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日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム

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日本ラグビーフットボール史 (座談会 RWC2019年日本大会への道のり)

日本ラグビーフットボール史 / 座談会 RWC2019年日本大会への道のり ※座談会は2017年4月下旬実施:出席者の役職は座談会実施当時 / 座談会 RWC2019年日本大会への道のり
年代史・観戦記・その他資料 (大学東西王座決定戦の歩み)

大学東西王座決定戦の歩み 日本の大学ラグビーは、英国にならって対抗戦形式で発展してきた。,昭和2年(1927)11月23日の第6回早慶戦で慶応大学は早稲田大学に6−8で敗れ、創部以来初めて日本人,この矛盾は新興チームの日本大学、法政大学、関西学院大学らが台頭してきた昭和30年代に顕著となり、関東を,昭和30年(1935)度には、慶大と日大が全勝したが両校の対戦がなく、日大は同大とも対戦がないため、王座決定戦,また日大、法大が優勝した年には、関西の同大との対戦がなく、慶大が優勝した年も関西学大との対戦がなく、王座決定戦 / 大学東西王座決定戦の歩み
年代史・観戦記・その他資料 (昭和3年(1928)度)

【ルール】 日本協会「競技規則」を制定 日本協会はルールの統一解釈の必要性から、初代理事長田邊九萬三が,/京大対早大の定期戦中止 1月7日の京大対早大戦で、京大が9−6で早大を破ったが、ルール解釈の相違から,レフリーの判定をめぐる論争が起き、以後昭和12年(1937)11月3日まで定期戦が中止された(『日本ラグビー,/日本大学にラグビー部が創部した。,/第1回全日本OB対全日本在留外人の試合が2月24日に神宮で行われ9−9で引き分けた。
年代史・観戦記・その他資料 (日本選手権大会の歩み)

日本選手権大会の歩み 日本協会理事会は昭和35年(1960)6月、ラグビー人気の衰退を打開するために,日、秩父宮ラグビー場で社会人代表の八幡製鉄と、大学代表の日本大学が、日本協会に推薦されて戦い、八幡が50,第2回から毎年1月15日に、社会人大会の優勝チームと、大学選手権大会の優勝チームが、日本一の座を争う試合,日本のラグビー界において、日本選手権の果たしてきた役割は大きい。,グラウンド レフリー 【NHK杯】 第1回 昭和36年(1961)1.29 ○八幡製鉄 50−13 ●日本大学 / 日本選手権大会の歩み
年代史・観戦記・その他資料 (九州朝日招待試合史)

OB)に働きかけ、昭和26年(1951)1月15日に大学No.1のチームを招き、九州朝日招待試合と銘打,昭和35年(1960)度に日本協会がNHK杯争奪戦を実施、さらに昭和38年(1963)度から第1回日本選手権大会,3 1 0 2 33.3 日本大学 2 0 0 2 0 慶応大学 2 0 0 2 0 日本体育大学,●九州代表 平和台競技場 平山新一 第6回 昭和31年(1956)1.15 ●日本大 10−29 ○,第11回 昭和36年(1961)1.15 ●日本大 12−24 ○九州代表 平和台競技場 高武昭夫 / 九州朝日招待試合史
日本ラグビーフットボール史 (《早慶ラグビーに触発された東都の諸大学》)

日本ラグビーフットボール史 / 日本ラグビー史は「第2編勃興時代・東京帝国大学」の項で詳しく記しているが、要約すると「京都の三高でラグビー,京都一中、東大のラグビー部創設者で、第3代の日本協会会長を務めたキャリアがまたすごい。,11)に東大が関西遠征を試みたさい、はやくも1月6日に京大との第1回定期戦をやってのけている。,12年4月1日を創部の日としたのが歴史のはじまりである。,、青山学院など、現在の対抗戦、あるいはリーグ戦グループで活躍するチームが名乗りでたが、日本大学だけが1929 / 《早慶ラグビーに触発された東都の諸大学》
日本ラグビーフットボール史 (JWC日本開催の意義)

日本ラグビーフットボール史 / JWC日本開催の意義 2008年5月のIRB理事会にて2009年6月にJWC(U20)国際大会を日本,、このJWC日本大会の成否が招致活動に直接大きな影響を与えるものであると位置づけ、大会運営能力の向上と,また、大会を成功に収めることにより、世界に対する日本および日本のラグビーの素晴らしさの発信、日本ラグビー,の発展(国内の普及、RWC日本招致の実現、日本代表の強化)や大会を通じた地域貢献、青少年育成など大きな,の実現を、本大会の日本開催の意義として掲げ、大会運営に取組んだ。 / JWC日本開催の意義
日本ラグビーフットボール史 (全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会の立上げから第20回大会まで)

