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日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム

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日本ラグビーフットボール史 (《高校ラグビーと高体連》)

《高校ラグビーと高体連》 戦後の学制改革とともに高校体育連盟という組織が発足した。,各種スポーツの専門部門が設けられ、ラグビーもその1部門となり、同年12月31日、大毎主催の第30回全国高校,また、全国高校ラグビー大会との関連としては、戦前の大阪毎日新聞社主催から戦後の主催日本協会、後援毎日新聞社,におかれていたのと比べて、まさに百歩を進めた改革であること言をまたない」と結論付けているが、教育の一環としての高校,ラグビーであることを考えると、全国高校大会の健全な発展に高体連ラグビー部会は欠かすことのできない存在である / 《高校ラグビーと高体連》
日本ラグビーフットボール史 (《高校日本代表の海外遠征》)

《高校日本代表の海外遠征》 2006(平成18)年度高校日本代表の海外遠征地とその日程が6月8日、日本協会,日本協会、高体連、そして毎日新聞社の主催3者が大会50周年の記念事業として、高校日本代表チームを編成。,高校ジャパンが50周年を記念して初の海外遠征でカナダへ…。    ,のレベルアップに繋げる一方、多くの日本代表選手、さらには次世代の技術指導者が、これら歴代の高校日本代表,高校ラグビーに限らず、世の中には明るいニュースばかりではない。 / 《高校日本代表の海外遠征》
年代史・観戦記・その他資料 (高校日本代表海外遠征)

高校日本代表海外遠征 / 高校日本代表海外遠征
年代史・観戦記・その他資料 (全国高校選抜大会史)

全国高校選抜大会史 全国高校選抜大会戦績 全国高校選抜大会決勝テーブル  平成12年(2000)度,に第1回大会が行われた『全国高校選抜ラグビー大会』は、まだ歴史そのものが浅い。 / 全国高校選抜大会史
年代史・観戦記・その他資料 (全国高校選抜大会戦績)

全国高校選抜大会戦績 ※第23回大会 報徳学園 vs 東福岡高は新型コロナの影響により、報徳学園の不戦勝 / 全国高校選抜大会戦績
年代史・観戦記・その他資料 (全国高校大会決勝テーブル)

全国高校大会決勝テーブル ※訂正 昭和3年(1928)度 第11回全国中等学校蹴球大会 G:南甲子園運動場 / 全国高校大会決勝テーブル
年代史・観戦記・その他資料 (全国高校大会トーナメント表)

全国高校大会トーナメント表 ※訂正 第11回大会 南甲子園運動場→甲子園球場 第99回大会(令和元年 / 全国高校大会トーナメント表
年代史・観戦記・その他資料 (昭和40年(1965)1月15日 第2回日本選手権試合)

0 PG 0 6 広瀬 征雄(④西陵商) 7 児玉 雅次(明大) 0 DG 0 7 竹部  肇(④砺波高
年代史・観戦記・その他資料 (昭和43年(1968)1月15日 第5回日本選手権試合)

21 前 11 1 黒井 末広(②新発田高) 2 中山  忠(秋田工) 6 後 3 2 境  秀憲(③砺波高
日本ラグビーフットボール史 (《全国中学・高校大会と記録の数々》)

《全国中学・高校大会と記録の数々》 戦前の連勝記録としては中学大会創設の大正時代に同志社中学が5連覇,の新日鉄釜石、神戸製鋼が記録した7連覇、大学選手権で同志社によって樹立された3連覇とともに啓光学園の高校大会,また、全国中学・高校大会を通した記録を語るとき、どうしてもはずせないのが東北の雄、秋田工と奈良の天理である,その点、回数では劣るが、2連覇達成校としては、戦前の撫順中学(旧満州=現中国東北地方)はじめ、戦後の高校大会,なお、全国高校大会出場の優秀選手による東西対抗試合が1973(昭和48)年から日本選手権(1月15日) / 《全国中学・高校大会と記録の数々》
年代史・観戦記・その他資料 (昭和40年(1965)1月10日 昭和39年(1964)度 第1回大学選手権決勝)

