城を崩せず27−12で、釜石が初の日本一の座についた,【社会人】 釜石が優勝 第29回社会人大会は新日鉄釜石が27−3でトヨタに圧勝して、6年ぶり2回目の優勝,/オックスフォード大来日(4勝) オ大は日本代表に20−16で勝ったほか、新日鉄釜石に22−16、トヨタ
年代史・観戦記・その他資料 (昭和46年(1971)度 第24回社会人大会決勝)

決勝までの足取りは1回戦で警視庁に16−7、準々決勝では新日鉄釜石に28−20、準決勝は京都市役所に11
日本ラグビーフットボール史 (Ⅱ 社会人大会からトップリーグへ)

のプラークを贈り、ひとつの時代が終ったことを象徴するセレモニーではある、特別表彰の近鉄、新日鉄八幡、新日鉄釜石,ラグビー部  最多優勝      新日鉄八幡ラグビー部  12回  最多連続優勝      新日鉄釜石,回  新日鉄八幡            30回  大阪府警             30回  釜石,シーウェイブス(旧新日鉄釜石)30回  九州電力             28回  東芝府中             ,連日数千人のファンを動員し、大盛況だった」とあり、八幡製鉄・近鉄時代を経て戦国時代、そして1980年代の新日鉄釜石
年代史・観戦記・その他資料 (昭和25年(1950)度 第3回社会人大会決勝)

後の新日鉄釜石によく似た強力チームであった。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和49年(1974)度 第27回社会人大会決勝)

近鉄は東京三洋に18−15、新日鉄八幡に15−6、準決勝の新日鉄釜石には14−14と引き分け抽選勝ち、
年代史・観戦記・その他資料 (昭和50年(1975)度 第28回社会人大会決勝)

善通寺自衛隊を70−0、新日鉄釜石には苦しんだが19−14と逆転勝ち、準決勝の大阪府警は25−9で順調
日本ラグビーフットボール史 (Ⅲ 大学選手権に青春をかけて)

新日鉄釜石が、神戸製鋼が社会人大会、あるいは日本選手権でそれぞれ不滅の7連覇を達成しているのとも根本的,あの同志社をもってしても日本選手権で新日鉄釜石の壁を打ち破れなかったことの理由にあげても不自然ではないし,それだけにかつては互角だった社会人と大学の実力も新日鉄釜石の登場とともに、じりじりと両者の間に格差が生
年代史・観戦記・その他資料 (平成28年(2016)1月10日 平成27年(2015)度 第52回大学選手権決勝)

これまで経験してきた場数の差を感じさせる腰の据わった戦いぶりで東海大を突き放し、新日鐵釜石と神戸製鋼が
日本ラグビーフットボール史 (《全国中学・高校大会と記録の数々》)

日本選手権の新日鉄釜石、神戸製鋼が記録した7連覇、大学選手権で同志社によって樹立された3連覇とともに啓光学園
年代史・観戦記・その他資料 (強化の変遷と考察)

大東和美主将、小林正幸副主将ら、人材に恵まれていたこの年に、早大は対抗戦に全勝を果たし、日本選手権試合で新日鉄釜石
年代史・観戦記・その他資料 (昭和42年(1967)度 第20回社会人大会決勝)

一方のトヨタも確実に力をつけ、長崎教員を76−3、善通寺自衛隊を90−0の大会新記録、準決勝の富士鉄釜石
年代史・観戦記・その他資料 (昭和61年(1986)1月15日 第23回日本選手権試合)

渡瀬 祐司(④慶応高) 15 芳野 喜隆(日体大) 交代【ト】瀬川秀也(岩内高)⑧  不沈戦艦「新日鉄釜石,社会人準決勝で釜石は9−9の引き分け寸前に、神戸製鋼CTB藤崎のトライで7年間続いた王座を明け渡した。
年代史・観戦記・その他資料 (3 YC&ACセブンズ)

前日野ディーゼル)、明治大学、早稲田大学、伊勢丹、サニックス 1回 エーコンクラブ、警視庁、日本代表、新日鉄釜石,32-18 ●全同大 ○全日大 30-3 ●くるみクラブ 第21回 昭和54年(1979)4.1 ○新日鉄釜石
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