日本ラグビーフットボール史 / 昭和58年3月に毎日新聞社より(財)日本ラグビーフットボール協会(以下日本協会)に選抜大会開催の要望が,平成4年3月にさいたま高校招待ラグビー大会が開催され、翌平成5年3月には第1回東日本高校選抜ラグビー大会,平成10年3月の第5回大会では、関東協会長が西日本から6校を招待し、第5回東日本高校選抜・関東協会長招待,第12回大会は東日本大震災の影響及び諸般の状況をふまえ開催中止となりました。,熊谷 第12回 東日本大震災の影響及び諸般の状況をふまえ開催中止 第13回 東福岡高等学校 24- / 全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会の立上げから第20回大会まで
年代史・観戦記・その他資料 (昭和53年(1978)度 第31回社会人大会決勝)

昭和53年(1978)度 第31回社会人大会決勝 写真 機関誌 昭和54年(1979)1月8日 秩父宮,ラグビー場 ○新日鉄釜石 15-3 三菱自工京都● 釜石、覇権を奪回 昭和53年(1978)度 ,第31回社会人大会決勝 1979年1月8日 G:秩父宮ラグビー場 R:真下 昇 KO 14:00 新日鉄釜石,) 12 干場 日朗志(釜石北高) 0 DG 0 12 橋本 光夫(新潟工) C13 森  重隆(明大,[平成23年3月の東日本大震災で帰らぬ人となった。 / 昭和53年(1978)度 第31回社会人大会決勝
日本ラグビーフットボール史 (全国高等学校ラグビーフットボール大会(花園大会87回から))

日本ラグビーフットボール史 / 全国高等学校ラグビーフットボール大会(花園大会87回から) 87回大会は51校が参加し、熱戦を繰り広,89回大会は2019年の日本でのW杯開催決定、2016年からのオリンピック男女7人制競技の正式決定と日本,また3月11日東日本大震災で被災した東北6県の代表校も健闘しました。    ,いよいよ2年後に迫ったラグビーワールドカップ日本大会に向け、96回大会が51校出場で開催されました。,出場13回目で初の日本一。    100回大会まであと2年。 / 全国高等学校ラグビーフットボール大会(花園大会87回から)
年代史・観戦記・その他資料 (平成23年(2011)度)

東日本大震災が発生した。,【代表】 RWC2011ニュージーランド大会開催、日本代表1分3敗 ・4月30日~5月13日 HSBC,スリランカ90-13 ・6月26日 東日本大震災チャリティーマッチ 日本代表対トップリーグXV49-,・8月13日 日本対イタリア 24-31 ・8月21日 RWC2011NZ大会 壮行走行試合 日本対,(第12回は東日本大震災で中止)/第91回全国高校大会は決勝で東福岡が東海大仰星を破り3連覇を達成した
年代史・観戦記・その他資料 (全国高校選抜大会史)

全国高校選抜大会史 全国高校選抜大会戦績 全国高校選抜大会決勝テーブル  平成12年(2000)度,以下、1回の仙台育英高[A、Bグループで2校優勝]、大阪工大高、天理高、東海大仰星、伏見工が名を列ねている,の1回含む) 4 東海大仰星 2回 4 大阪桐蔭 2回 7 仙台育英高、大阪工大高、天理高,、伏見工、報徳学園 各1回 回数 試合日 優勝チーム スコア 準優勝チーム グラウンド レフリー,熊谷ラグビー場 大槻 卓 第12回 東日本大震災の影響で中止 第13回 平成24年(2012 / 全国高校選抜大会史
年代史・観戦記・その他資料 (7人制日本代表キャップ一覧(男子))

1 第6回ジャパンセブンズ 109 沢木 敬介 さわき けいすけ 日本大学 1 第13回,国際セブンズ2002 マレーシア国際セブンズ2002 123 鷲谷 正直 わしや まさなお 日本大学,(ドーハ)セブンズ2006 128 北條 純一 ほうじょう じゅんいち 日本大学 1 第4,たけし 日本大学 2 ドイツ国際セブンズ2005 第15回アジア競技大会(ドーハ)セブンズ2006,219 ビエイ・マフィレオ マフィオレ 日本大学 3 第5回RWCセブンズアジア地区予選 / 7人制日本代表キャップ一覧(男子)
日本ラグビーフットボール史 (2012年からの7人制日本代表強化)

