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日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム

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年代史・観戦記・その他資料 (大学東西王座決定戦の歩み)

大学東西王座決定戦の歩み 日本の大学ラグビーは、英国にならって対抗戦形式で発展してきた。,だがその早大も東京大学に6−19で敗れ、関東は全勝校がなく優勝は預かりになった。,京大は関東の早大、慶大を破って初の全国制覇を成し遂げた。  ,昭和4年(1929)度、立教大学が5人TBで関東大学を制し初優勝を果たした。,この矛盾は新興チームの日本大学、法政大学、関西学院大学らが台頭してきた昭和30年代に顕著となり、関東を / 大学東西王座決定戦の歩み
年代史・観戦記・その他資料 (大正10年(1921)度)

大正10年(1921)度 English Español 23シーズン目 東京大学にラグビー,部創部  東大ラグビー部は三高から進んだ香山蕃が創部の中心になった。,「香山は大正10年秋から創部を決意し柔道・水泳にいた郷達夫(後に久富)、端艇の郷隆、東俊郎、柔道の難波経一,のエイトFW同士の対決]東大が13−0で京大を破っている。,第9回定期戦 T11(1922).1.10 ●京大 0−13 ○東大 G:三高 R:竹上四郎 第1回定期戦 / 大正10年(1921)度
日本ラグビーフットボール史 (《日本チーム同士が初めて対戦―新時代の幕が開けた》)

そして第2は日本を代表する東と西の新旧首都に2チーム並立の理想的な形が出来あがったことである。,珍しい記録ではあるが、三高─京大のコースを歩んだOBのなかには年代によって大学時代に打倒慶応の夢を実現,慶應義塾の戦前の記録を調べてみると、同じ帝大でも東京の対慶應戦全敗に対し、三高卒業生が主力を形成していた,ただ東京大学(以後東大)の名誉のために付記しておきたい。,確かに戦前は全敗に終わった東大が戦後の復活定期戦では1946(昭和21)年、1947(昭和22)と慶應義塾
年代史・観戦記・その他資料 (平成27年(2015)度)

【大学】 第52回大学選手権は27-17で帝京大が東海大に勝ち優勝、7連覇を達成。,関東大学対抗戦、優勝は帝京大、関東リーグ戦優勝は東海大。,セブンズ】 ・4月~5月 男子日本代表、HSBCセブンズワールドシリーズ2014-2015   第7戦東京大会,【その他】 第95回全国高校大会は東海大仰星が桐蔭学園を37-31で破り優勝。,2015年3月30日~4月7日、第16回全国高校選抜大会が熊谷で開催、東海大仰星が大阪桐蔭を破り9年ぶり
年代史・観戦記・その他資料 (関東大学対抗戦 戦績)

関東大学対抗戦 戦績 2021年度 2022年度 2023年度 2024年度 / 関東大学対抗戦 戦績
年代史・観戦記・その他資料 (7人制日本代表キャップ一覧(男子))

香港大会 セブンズワールドシリーズ 東京大会 HSBC WRセブンズシリーズ2015-2016,地区予選 シンガポール セブンズワールドシリーズ 香港大会 セブンズワールドシリーズ 東京大会,セブンズワールドシリーズ 香港大会 セブンズワールドシリーズ 東京大会 セブンズワールドシリーズ,東京大会 東京セブンズ2014 香港セブンズ2014 セブンズワールドシリーズ 第4戦NZ大会,東京大会 第6回ワールドカップセブンズ ロシア大会 アジアセブンズシリーズ シンガポール大会
年代史・観戦記・その他資料 (関東大学リーグ戦 戦績)

関東大学リーグ戦 戦績 2021年度 2022年度 2023年度 2024年度 / 関東大学リーグ戦 戦績
年代史・観戦記・その他資料 (7人制日本代表キャップ一覧(女子))

リオデジャネイロオリンピック女子アジア予選第2戦 東京大会 ワールドラグビー女子セブンズシリーズ,リオデジャネイロオリンピック女子アジア予選第2戦 東京大会 ワールドラグビー女子セブンズシリーズ,リオデジャネイロオリンピック女子アジア予選第2戦 東京大会 ワールドラグビー女子セブンズシリーズ,リオデジャネイロオリンピック女子アジア予選第2戦 東京大会 ワールドラグビー女子セブンズシリーズ,リオデジャネイロオリンピック女子アジア予選第2戦 東京大会 ワールドラグビー女子セブンズシリーズ
日本ラグビーフットボール史 (《早慶ラグビーに触発された東都の諸大学》)