③浦和高) 6 広瀬 征雄(④西陵商) 3 PG 1 6 加藤  猛(③新潟商) 7 竹部  肇(④砺波高
年代史・観戦記・その他資料 (昭和43年(1968)1月7日 昭和42年(1967)度 第4回大学選手権決勝)

8 早大 1 黒井 末広(②新発田高) 8 前 0 1 堀口  昭(③浅野高) 2 境  秀憲(③砺波高
年代史・観戦記・その他資料 (全国高校大会史(旧中等学校大会を含む))

全国高校大会史(旧中等学校大会を含む) 全国高校大会トーナメント表 全国高校大会決勝テーブル  日本,第27回まで、戦時中の中断を含めて続いた『中等学校大会』は、昭和24年(1949)の学制改革により『高校大会,全国高校大会史は大きく次の7期に分けることができよう。,7 目黒高校 5回 7 国学院久我山高校 5回 7 大阪工大高校・常翔学園 5回 (天皇崩御のため,、大分舞鶴高校、大東文化第一高校、茗溪学園(天皇崩御のため双方優勝)、 熊谷工業、西陵商業、大阪桐蔭 / 全国高校大会史(旧中等学校大会を含む)
日本ラグビーフットボール史 (全国U18女子、高校代表遠征の記録)

全国U18女子、高校代表遠征の記録 全国U18女子セブンスラグビーフットボール大会 第1回大会  / 全国U18女子、高校代表遠征の記録
年代史・観戦記・その他資料 (全国高校選抜大会決勝テーブル)

全国高校選抜大会決勝テーブル 第12回は東日本大震災の影響で中止 第13回~20回 第21回は新型,1,000人 天候 晴れ/無風 グラウンド 状態 良い ドクター 立花陽明 本橋政弘 記録係 高校大会 / 全国高校選抜大会決勝テーブル
日本ラグビーフットボール史 (高校日本代表遠征(U19)記録)

高校日本代表遠征(U19)記録 年度 遠征先 スコア 対戦相手 場所 2008 イングランド 14- / 高校日本代表遠征(U19)記録
日本ラグビーフットボール史 (《決議文》)

結びに、高校日本代表として選ばれました選手の皆さんの名誉は不滅であり、このことを契機に日本代表を目指し,《全国高校大会50周年記念高校日本代表初のカナダ遠征成績》 ①3月22日  〇日本高校代表―ビクトリア,選抜●      14(3-3、11-5)8 ③3月28日  ●日本高校代表―バンクーバー市選抜,○      0(0-3、0-14)17 ④3月31日  ○日本高校代表―バンクーバー市選抜●,     12(3-3、9-3)6 ⑤4月4日  ●日本高校代表―BC州選抜○      16(
日本ラグビーフットボール史 (「サニックスワールドラグビーユース交流大会」について)

「サニックスワールドラグビーユース交流大会」について 本大会は2000年より開催され、国内外の高校生単独,おかげさまで2016年で第17回を数えることができ、世界でも稀な大会方式に「高校生のワールドカップ」と,その際、当時の株式会社サニックス 宗政伸一代表取締役社長の「将来のある高校生の国際大会をした方がラグビー,界の発展につながる」という発想から、当時の東福岡高校ラグビー部監督の谷崎氏のアドバイスもあり、2000,しかし、グラウンド上では同じルールのもとで行われる高校生の全力のプレーと試合後の交流には感動を覚え、運営
年代史・観戦記・その他資料 (令和2年(2020)度)

各種講習会の実施自粛に関するお知らせ 5/15 各種講習会の実施自粛に関するお知らせ 5/15 高校生以下対象,ウエールズ代表戦、イングランド代表戦、スコットランド代表戦、アイルランド代表戦中止 ・2020年度高校日本代表,回全国高等学校7人制ラグビーフットボール大会の中止 ・KOBELCO CUP 2020 第16回全国高校合同大会,/高校は、春は東福岡、冬は桐蔭学園が優勝/第21回高校選抜大会は東福岡が46-31で桐蔭学園を破り、第,100回高校大会でも桐蔭学園が32-15で京都成章を下して優勝した。
日本ラグビーフットボール史 (《ジャパンを支えるエージグループの強化》)