日本ラグビーフットボール史 / 2012年からの7人制日本代表強化 2012年になり、男女代表HCにフルタイムの指導者を迎え、日本の,女子は、強化が本格的にはじまる前から女子代表が大切にしてきた「日本代表チームへの尊敬」そして「日本代表選手,代表チームとしての強化が進む中で、国内大会が増加し、国際大会への参加数も過去と比較して大幅に増えた。,2012年から、日本代表として戦った国際大会での試合数は、合計235試合を数えた。  ,「アジア予選 第2戦 日本大会 優勝」リオデジャネイロ五輪出場権獲得(2015.11.29 秩父宮ラグビー / 2012年からの7人制日本代表強化
年代史・観戦記・その他資料 (テストNo.34 イングランド代表第1回来日第3戦)

)9月28日 秩父宮ラグビー場 ●日本代表 3-6 イングランド代表○ 世界を驚かせた歴史的敗戦,チャーリー・ハナフォード 9 今里 良三(近鉄) 0 T 0 9 スプラット・ウェブスター 10 藤本 忠正(早大OB,1958年来日したNZコルツの初戦がNZのラジオで放送され、全早大に前半9−8でリードされてNZの市電,新聞各紙も『全日本大健闘も及ばず』『惜しい!,その後両チームともチャンスなく必死の攻防の末、日本は3−6で大魚を逃した。 / テストNo.34 イングランド代表第1回来日第3戦
年代史・観戦記・その他資料 (令和元年(2019)度)

/第14代日本協会会長に森重隆氏を選任 日本協会は6月29日の評議員会で、第14代会長に森重隆氏を選任,2019年度高校日本代表ウエールズ遠征中止 【代表】  RWC2019日本大会において、予選4試合,代表 ANZスタジアム(フィジー) RWC2019日本大会前に南アフリカと対戦 ★352 2019.9.06,第3戦 オーストラリア大会 10位 【日本選手権】  新型コロナウイルス感染症拡大により中止,/対抗戦は明大、リーグ戦は東海大が優勝 第90回関東大学対抗戦は武井日向主将率いる明大が7戦全勝で、1998
日本ラグビーフットボール史 (「サニックスワールドラグビーユース交流大会」について)

日本ラグビーフットボール史 / 日本協会から各国協会への案内をしていただくようになってから、海外にも認められるようになり、現行の海外8,大会は9日間で6試合と選手にとっては過酷なスケジュールとなっていますが、ご理解いただき運営できております,2011年には大会の前月に発生した東日本大震災の影響で、安全を考慮した海外4チームから参加辞退を受け厳,生活スタイル、食生活、時間に対する感覚など、全く日本のスタイルとは異なることばかりで苦労もありました。,海外チームは日本のチームに学び、日本のチームは海外チームに学びます。 / 「サニックスワールドラグビーユース交流大会」について
年代史・観戦記・その他資料 (全国高校選抜大会決勝テーブル)

全国高校選抜大会決勝テーブル 第12回は東日本大震災の影響で中止 第13回~20回 第21回は新型,第24回 第25回 対戦日 2024/03/30 (土) Kick off 11:00 競技場,8.大門一心 T 0 - 5 7分 大阪桐蔭高等学校 10.上田倭楓 G 0 -,大阪桐蔭高等学校 10.上田倭楓 G 3 - 22 6分 大阪桐蔭高等学校 1.原悠翔,大阪桐蔭高等学校 10.上田倭楓 G 3 - 48 30分 大阪桐蔭高等学校 24.竹之下誠仁 / 全国高校選抜大会決勝テーブル
年代史・観戦記・その他資料 (テストNo.265 パシフィック・ネーションズカップ サモア代表戦)

パシフィック・ネーションズカップ サモア代表戦 English 写真 機関誌 平成23年(2011)7月2日 ,G:秩父宮 R:キース・ブラウン(NZ) ●日本代表 15-34 サモア代表○ No.503★265,、東日本大震災の影響を鑑みて、フィジーでの開催に変更された。,そして、1試合のみ日本で行われたのが、初戦の日本代表対サモア代表だった。  ,サモアリードで迎えた後半6分には、サモア陣深く入ったスクラムから、ホラニがサイドアタックし、ラックから大きく
年代史・観戦記・その他資料 (全国クラブ大会史)