《早慶ラグビーに触発された東都の諸大学》 早稲田大学に次ぐ東都第三のチーム誕生は東京帝大(以後東大),東大にもそうした足がかりは全然なかった。,と、大正10年の秋から東大でもラグビーをはじめることになった」とある。    ,、同じ年に東京商科大学(現一橋大学)がある。    ,から大阪高商を経て東商大に進学した京都出身者。 / 《早慶ラグビーに触発された東都の諸大学》
年代史・観戦記・その他資料 (学生東西対抗史)

第1回の試合は昭和22年(1947)3月30日、神宮競技場で挙行、48−3で関東学生が大勝した。,学生東西対抗試合は、平成20年(2008)度までにすでに63回の歴史を数えるが、大学ラグビーの東高西低,の傾向を受け、関東が53勝10敗と大きくリードしている。  ,3.30 ○関東学生代表 48−3 ●関西学生代表 神宮競技場 川田大介 第2回 昭和23年(1948,昭和26年(1951)1.21 ○関東学生代表 57−9 ●関西学生代表 東京ラグビー場 川田大介 第 / 学生東西対抗史
年代史・観戦記・その他資料 (全日本東西対抗・三地域対抗史)

全日本東西対抗・三地域対抗史 秩父宮杯をいただいて全日本東西対抗を挙行したいという懸案が、大正15年,平成22年(2010)度第50回三地域対抗戦は平成23年(2011)3月11日の東日本大震災のため中止,第11回明治神宮大会 昭和15年(1940)10.27 ○関東代表 79−13 ●関西代表 神宮競技場,37−0 ●関西代表 東京ラグビー場 川田大介 第7回 関西代表 昭和29年(1954)2.28 ○,●九州代表 江戸川陸上 下村大樹 第48回 関東代表 平成21年(2009)3.14 ○関東代表 48 / 全日本東西対抗・三地域対抗史
日本ラグビーフットボール史 (《関東に地域協会が設立される》)

日本のラグビー界に残るAJRAの1922(大正11)年10月9日付け記録には「目下関東関西でラグビーを,すなわち任意につくられていたOBの倶楽部組織として、東京のAJRAと、大阪の関西ラグビー倶楽部がそれであるが,AJRAが関東協会として確立したのは1924(大正13)年6月のこと。,山口六助、宮地秀雄(以上慶應)、吉田光一、吉岡恒治(以上早稲田)、久富達夫(兼任)、石田啓次郎(以上東大,)、藤野嘉蔵(東商大)、能美一夫、大槻文雄(以上明治)が選ばれ、みずからの識見に基づいた意見を臆することなく / 《関東に地域協会が設立される》
日本ラグビーフットボール史 (全国大学選手権大会)

出場チームは16チームとし、関東大学対抗戦Aから5チーム、関東大学リーグ戦1部から5チーム、関西大学A,1回戦関東学院大と同点引分け、トライ数で上回り2回戦に。,関東学院大を39-13で、慶応義塾大をも38-7と圧勝し、準決勝戦では東海大を36-22で破り決勝に進出,関東大学対抗戦A1-5位、関東大学リーグ戦1部1-5位、関西大学Aリーグ1-5位およびファーストステージ,を、筑波大は28-26で東海大を破り決勝戦へ駒を進めた。   / 全国大学選手権大会
年代史・観戦記・その他資料 (全国地区対抗大学大会史)

この時代にこの大会の優勝を実績に、青学大、日体大が関東大学対抗戦に参戦した。,武蔵工業大学 6回 [現 東京都市大学] 2 福岡大学 6回 (引き分け優勝1回を含む) 5 東京学芸大,9 甲南大学 2回 9 鹿児島大学 2回 9 関東学院大学 2回 9 東北学院大学 2回,関東学院大 瑞穂ラグビー場 伊神勝彦 第31回 昭和56年(1981)1.6 ○関東学院大 45−7,○東京学芸大 24−12 ●西南学院大 パロマ瑞穂 下田紘朗 / 全国地区対抗大学大会史
年代史・観戦記・その他資料 (全国教育系大学大会史)