「…02年度としては、世界に合わせてエージレベルでの強化を前提に、これまでの『高校代表候補』の呼称を『,U19候補(高校3年生)』に変更。,新たに『U17候補(高校2年生)』を集めて夏合宿を始めた。,要するに高校日本代表の3年生はU19、高校2年生はU17と、IRB主催の大会規定に沿って、年齢による組,、高校3年に相当するU19が23人中20人。
日本ラグビーフットボール史 (《全国中学大会の復活》)

《全国中学大会の復活》 全国高校大会は2005年度で回を重ねること85回。,こうした高校ラグビーの発展について、日本ラグビー史も「…社会人チームと高校チームの増加が目立ち、日本ラグビー,と指摘したうえで「むかしの社会人チームが、おおむね大学、高専出のO・B・で組織せられていたのに対し、高校,ところで、高校大会の会場として西宮球技場が最適だったのは、グラウンドが3面使えたことである。,なお、第77回全国高校大会決勝の日の1997(平成9)年1月7日。
日本ラグビーフットボール史 (1.登録競技者・チーム数の推移)

年度末登録競技者数を対2011年度でみると、男性では小学生年代以下+16.8%、中学生年代-5.4%、高校生年代,小学生年代、大学生年代プレーヤーは増加しているものの、高校生年代、成人の減少が著しい(表2)。,女性は、小学生年代以下+56.9%、中学生年代+153.0%、高校生年代+177.0%、大学生年代+67,ラグビースクール、ジュニアクラブ、女子のチームが増加した一方で、高校、社会人、一般クラブが大幅減少し、
年代史・観戦記・その他資料 (昭和61年(1986)度)

/高専は宮城工専、高校は国学院久我山高が優勝 第17回高専大会は宮城工専が25−0で宇部工専を破り宿願,第66回高校大会は国学院久我山高が22−6で熊谷工に勝って4年ぶり4回目の優勝を飾った。,/高校代表海外遠征 7月に第12回高校日本代表のNZ遠征(3勝3敗)を実施した。,/豪州NSW高校選抜来日 12月にNSW高校選抜が来日し、6試合(高校日本代表を含む)に全勝。,/NZ高校代表来日 3月にNZ高校代表が来日(5勝)した。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和45年(1970)度)

【その他】 地区対抗は名城大と福岡大、教育系は鹿児島大、高校は盛岡工が優勝 第21回地区対抗は名城大と,第50回全国高校大会は記念大会として50校が参加しシード制を初めて採用した。,【国際】 第1回高校日本代表カナダ遠征(3勝2敗) 日本協会は高校大会50周年を記念して、初めて高校代表,この遠征を契機に昭和50年度以降継続的に高校日本代表の海外遠征を実施し、多くの代表選手を輩出している(,資料編『高校日本代表海外遠征』参照)。
日本ラグビーフットボール史 (《同志社ラグビーの功績と存在感》)

していく一方で、これら上級学校の活動を支える重要な役割を担ったのが京都府立第一中学校(京都一中=現洛北高校,)であり、同志社普通学校(現同志社高校)である。    ,この大会はいまも「全国高校ラグビーフットボール大会」の名称で引き継がれているが、東京で始まったラグビー,ラグビー、全国高校選抜野球と朝日新聞社の全国高校野球優勝(戦前はいずれも中学)の3大会だけである。,高校ラグビーについては後に詳述する。
日本ラグビーフットボール史 (全国高等学校合同チームラグビーフットボール大会)