全国クラブ大会史 全国クラブ大会トーナメント表  ラグビー先進国ではクラブが母体であるのに比べ、日本,以来、クラブ委員会では、東日本クラブ選手権大会の主催、全国クラブ大会の主管を始めとする一連のクラブ大会,各都道府県クラブ大会は、従来のように、県内限りの自己完結の大会ではなく、いまや東日本大会→全国大会につながる,近い将来にクラブラグビーが日本の強化と発展を担う時代が来てほしいものだ。,6 三洋クラブ、愛知教員クラブ(神奈川タマリバと両チーム優勝)、千里馬クラブ 各1回 回数 試合日 / 全国クラブ大会史
日本ラグビーフットボール史 (日本選手権大会)

日本ラグビーフットボール史 / 日本選手権大会 第45回日本選手権大会 三洋電機:惜敗の歴史に終止符  45回目を迎えた日本選手権,第46回日本選手権大会 三洋電機:粘り強いディフェンスで連覇  様々なカテゴリーのチームが集う日本選手権,今季の日本選手権は、トップリーグの出場枠が拡大され上位6チームが参加し、大学上位2チーム、全国クラブ優勝,第48回日本選手権大会 サントリー:9年ぶりの日本一  エディ・ジョーンズ監督就任1年目。,の日程に挟まれる形での短期決戦となり、トップリーグの優勝チームと大学選手権での優勝チームとの間で日本選手権大会 / 日本選手権大会
年代史・観戦記・その他資料 (4 ジャパンセブンズ)

日本協会はセブンズの高校大会、大学大会などの育成・強化に力を注いでおり、近い将来、セブンズの日本選手権,が行われる日が来ると思われるので期待したい。  ,平成23年(2011)1月17日、日本協会は同年4月16、17日に秩父宮ラグビー場において、「東京セブンズ,この原稿執筆中の平成23年3月11日に東日本大震災が発生した。,●北信越選抜 秩父宮 平成14年(2002)4.14 女子 ○日本代表 15-0 ●日体大女子 秩父宮
日本ラグビーフットボール史 (《YC&ACセブンズとジャパン・セブンズ》)

日本ラグビーフットボール史 / の日本大会をYC&AC(YokohamaCountry&AthleticClub―横浜外国人倶楽部,昭和34年度に入った4月の第1日曜日に横浜根岸のYCACグラウンドで第1回の大会を開くこと。,回大会を祝う    第20回記念大会の優勝は日本代表(監督横井久)となっているが、ここまでの歴代チャンピオン,変わったところでは日野自動車工業が第2、第5大会と2度の優勝を記録しているほか、警視庁チームが第19回大会,日本協会との友好関係が崩れることもなく、2つの7人制大会は共存していく。
年代史・観戦記・その他資料 (テストNo.358 欧州遠征2021 第1戦 ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ戦)

一昨年のRWC2019日本大会において、日本代表は強豪国のアイルランド、スコットランドを倒し、目標であった,来日した外国人たちも、日本の文化や日本人の「おもてなし」に大満足し、日本大会の評価は高まった。,あっという間に感染は世界に広がり、死者も急増し、日本のスポーツ界、そしてラグビー界にも大きな影響を与えた,2021年度ようやく日本代表としての活動が再開し、RWC2019日本大会での実績が認められ、ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ,これは大敗の可能性もあると心配したが、体力も気力も十分に残っていた日本はそこから奮闘。
年代史・観戦記・その他資料 (テストNo.343 リポビタンDチャレンジ2018 第1戦 イタリア代表戦)

G大分・大銀ドーム R:ニック・ベリー(AUS) ○日本代表 34-17 イタリア代表● No.582,★343 リポビタンDチャレンジ2018 イタリア代表第4回来日 第1戦 2018年6月9日 G大分・,大銀ドーム R:ニック・ベリー(AUS) 日本代表 34 - 17 イタリア代表 1 稲垣 啓太(パナソニック,マルコ・フセール④ 得点:Tマフィ、福岡、レメキ、松島、G田村4、PG田村2  ラグビーワールドカップ日本大会,大分で行われたイタリアとの第1戦の序盤、日本代表の狙いは相手を動かして疲れさせること。
年代史・観戦記・その他資料 (テストNo.327 リポビタンDチャレンジ2016 テストマッチ スコットランド代表 第1戦)