広島大を中心に、鹿児島大、文教大、仙台大、岩手大、東京学芸大、静岡大など、教育系大学からラグビーの指導者,4回 5 宮崎大学 2回 5 岩手大学 2回 5 東京学芸大学 2回 5 静岡大学 2回 9 福岡大学,50−0 ●東京学芸大 瑞穂ラグビー場 不明 第14回 昭和54年(1979)1.6 ○宮崎大 42,10 ●東京学芸大 瑞穂ラグビー場 広瀬成忠 第16回 昭和56年(1981)1.6 ○熊本大 21−,10 ●東京学芸大 瑞穂ラグビー場 宮地繁夫 第17回 昭和57年(1982)1.6 ○東京学芸大 14 / 全国教育系大学大会史
日本ラグビーフットボール史 (《戦前の関東大学は慶應の復活とともに終焉へ》)

《戦前の関東大学は慶應の復活とともに終焉へ》 「始め有るものは必ず終りあり」ということわざがあるように,からの脱出は「ラグビー創始校の名誉にかけても…」という至上の命題が闘将脇肇の起用となったわけだが、7大学,ルールが大幅に改正された1939(昭和14)年後のエイト転向なら早稲田の例がある。,7大学リーグ戦に出場するのは従来のセブンシステムを踏襲する学部チーム。,大学、高専のラガーマンたちはだれかれの見境なく戦火の真っ只中へとかりたてられていった。 / 《戦前の関東大学は慶應の復活とともに終焉へ》
日本ラグビーフットボール史 (《クラブ活動の原点となった東西対抗》)

《クラブ活動の原点となった東西対抗》 そもそも西に関西ラグビー倶楽部、東にAJRCと称するOB組織ができた,AJRAの世話人橋本寿三郎は慶應六十年史に「発祥は1920(大正9)年11月3日である。,それはともかく、関東、西部両協会設立前後の事情に詳しい橋本寿三郎は、東西OB対抗戦について「大正七、八年,の慶應大学にはOBの集まりが非常に多くなり、一チームを形成する事も不可能でない域に達しておった。,関東方でも慶應の大会に出席したOBがチーム結成の可能を感じて居った」と語り、年度ごとに増えていったOB / 《クラブ活動の原点となった東西対抗》
日本ラグビーフットボール史 (《メッカ神宮競技場と東都のラグビー》)

神宮競技大会の初年度はまた関東協会が設立された年度とも重なる。,香山蕃を参与として送り込み、かんじんの競技のほうは関東、関西のOB対抗試合、関東学生選抜紅白試合の2試合,大正14)年度、そして大会3年目の1926(大15)年度に至って関東協会の神宮競技大会への対応は微妙な,は慶應予科が一高を破り、関東西(関東対関西の意)のOB戦は第10回の定期戦を兼ねて行われたが11対0で,努力、交渉の経緯がはぶかれ、いきなり結論となっているが、それはともかく早慶定期戦の実現にはじまり、関東諸大学 / 《メッカ神宮競技場と東都のラグビー》
日本ラグビーフットボール史 (《全国地区対抗大学大会》)

全国大会といえば、東京か京阪神にかぎられていたのを、あえて名古屋を開催地としたことには、当初異論がないでもなかったが,もし大学の所在地が九州・福岡ではなく、首都圏なり、近畿圏だったとしたら関東大学、あるいは関西大学リーグ,その裏づけとでもいうか、全国地区大学大会の優勝あるいは準優勝チームが、後に関東大学対抗戦、同リーグ戦、,の国士舘大学、第17回大会(1965年度)優勝の成城大学、第23回大会(1971年度)優勝の東海大学、,第31回大会(1980年度)優勝の関東学院大学だろう。 / 《全国地区対抗大学大会》
年代史・観戦記・その他資料 (全国高校選抜大会史)

その他の優勝校は東福岡高、正智深谷高(埼工大深谷の1回を含む)2回。,以下、1回の仙台育英高[A、Bグループで2校優勝]、大阪工大高、天理高、東海大仰星、伏見工が名を列ねている,そのためにも関東勢の巻き返しに大きな期待が寄せられている。,熊谷ラグビー場 桜岡将博 第7回 平成18年(2006)4.9 ○東海大仰星 31−15 ●東福岡高,31−24 ●大阪朝鮮高 熊谷ラグビー場 大槻 卓 第12回 東日本大震災の影響で中止 第13 / 全国高校選抜大会史
年代史・観戦記・その他資料 (全国高校大会史(旧中等学校大会を含む))