チームラグビーフットボール大会 【合同チーム大会発足の背景】  平成3年度(1991年度)全国の高校,平成3年度の全国高校ラグビー大会(花園)の地方予選への参加率は94,2%で、ラグビー部はあるものの、全国大会予選,その後少子化の流れのなか部員数、登録校数の減少は加速していき、第80回全国高校ラグビー大会が行われた平成,このようなラグビーの部員減のなか、高校ラグビーの活性化を図るために、2005年に全国9ブロックの各ブロック,れのなか、2011ラグビーワールドカップ日本招致実行委員会に特別後援となり、また神戸製鋼グループの「高校
日本ラグビーフットボール史 (②育成環境の整備)

また、プレーヤーの育成においても国際化を視野に入れ、スポーツ庁委託事業として女子高校生の国際交流プログラム,登録競技者数の推移を概観すると、高校生及び成人の減少が顕著であり、活動の場を提供すべく検討が進められている
年代史・観戦記・その他資料 (昭和23年(1948)度)

ol 50シーズン目 【協会】 学制改革行われる 4月1日に学制改革が実施され、現在の新制大学、高校制度,「関西でも10月10日に西宮第一グラウンドで1国体高校関西予選準決勝 2国体社会人関西地区決勝 3超OB,【その他】 唯一の東京開催、高校は秋田工、高専は西南学院 学制改革のため全国高校大会となった第28回大会
日本ラグビーフットボール史 (全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会の立上げから第20回大会まで)

全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会の立上げから第20回大会まで この全国高校選抜ラグビー大会(,平成4年3月にさいたま高校招待ラグビー大会が開催され、翌平成5年3月には第1回東日本高校選抜ラグビー大会,平成10年3月の第5回大会では、関東協会長が西日本から6校を招待し、第5回東日本高校選抜・関東協会長招待,それを足掛かりに、平成10年9月の全国委員長会議で全国高校選抜ラグビー大会開催が承認され、平成12年4,昨今では「実行委員会推薦枠」で選抜大会に初出場した学校が、これを期に実力を付け、全国高校ラグビー大会(
年代史・観戦記・その他資料 (昭和53年(1978)度)

/高専は佐世保工専が初優勝、高校は国学院久我山高が優勝 第9回高専大会は佐世保工専が13−0で神戸市立工専,第58回の高校大会は国学院久我山高が黒沢尻工を40−6で下して3年ぶり2回目の優勝を遂げた。,/国体は成年が群馬、高校は岩手と秋田が優勝 第33回長野国体は飯田市で行われ、成年は群馬県(東京三洋),高校Aは岩手県(全岩手)が21−12で東京都(全東京)を破り、Bでは秋田県(全秋田)が29−10で埼玉県,/高校代表海外遠征 54年3月に第4回高校日本代表のイングランド遠征(3勝1敗)を実施した。
年代史・観戦記・その他資料 (平成5年(1993)度)

/高専は久留米工専、高校は相模台工が優勝 第24回高専大会は久留米工専が10−8で都城工専を破り14年,ぶり2回目の優勝、第73回高校大会は相模台工が19−6で東農大二高を下して感激の初優勝を遂げた。,【国際】 4月、シドニー高校選抜来日(3勝)。/5月、カナダU23代表来日(1勝4敗)。,/高校代表海外遠征 3月に第19回高校日本代表のNZ遠征(3勝2敗)を実施した。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和24年(1949)度)

【その他】 高校は秋田工、国体は成年が東京、少年は福岡が優勝 第29回高校大会は秋田工(3年連続5回目
日本ラグビーフットボール史 (全国高等学校ラグビーフットボール大会(花園大会87回から))

87回から) 87回大会は51校が参加し、熱戦を繰り広げたが、2大会連続4回目の決勝進出で、東福岡高校,決勝は近畿対決、私立校・公立高校の戦いでした。,今大会も昨年と同様55校が激戦を繰り広げ、東海大仰星が2大会ぶり4回目の優勝、昨年に続き「高校3冠」を,、2度目の「高校3冠」を達成されました。,高校ラグビーの進化を感じる一方、高校ラグビー競技者の減少、大会参加校の減少が目立ってきた大会でもありました
年代史・観戦記・その他資料 (昭和50年(1975)度)