18日 G:豊田スタジアム R:ベン・オキーフ(NZ) 日本代表 13 - 26 スコットランド代表,パナソニック) 3 後 10 2 スチュアート・マキナリー 3 畠山 健介(サントリー) 3 WP・ネル 4 大野,松田力也(帝京大)⑮、内田啓介(パナソニック)、垣永真之介(サントリー)③、山本浩輝(東芝)⑥ 【ス】,収穫は、2年前、帝京と早稲田で大学のファイナルを争った若きFW、LO小瀧尚弘と金がともに力を発揮したことだ,堀江主将に両社について感想を求めたら「いいですね」と声を強め、現役学生の松田を含めて「2019年(のW杯日本大会
年代史・観戦記・その他資料 (全日本東西対抗・三地域対抗史)

全日本東西対抗・三地域対抗史 秩父宮杯をいただいて全日本東西対抗を挙行したいという懸案が、大正15年,昭和2年(1927)度の日本協会理事会で実施が決定、昭和3年(1928)2月12日に第1回全日本東西対抗試合,年(1947)3月22日まで19回(神宮大会2回の特別参加を含む)行われた。,平成22年(2010)度第50回三地域対抗戦は平成23年(2011)3月11日の東日本大震災のため中止,34−10 ●九州代表 秩父宮ラグビー場 真継丈友紀 第50回 平成23年(2010)3.11の東日本大震災 / 全日本東西対抗・三地域対抗史
年代史・観戦記・その他資料 (平成22年(2010)度)

1競技者の拡大、2ファンの拡大、3関係者の拡大、4日本代表の強化、5セブンズの強化、6財政基盤の強化、,【代表】 日本代表はアジア五ヵ国対抗にすべてミスマッチの大差で楽勝したが、アジアのレベルアップを図る狙,71−13 ●韓国代表 大邱 ★253 2010.5.8 ○日本代表 60−5 ●アラビアンガルフ代表,日本選手権】 サントリーが4回目の日本一 第48回日本選手権大会は、サントリーサンゴリアスが37−20,【地域】 第43回三地域対抗は平成23年3月11日の東日本大震災のため中止された。
年代史・観戦記・その他資料 (テストNo.364 リポビタンDチャレンジカップ2022 ウルグアイ代表戦 第1戦)

14,448人 天候 くもり/無風 グラウンド 状態 良い ドクター CMO:中村明彦 MDD:大岩晋,来年にRWC2023フランス大会を控え、ジェイミー・ジョセフHCの方針により、日本代表とNDS(ナショナルデベロップメントスコッド,)の2チームを2か所(宮崎、大分)に分け合宿を実施し、選手層を厚くすることを目指している。,初キャップメンバーだけではなく、RWC2019日本大会の主力メンバーであったヴィンピー、田村、ラファエレ,RWC2019日本大会(釜石鵜住居G)において、格上のフィジー代表を執念で破ったウルグアイ代表の奮闘は
日本ラグビーフットボール史 (《W杯と日本代表チームの記録 第1回大会~第5回大会》)

日本ラグビーフットボール史 / 《W杯と日本代表チームの記録 第1回大会~第5回大会》 【第1回大会】 ▼開催国:オーストラリア・ニュージーランド,(日本協会強化委員) 主将  林敏之(神戸製鋼)     【第2回大会】 ▼開催国:英国,(日本協会強化委員) 主将  平尾誠二(神戸製鋼)     【第3回大会】 ▼開催国:南,(日本協会強化委員) 主将  薫田真広(東芝府中)     【第4回大会】 ▼開催国:英国,NEC)     第6回大会以降の記録 / 《W杯と日本代表チームの記録 第1回大会~第5回大会》
日本ラグビーフットボール史 (《豪州&NZ大学選抜が相次いで来日》)

日本ラグビーフットボール史 / 《豪州&NZ大学選抜が相次いで来日》 【豪州大学選抜(AURFC)1934·1·,、最終的には日本協会がシドニー駐在の日本領事館に勤務していた東大OB太田三郎に豪州大学チーム招待の交渉,日本協会としてはシドニー大学の招待が当初の計画だったが、豪州側の意向で豪州大学選抜(AURFC)に変更,、日本人の感覚ではちょっと想像もつかない、いかにも豪州大陸らしいスケールの大きい話であり、またおおがかりな,」(日本ラグビー史)のがその最大の理由。 / 《豪州&NZ大学選抜が相次いで来日》
日本ラグビーフットボール史 (《南半球から豪州大学選抜2度目の来日》)