含む]が各2回優勝したほか、大東大一高、熊谷工、茗溪学園[双方優勝]が優勝するなど激戦が続いた。,大阪工大高、国学院久我山高、東海大仰星などが優勝している。,第7期 西高東低、啓光学園時代から東福岡高時代へ 第81回~第90回  第81回~84回大会まで記虎監督,、大東文化第一高校、茗溪学園(天皇崩御のため双方優勝)、 熊谷工業、西陵商業、大阪桐蔭 各1回 回数,28−21 ●東海大仰星 花園ラグビー場 加藤真也 第97回 平成30年(2018)1.8 ○東海大仰星 / 全国高校大会史(旧中等学校大会を含む)
年代史・観戦記・その他資料 (大学選手権の歩み)

第21回大会の決勝、同大対慶大の熱闘で「慶大幻のトライ」が話題になった。,第34回大会、春口廣監督、箕内拓郎主将の関東学大が、常勝明大の3連覇を阻んで初優勝を遂げた試合、第39,回大会、清宮克幸監督、山下大悟主将の早大が、王者関東学大を倒して長い低迷から返り咲いた試合などなど、忘,2 明治大学 13回 (引き分け優勝2を含む) 2 帝京大学 13回 4 関東学院大学 6回 5,同志社大学 4回 6 法政大学 3回 6 慶応大学 3回 (引き分け優勝2を含む) 6 大東文化大学 / 大学選手権の歩み
年代史・観戦記・その他資料 (国民体育大会ラグビー史)

3位は大阪府、昭和34年(1959)度第14回東京国体で興国商、第31回佐賀国体で大阪工大高が優勝、第,) 東京都 東京都 A○東京都(保善高) 9−3 ●岩手県(盛岡工) B○大阪府(興国商) 18,(全東京) 20−15 ●宮崎県(全宮崎) B○大阪府(大阪工大高) 31−18 ●岩手県(全岩手,) 宮崎県 都城市 A○東京都(全東京) 8−4 ●大阪府(全大阪) B○宮崎県(全宮崎) 18,全福岡) 37−22 ●島根県(全島根) 第52回 平成9年(1997) 大阪府 東大阪市 ○大阪府( / 国民体育大会ラグビー史
年代史・観戦記・その他資料 (大正9年(1920)度)

大正9年(1920)度 English Español 22シーズン目 関東ラグビークラブ,(AJRA)創立 「関西に創立されたオールホワイトと東西対抗を行うために、大正9年11月3日東京に慶応,東西OB対抗始まる  オールホワイト、AJRAが中心となって第1回の東西OB対抗が行われた。,(1921).2.11 ●関東OB 0−17 ○関西OB G:豊中 R:櫛山次郎 第2回 同大の公式試合,その他の主要試合 〈関東〉 T9(1920).12.5 ●早大 3−43 ○YCAC G:横浜根岸 / 大正9年(1920)度
年代史・観戦記・その他資料 (大正8年(1919)度)

G:同大 R:不明 第8回定期戦 T9(1920).1.10 ○慶応義塾 19−3 ●KRAC G:神戸東遊園地,R:スペンス 第11回定期戦 第3回日本蹴球大会(豊中)  この大会から中学の部と大学・高専の部,このクラブの創立は単にOBの親睦団体にとどまらず、関東に同様のAJRAの創立を促し、やがて関東、関西に,その他の主要試合 〈関東〉 T8(1919).11.29 ●早大 0−11 ○YCAC G:横浜根岸,R:不明 第1回定期戦 〈関西〉 T8(1919).11.15 ○同大 6−5 ●KRAC G:神戸東遊園地 / 大正8年(1919)度
日本ラグビーフットボール史 (《揺れる大学ラグビー界》)

原因は7大学リーグと名乗ってはいたものの、新たに参加した東京商大(現一橋大学)、法大を除く5大学間、東西,の4大学から「慶応、早稲田、明治、中央、日本、東京、立教、法政、教育、成蹊、青学の11大学の上位6大学,東洋、国士舘の7大学が関東学生連盟を結成。,これに大東文化を加えた8大学によるリーグ戦実施に踏み切った。,⑫関東大学の対戦方式が全面解決(1968年度)  関東協会は懸案となっていた関東大学の対戦方式について / 《揺れる大学ラグビー界》
年代史・観戦記・その他資料 (全国社会人大会の歩み)