日本ラグビーフットボール史 / 《南半球から豪州大学選抜2度目の来日》 オックスブリッジ両大学に次いで1956(昭和31)年2月に来日,その「百年の友情にも優る」豪州の大学選抜チームが日本遠征で刻みこんだ記録は9戦8勝1敗。,日本ラグビーはオックスブリッジ両大学につづいて3度目の来日チームから初めて1勝をあげることができた。,をきって来日の外国大学チームからあげた全明治1勝の意義は大きく、日本のラグビー史に燦然と輝く金星といえるだろう,戦前に続いて1956年2度目の来日となった豪州大学選抜のプログラム    確かに主将ツースは「FB / 《南半球から豪州大学選抜2度目の来日》
年代史・観戦記・その他資料 (平成30年(2018)度)

English Español 120シーズン目 【協会】 ・ラグビーワールドラグビー2019日本大会開催,大会 11位 ・7月20日~22日 ワールドカップセブンズ2018 サンフランシスコ大会 男子はケニア,・9月29日~30日 アジアラグビーセブンズシリーズ 第2戦韓国大会 男女共に優勝 ・10月6日,大会 15位 【女子】 ・3月18日 第4回全国女子ラグビー大会 優勝:日体大ラグビー部女子 2位,2018年3月30日〜4月8日、第19回全国高校選抜大会は桐蔭学園が大阪桐蔭を46-26で破り2連覇達成
年代史・観戦記・その他資料 (日本代表国際セブンズ大会全成績(日本代表、日本選抜参加大会のみ))

日本代表国際セブンズ大会全成績(日本代表、日本選抜参加大会のみ) 昭和50年(1975)度 No.1,カップ決勝 ○日本代表 32-18 ●全同大 準決勝 ○日本代表 16-10 ●東京三洋 ○全同大,16-0 ●警視庁 ○トヨタ自工 26-6 ●全慶大 ○全明大 26-6 ●全日大 ○全同大 30-8,小西義光(サントリー)、本城和彦(早大)、田中伸典(天理大OB)、金谷福身(日新製鋼)、戸嶋秀夫(日大,○早大 35-24 ●法大 予選プール ●日本 24-28 ○西サモア ○日本 47-7 ●法大 日本代表 / 日本代表国際セブンズ大会全成績(日本代表、日本選抜参加大会のみ)
日本ラグビーフットボール史 (全国大学選手権大会)

日本ラグビーフットボール史 / 全国大学選手権大会 第45回全国大学選手権と第46回日本選手権の大会方式が変更になりました。,で日体大を翻弄、同志社大も流通経済大をBKのスピードで破り2回戦進出。,1月2日の準決勝。,1月10日の決勝戦。,東海大学リーグの朝日大学(岐阜県)が初めて1位となりセカンドステージに進出した。 / 全国大学選手権大会
年代史・観戦記・その他資料 (2 日本初の7人制大会)

2 日本初の7人制大会 昭和5年(1930)に突如として各地、各層で開催されたのはなぜだったのか、だれが,そして昭和34年(1959)にYCACの大会が行われるまで、7人制ラグビーは18シーズンの空白期間が生,出-福中・福高ラグビー五十年史』(福中・福高ラグビー部OB会、1974)P283に、“昭和9年5月6日、,春日原で第1回九州7人制大会が開かれ、決勝で福中が15−6で修猷館を破って以来、昭和18年の第10回大会,まで続いていたこと、さらに昭和38年4月28−29日、平和台で戦後第1回九州7人制大会が復活していること / 2 日本初の7人制大会
日本ラグビーフットボール史 (《全国地区対抗大学大会》)

日本ラグビーフットボール史 / 《全国地区対抗大学大会》 日本協会が戦後に新しく創設した大会はいろいろあるが、表題の「全国地区大学大会,さらに1968年度の第19回大会から現在の「全国地区対抗大学大会」と大会名称を変えて今日に至っている。,これに学制改革で誕生した戦後の新制大学が集まって出来た大会であるが、日本ラグビー史が伝える大会の由来(,…」(日本ラグビー史から)    日本ラグビー史も「戦前の高専大会に代わるもの」と指摘しているように,年度)優勝の日本体育大学、第11回大会(1960年度)優勝の近畿大学、第16回大会(1964年度)優勝 / 《全国地区対抗大学大会》
日本ラグビーフットボール史 (《アジア競技大会で7人制日本代表が悲願の金メダル達成》)