実業団ラグビーである」(『日本ラグビー史』P144)とあり、大正12年(1923)ごろに東京電気、愛国生命,、常盤生命、東京電灯、日魯漁業などのチームが活動していた。,第1回大会は東北・北海道地区代表、東北肥料の棄権により、わずか3チームで行われた。,「試合の一週間前に札鐵不参加の報がもたらされ、関係者をあわてさせ、東北地方で優勝した東北肥料の出場が決定,第5期 第48回~第55回 第2期群雄割拠時代  神鋼に加えて、東芝府中、サントリー、トヨタ、三洋電機 / 全国社会人大会の歩み
年代史・観戦記・その他資料 (大正13年(1924)度)

関東では各校のOBで組織されていたAJRAが母体となり、大正13年6月20日に関東ラグビー蹴球協会が創立,その他の主要試合 〈関東〉 T13(1924).10.26 ○早大 33−0 ●明大 G:早大戸塚,R:増田鉱太郎 第3回定期戦 T13(1924).11.29 ○東大 14−3 ●明大 G:一高 R,立大 R:大久保 第1回定期戦 T14(1925).1.8 ○三高 12−0 ●東大 G:一高 R:香山蕃,T14(1925).1.14 ●早大 3−9 ○東大 G:早大戸塚 R:橋本壽三郎 第3回定期戦 〈 / 大正13年(1924)度
日本ラグビーフットボール史 (全国高等学校ラグビーフットボール大会(花園大会87回から))

げたが、2大会連続4回目の決勝進出で、東福岡高校が悲願の全国大会初優勝を成し遂げた。,また3月11日東日本大震災で被災した東北6県の代表校も健闘しました。    ,(複数出場している都道府県のチームは除く)  その結果、  東海大相模(神奈川2位、関東ブロック推薦,昨年、一昨年に高校3冠を成し遂げた東海大仰星と東福岡の決勝戦、激戦を制したのは東福岡2年振り6回目の優勝,回 平成28年 東海大仰星 37 31 桐蔭学園 花園 第96回 平成29年 東福岡 28 21 東海大仰星 / 全国高等学校ラグビーフットボール大会(花園大会87回から)
年代史・観戦記・その他資料 (大正14年(1925)度)

西部協会主催の日本選手権試合 「慶応の上海遠征で東西対抗が変則日程となり、恒例の東西定期戦は東西1位,その他の主要試合 〈関東〉 T14(1925).6.15 ○明大 18−0 ●関西大 G:法政中野,).11.29 ○東大 8−3 ●明大 G:明大駒沢 R:片岡春樹 第3回定期戦 T14(1925).12.2,○早大 9−3 ●東大 G:一高 R:馬場二郎 第4回定期戦 T14(1925).12.17 ○東大,第1回定期戦 T14(1925).12.27 ○京大 13−0 ●東大 G:京大 R:竹上四郎 第5 / 大正14年(1925)度
年代史・観戦記・その他資料 (大正2年(1913)度)

神戸東遊園地 R:スペンス 第6回定期戦 T3(1914).1.11 ○慶応義塾 34−0 ●神陵クラブ,これを立て直す努力は払われていたものの思うに任せず、しかも、大正2年1月に予定されていた東征(慶応戦),同志社大学が東上  同大が東上し、YCACに0−17と完敗したが、慶応に0−3と善戦して気を吐いた。,の主要試合 〈関東〉 T3(1914).1.24 ●慶応義塾 3−25 ○YCAC G:横浜根岸 R,:不明 第20回対戦 〈関西〉 T2(1913).11.22 ●同大 6−10 ○KRAC G:神戸東遊園地 / 大正2年(1913)度
年代史・観戦記・その他資料 (大正6年(1917)度)