日本ラグビーフットボール史 / 《アジア競技大会で7人制日本代表が悲願の金メダル達成》 初めてラグビーが採用されたバンコク大会で日本,は惜敗  1998年12月4日から19日にかけて、タイのバンコクで第13回アジア競技大会が開催され、,つづく釜山大会でも日本は苦戦  バンコク大会から4年、2002年の9月30日から10月13日にかけて,日本はワールドカップを重視しますが、彼らはオリンピック、アジア大会です。,ドーハで、悲願の金メダル獲得  それから4年後、第15回大会は2006年12月1日から11日にかけて / 《アジア競技大会で7人制日本代表が悲願の金メダル達成》
年代史・観戦記・その他資料 (第57回日本選手権大会)

第57回日本選手権大会 機関誌 新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、中止となった。 / 第57回日本選手権大会
年代史・観戦記・その他資料 (日本代表国際セブンズ大会一覧表(男子))

日本代表国際セブンズ大会一覧表(男子) 第1回香港セブンズ 写真 開催日 76.3.28 開催地 香港,負け 日本監督 加藤 尋久 出場選手 小野 真司ブルース・ファーガソン岩渕 健輔大畑 大介池田 渉三木,2009 香港大会 写真 開催日 09.12.5.6 開催地 香港 優勝 日本 準優勝 香港 日本成績,ロマノ・レメキ)合谷 和弘松井 千士山下 楽平ヒーナン・ダニエル セブンズワールドシリーズ 第7戦日本大会,USA、フィジーに負け 日本監督 岩渕 健輔 出場選手 藤田 慶和松井 千士大石 力也加納 遼大林 大成野口 / 日本代表国際セブンズ大会一覧表(男子)
日本ラグビーフットボール史 (《全国クラブ大会》)

日本ラグビーフットボール史 / 《全国クラブ大会》 第13回全国クラブ大会が2006(平成18)年1月8~9日の2日間、埼玉・熊谷ラグビー,日本協会はラグビー人口の底辺拡大を目標に2003(平成15)年度の第41回日本選手権から全国クラブ大会優勝,5-59、7-43の大差で敗退している。日本選手権への扉が開かれてわずか3年。,さらにいえば全国クラブ大会が日本協会の主催で開催されるようになって、まだ13年と、学歴でいえば高校時代,「4年前、大学と社会人との差は大きく日本選手権に大学チームは出なくていいと言われた。 / 《全国クラブ大会》
日本ラグビーフットボール史 (《全国中学大会の復活》)

日本ラグビーフットボール史 / 極論すれば「大学ラグビー=日本ラグビー」と思われていた戦前からは想像もつかない日本ラグビー多角化への進展,当時の大会パンフレットには「主催:日本ラグビー蹴球協会」、「後援:毎日新聞社」の一段と大きな活字表記とともに,、大会日程、大会役員一覧が記載されているが、大会会長香山蕃はじめ総務委員、審判委員、記録委員、競技委員,そして大会そのものも、これを機会に①日本協会が主催し、それまで主催者として大会を育て、運営してきた毎日新聞社,なお、第77回全国高校大会決勝の日の1997(平成9)年1月7日。 / 《全国中学大会の復活》
日本ラグビーフットボール史 (《日本選手権の変遷》)

日本ラグビーフットボール史 / した京大の偉業に次ぐ2度目の快挙」であり、また日本ラグビー発展の歩みと同志社の勝利は東西大学の交流を原点,その現れのひとつが大会直前に大阪のスポーツマンクラブで開かれた「第1回日本選手権展望」と題する日本協会機関誌主催,日本選手権に大きな転機をもたらしたのは2003(平成15)年度の大会。,その結果、一時は日本協会機関誌に「日本選手権は第40回大会で終了。,~2月26日、第44回(2006年度)が2月3日~2月25日と戦前は大学、戦後になってようやく社会人ラグビー / 《日本選手権の変遷》
日本ラグビーフットボール史 (《戦前の全国高専大会》)

日本ラグビーフットボール史 / 日本ラグビー史は「大正7(1918)年の大毎主催の『フートボール大会ラ式の部』から、時に応じて形式や場所,また関西協会史にも「大正7年に創められた日本フートボール優勝大会に源を発して…」とあるので、起源については,大会日程がはじめて3日間となったほか、同時開催の中学大会の参加校も7校に増えたことから、臨時に鳴尾と甲陽中学,しかし、主催者大阪毎日新聞社としては手放しで喜んでもいられなかった。,となり、以後、大阪毎日新聞社は後援ということでこの大会をサポートしていくことになる。 / 《戦前の全国高専大会》
日本ラグビーフットボール史 (《揺れる大学ラグビー界》)