R:佐伯信男 第5回定期戦 T7(1918).1.12 ○慶応義塾 11−0 ●KRAC G:神戸東遊園地,その他の主要試合 〈関東〉 T7(1918).1.31 ○慶応義塾 3−0 ●同大 G:三田綱町 R,第2回定期戦 〈関西〉 T6(1917).11.24 ○三高 28−0 ●KRAC G:神戸東遊園地,R:スペンス 第9回定期戦 T6(1917).12.1 ○同大 6−0 ●KRAC G:神戸東遊園地,R:スペンス 第13回定期戦 T7(1918).2.16 ●三高 3−18 ○KRAC G:神戸東遊園地 / 大正6年(1917)度
年代史・観戦記・その他資料 (大正11年(1922)度)

商科大学(現一橋大)ラグビー部創部  東大、京大に続いて官立三番目の大学ラグビー部として商大にラグビー,大阪高等学校ラグビー部創部  学校の創設とほぼ同時に創部されたラグビー部は翌12年の極東オリンピック,:香山蕃 第1回定期戦 T11(1922).12.28 △京大 0−0 △東大 G:一高 R:鶴原浩二,R:大市信吉 第3回定期戦 T12(1923).1.11 ●三高 0−3 ○東大 G:一高 R:メーズ,1回定期戦 T12(1923).1.28 △早大 0−0 △東大 G:一高 R:大市信吉 第1回定期戦 / 大正11年(1922)度
年代史・観戦記・その他資料 (大正4年(1915)度)

T5(1916).1.8 ●慶応義塾 5−15 ○KRAC G:神戸東遊園地 R:レセリストステン 第,まだ関東には慶応義塾しかラグビー部[慶応では蹴球部と称した]がなかった時代である。,その他の主要試合 〈関東〉 T5(1916).1.29 ●慶応義塾 5−6 ○YCAC G:横浜根岸,R:不明 第4回定期戦 T4(1915).12.4 ●同大 6−7 ○KRAC G:神戸東遊園地 R,:スペンス 第8回定期戦 T5(1916).1.29 ●三高 0−5 ○KRAC G:神戸東遊園地 R / 大正4年(1915)度
日本ラグビーフットボール史 (《5大学リーグが新たに発足》)

《5大学リーグが新たに発足》 関東大学ラグビーに動乱のときが突然やってきた。,参加校は慶應、早稲田、東大、明治、立教の5校。,当時の関東協会が5大学リーグ戦とどう向き合ったのかはともかく、1933(昭和8)年には、新たに東京商大,明治、立教とは対戦していないし、また早稲田も関東での大学の対戦相手は慶應、明治、東大の3校だけ。,そのうち東大に敗れている。 / 《5大学リーグが新たに発足》
年代史・観戦記・その他資料 (大正12年(1923)度)

大会にラグビーが参加  第6回極東オリンピックが開催され、ラグビー競技は大阪市築港グラウンドで行われた,関東に大学ラグビー部次々と創立  立教大学ではサッカーをしていた早川郁三郎が、京大OBでラグビーを経験,第一高等学校、東京高等師範(文理大、教育大、現筑波大)、成蹊高校、関西にも関西大学などにラグビー部が次々,G:三田綱町 R:大市信吉 第1回定期戦 T13(1924).1.24 ●早大 0−3 ○東大 G:早大戸塚,G:同大 R:竹上四郎 第11回定期戦 T13(1924).1.10 ○京大 8−3 ●東大 G:三高 / 大正12年(1923)度
年代史・観戦記・その他資料 (大正15年(1926)度)

当日予定されていた一高グラウンドでの東大対京大戦が中止になり、「ここまで東大は全勝、早大、慶大との試合,を残しているが、京大も全勝で迎えた試合の中止は誠に残念」と『東大ラグビー史』P66に、無念の心中を述べた,/大正時代のラグビー 大正時代に入って定期戦が関東、関西にまたがって定着してくる。,その他の主要試合 〈関東〉 T15(1926).9.24 ○早大 63−0 ●法大 G:高円寺 R:,本領信治郎 第1回定期戦 T15(1926).10.6 ○早大 36−0 ●東京高師(現筑波大) G: / 大正15年(1926)度
年代史・観戦記・その他資料 (大正3年(1914)度)

に終わる  三高の部活動休止もあり、東西の交流もなく慶大、同大がそれぞれYCAC、KRACと戦う以外,慶大が18−6でYCACに3回目の勝利を収めたのと、同大がKRACに3試合とも接戦したことが収穫であった,その他の主要試合 〈関東〉 T3(1914).11.28 ●慶応義塾 6−19 ○YCAC G:横浜根岸,−18 ○KRAC G:神戸東遊園地 R:不明 第5回定期戦 T3(1914).11.28 ●同大 3,KRAC G:神戸東遊園地 R:スペンス 第7回定期戦2) 1) 『慶応100年史』P140に「この / 大正3年(1914)度
年代史・観戦記・その他資料 (日本選手権大会の歩み)

第8回大会は、私が監督、大東和美主将の早大が、新日鉄釜石に30−16と快勝。,第24回大会はトヨタが大東文化大学を26−6で下し、2回目の優勝を遂げた。  ,第25回大会には早大が東芝府中を22−16で破り、木本建治監督、永田隆憲主将が宙に舞い、ラグビーの人気,第32回大会で神戸製鋼が大東大から102点を取り、88点差で勝ったことが引き金となって、第35回大会から,大敗続きだった大学チームも早大、関東学大、帝京大などが確実に力をつけてきて、トップリーグの下位チームと / 日本選手権大会の歩み
年代史・観戦記・その他資料 (大正5年(1916)度)

○慶応義塾 3−0 ●YCAC G:横浜根岸 R:不明 第24回対戦1) その他の主要試合 〈関東〉,10 ○KRAC G:神戸東遊園地 R:スペンス 第10回定期戦 T5(1916).11.28 ●三高,G:神戸東遊園地 R:スペンス 第7回定期戦 T5(1916).12.5 ○三高 5−0 ●同大 G,:三高 R:合田 第7回定期戦 T5(1916).12.9 ○同大 10−6 ●KRAC G:神戸東遊園地,R:スペンス 第11回定期戦 T6(1917).1.20 ●同大 0−8 ○KRAC G:神戸東遊園地 / 大正5年(1916)度
年代史・観戦記・その他資料 (全国クラブ大会史)

『機関誌』Vol.43-6、P38 平成5年(1993)度『関東協会クラブ委員会の報告』を見ると、クラブラグビー,「関東協会管下には、2481チームが登録されている。,平成2年度に関東協会では、毎年急増し続けるクラブチームの諸問題に対処するため、関東協会内13番目の委員会,以来、クラブ委員会では、東日本クラブ選手権大会の主催、全国クラブ大会の主管を始めとする一連のクラブ大会,各都道府県クラブ大会は、従来のように、県内限りの自己完結の大会ではなく、いまや東日本大会→全国大会につながる / 全国クラブ大会史
日本ラグビーフットボール史 (日本選手権大会)

1967年に関東社会人リーグで初優勝以降、常に社会人トップレベルの実力を有しながら、全国タイトルを手にしたのは,しかし、東芝ブレイブルーパスが部員の不祥事で出場辞退となり、9チームでの戦いとなった。  ,今季は大学史上稀にみる大型チームの帝京大、東海大に初出場の六甲ファイテングブル、来季からトップリーグ昇格,今大会は、大学王者の帝京大は東芝に対して接点では引けを取らない強さを見せ、大学選手権準優勝の天理大は持,前半4分パナソニックはSOバーンズがPGで先制したが、東芝もWTB大島がトライして逆転3-7した。 / 日本選手権大会
年代史・観戦記・その他資料 (大正7年(1918)度)

第2回日本蹴球大会(豊中)  大正8年1月18、19、26日に、大毎主催第2回日本蹴球大会が行われた,慶応、京大、同大、三高、京都一商、同志社中の6チームが出場したが、慶応、京大が準決勝で棄権したため決勝戦,その他の主要試合 〈関東〉 T8(1919).1.6 ○慶応義塾 9−0 ●三高 G:三田綱町 R:,第1回定期戦 〈関西〉 T7(1918).11.30 ○同大 6−3 ●KRAC G:神戸東遊園地 R,8回定期戦 T7(1918).12.7 ●同大 0−5 ○KRAC G:神戸東遊園地 R:スペンス 第 / 大正7年(1918)度
日本ラグビーフットボール史 (全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会の立上げから第20回大会まで)