日本ラグビーフットボール史 / 定期戦からはずれていた法大はじめ日大、中大など古参組が、戦後は強力チームとして復活。,日本、教育(現筑波大)の4大学から「慶応、早稲田、明治、中央、日本、東京、立教、法政、教育、成蹊、青学,明治、中央、日本、法政、教育の5大学は賛成したが、慶應、早稲田、東京、立教、青学、成蹊の6大学が反対して,前年度の成績に準じて、Aブロックは慶應、早稲田、明治、日本、中央、立教の6大学。,なお、新設の日本選手権に出場する大学側のチームは日本協会が推薦することになった。   / 《揺れる大学ラグビー界》
日本ラグビーフットボール史 (Ⅲ 大学選手権に青春をかけて)

日本ラグビーフットボール史 / そして今年度の第43回大学選手権は日本協会創立80周年という記念の年の大会でもある。,新日鉄釜石が、神戸製鋼が社会人大会、あるいは日本選手権でそれぞれ不滅の7連覇を達成しているのとも根本的,法政、日体、大東文化とはすべてイーブンという記録が残っている。,この日、三笠宮さまにはわざわざ国立競技場に足を運ばれ、明治大学-法政大学の決勝戦を親しくご観戦。,日本協会機関誌は「明治大学が最初に戴いたことを大きく日本ラグビー史に残しましょう」と、記念の日を記している / Ⅲ 大学選手権に青春をかけて
日本ラグビーフットボール史 (《日本をわかせた世界のスーパーチームが来日》)

日本ラグビーフットボール史 / 《日本をわかせた世界のスーパーチームが来日》 ユニセフ協会の呼びかけで世界の2強といわれるオーストラリア,ワラビーズは会長招待XVと10月28日に、オールブラックスは11月3日にパシフィックバーバリアンズと、,25日のサラセンズの相手は2001年度日本選手権優勝のサントリー。,ケンブリッジ大学留学を終えた岩淵健輔を右のWTBに起用するなど、話題とサービスいっぱいのナイトゲームだったが,試合はファルコンズがNECを73-6の大差で圧勝したが、23日(豊田スタジアム)のトヨタ自動車との第2 / 《日本をわかせた世界のスーパーチームが来日》
日本ラグビーフットボール史 (《全国高等専門学校大会》)

日本ラグビーフットボール史 / で第21回大会(1949年1月2~6日)をもって消滅した。,2005(平成17)年度の日本ラグビー協会への登録チーム総数は全国でわずかに49校。,のほとんどを引き受けてきた兵庫県協会、そして神戸市、姫路市の協力が今日の高専大会を育て上げたといっても,、5度目の優勝をとげているが、日本協会機関誌の大会総評は「…近い将来神戸市立工業高専から高校代表あるいは,大会3連覇といえば、過去に第1回大会から第3回大会まで3大会連続優勝の北九州高専、第31大会から連続3 / 《全国高等専門学校大会》
日本ラグビーフットボール史 (Ⅱ 社会人大会からトップリーグへ)

日本ラグビーフットボール史 / この日は第55回全国社会人ラグビーフットボール大会の最終日。,は全国実業団ラグビー大会の名称で、日本協会主催、朝日新聞社後援という形のもとに創設された。,大会は12月16日の開幕から年を越えて2月11日の決勝まで2カ月にわたるロングランとなったが、数多くの,社会人大会50年史にも「…この大会(1961年度の第14回大会)は連日数千人のファンを動員し、大盛況だった,大会4日間を通じ、観客は延べ2万8千人。1日平均7千人と、大学の試合に負けない数を動員した。 / Ⅱ 社会人大会からトップリーグへ
年代史・観戦記・その他資料 (平成14年(2002)2月3日 第39回日本選手権大会決勝)

平成14年(2002)2月3日 第39回日本選手権大会決勝 写真 機関誌 秩父宮ラグビー場 ○サントリー,2002年2月3日 G:秩父宮ラグビー場 R:岩下真一 KO 14:00 サントリー 28 - 17,後 12 2 弘津 英司(同大) 3 元吉 和中(日大) 3 清水 秀司(明大) 4 早野 貴大(帝京大,(ビ大)⑫、永友洋司(明大)⑨、中村直人(同大)③、北川新三(関東学大)⑦、北條純一(日大)⑭ 【神】,後半神鋼は5分に大畑がトライ、10分にも大畑がこの日3本目のトライ(平尾剛ゴール)で17−7とサントリー / 平成14年(2002)2月3日 第39回日本選手権大会決勝
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