平成10年3月の第5回大会では、関東協会長が西日本から6校を招待し、第5回東日本高校選抜・関東協会長招待,第12回大会は東日本大震災の影響及び諸般の状況をふまえ開催中止となりました。,熊谷 第7回 東海大仰星高等学校 31-15 東福岡高等学校 熊谷 第8回 伏見工業高等学校 17-,12回 東日本大震災の影響及び諸般の状況をふまえ開催中止 第13回 東福岡高等学校 24-22 石見智翠館高等学校,熊谷 第14回 大阪桐蔭高等学校 33-14 東海大仰星高等学校 熊谷 第15回 東福岡高等学校 62 / 全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会の立上げから第20回大会まで
日本ラグビーフットボール史 (Ⅲ 大学選手権に青春をかけて)

大学ラグビーで3年連続して王座につくことの難しさは、戦前に東西大学定期戦も含めて京都大学、関東の7大学,早稲田が、明治が、関東学院がチャンスをつかんでは挑戦するが、同志社に追いつき、追い越せなかったのも、大学,対法政に3敗、対関東学院に2敗、日体、大東文化に各1敗という記録が残っているが、対戦成績で負け越しているのは,法政、日体、大東文化とはすべてイーブンという記録が残っている。,1997(平成9)年度の初優勝いらい3度の2連覇をはたしている大学ラグビーの新しい実力派関東学院は第43 / Ⅲ 大学選手権に青春をかけて
年代史・観戦記・その他資料 (全国高校選抜大会戦績)

全国高校選抜大会戦績 ※第23回大会 報徳学園 vs 東福岡高は新型コロナの影響により、報徳学園の不戦勝 / 全国高校選抜大会戦績
日本ラグビーフットボール史 (《京大エイトFWの全国制覇》)

その早稲田絶対説を揺るがしたのが、関東のシーズン最終戦でヒーローとの直接対決に大勝した東大だった。,明に大敗した東大に不覚の敗を喫し、われひとともに首をかしげた。,二つの敗因についてはともかく、客観的にみて「あの東大に…」という表現だが、東大関係者は別としても、当時,東都のラグビーフアンには約3年ぶりにみる京大ラグビーだったが、東大の挑戦を一蹴し、慶應にも勝ってすでに,打倒慶應を実現したかと思えば、暮の東大戦に大敗する。 / 《京大エイトFWの全国制覇》
日本ラグビーフットボール史 (《再燃した京大発の入場料問題》)

ところが、関東協会の管轄内では落着したはずの入場料問題だったが、西部協会所属の京大から1927(昭和2,協会の二、三の理事に会い京大側の事情を説明したが、『関東協会の規程を破って京大の主張を容れることは、今後協会,この年度の入場料徴収試合は早慶、早同、早帝(東大)の3試合。,関西のチームという点では同志社が、また帝大という官立(当時)系としては東大がそれぞれ早稲田との有料試合,東西大学対抗ラグビーはじめ試合会場といえばすべて三高、京大、同志社など、当事校のグラウンドがいぜんとして / 《再燃した京大発の入場料問題》
年代史・観戦記・その他資料 (日本代表国際セブンズ大会全成績(日本代表、日本選抜参加大会のみ))

選手:小野真司(東芝府中)、石井誠(明大)、角濱嘉彦(関東学大)、グラハム・ヒスロップ(東京ガス)、,、川島和也(東北電力)、小岩弘典(筑波大)、遠藤幸佑(法大)、大屋尊政(東京ガス)、池田渉(NTT東北,三洋電機)、角濱嘉彦(関東学大)、仙波大輔(立命大)、百村彰二郎(東海大)、三須城太郎(三洋電機)、斉藤敦,三洋電機)、角濱嘉彦(関東学大)、仙波大輔(立命大)、百村彰二郎 (東海大)、三須城太郎(三洋電機)、,(早大)、成田秀悦(サントリー)、豊島翔平(東海大)、シオネ・テアウパ(大東大)、正海智大(同大)、坂井克行 / 日本代表国際セブンズ大会全成績(日本代表、日本選抜参加大会のみ)
日本ラグビーフットボール史 (《戦前の全国高専大会》)

大会はプレ大会。,に早高学院が関東代表となってからは、大会そのものが大きな様変わりをみせはじめた。,すなわち早大専門部、明大予科、専門部、慶應予科など関東のビッグ・3といわれた主要大学の主力をメンバーに,、ほぼ関東大学対抗戦の覇者となっている。,関東大学の王座を争う早、慶、明の指導者にとって、全国高専大会の存在がどれほど大きなものであったかがよくわかるだろう / 《戦前の全国高専大会》
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