【その他】 高専は函館工専、高校は国学院久我山高が初優勝 第6回高専大会では函館工専が27−7で富山商船高専,第55回全国高校大会で国学院久我山高が25−9で目黒高との東京決戦を制し初優勝を果たした。,/12月に豪州NSW高校選抜(7勝)が来日した。/東京三洋が3月にNZ豪州遠征(1勝3敗)を行った。,/高校代表海外遠征 3月に第2回高校日本代表の海外遠征(イングランド、7敗)を実施した。
年代史・観戦記・その他資料 (平成13年(2001)度)

/高校選抜大会、花園はともに啓光学園が優勝 第2回高校選抜大会は啓光学園が32−26で東福岡高に勝って,優勝、第81回高校大会は啓光学園が50−17でこれまた東福岡高に勝って3年ぶり3回目の優勝を果たした。,/11月、豪州高校代表来日(1勝)。/12月、第6回U19アジア大会。,/高校代表海外遠征 3月に第27回高校日本代表のトンガ遠征(現地の異常気象・高温多湿のため1勝で帰国)
年代史・観戦記・その他資料 (昭和31年(1956)度)

高体連ラグビー部会は体協脱退を支持するも、高校生の国体参加を熱望したため、体協と折衝の末、8月12日に,【その他】 大学大会は甲南大、高校は秋田工が連覇 第7回全国大学大会は甲南大が3−0で防衛大を下し連覇,第36回高校大会は秋田工が盛岡工を14−3で下し2年連続9回目の優勝を達成した。
日本ラグビーフットボール史 (2.アンチ・ドーピング教育・啓発)

表1 アンチ・ドーピング研修会実績  高校生に対するアンチ・ドーピング活動として、平成19年度は全国高等学校,ラグビーフットボール大会(花園)で高校日本代表を対象として競技会外ドーピング検査を実施したが、高校生では
年代史・観戦記・その他資料 (昭和54年(1979)度)

/高専は久留米工専が初優勝、高校は目黒高が優勝 第10回高専大会は久留米工専が7−3で佐世保工専に勝って,初優勝、第59回の高校大会は目黒高が16−14で国学院久我山高を退け4年ぶりの東京対決に雪辱、3年ぶり, 第34回宮崎国体は都城市で行われ、成年は岩手県(新日鉄釜石)が39−12で宮城県(全宮城)に勝ち、高校,/高校代表海外遠征 4月に第5回高校日本代表のNZ遠征(6勝0敗)を実施した。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和63年(1988)度)

日本ラグビー協会は高専大会、高校大会の決勝を中止、両校を優勝とした。,/高専、高校大会は決勝が中止、両校優勝 昭和天皇崩御のため決勝戦が中止され、第19回高専大会は宇部工専,(初優勝)と都城工専(3年ぶり3回目)、第68回高校大会は大阪工大高(7年ぶり3回目)と茗溪学園(初優勝,/高校代表海外遠征 平成1年3月に第14回高校日本代表のNZ遠征(3勝2敗)を実施した。
年代史・観戦記・その他資料 (平成4年(1992)度)

/高専は都城工専、高校は伏見工が優勝 第23回高専大会では都城工専が神戸市立工専を10−3で下して2年連続,4回目の優勝、第72回高校大会では伏見工が15−10で啓光学園を破り12年ぶり2回目の優勝を果たした。,/12月、豪州高校選抜来日(3勝2敗)。,/高校代表海外遠征 3月に第18回高校日本代表のイングランド遠征(4勝1敗)を実施した。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和47年(1972)度)

/高専は北九州工専が3連覇、高校は目黒高が優勝 第3回高専大会では北九州工専が38−16で富山商船高専,を下して3連覇、第52回高校大会は目黒高が27−0で花園高に勝って3年ぶり2回目の優勝を果たした。,/高校東西対抗行われる 第1回高校東西対抗が日本選手権試合の前座として1月15日に国立競技場で行われ、
年代史・観戦記・その他資料 (平成17年(2005)度)

/高校選抜は啓光学園、花園は伏見工 第6回高校選抜大会は啓光学園が24−10で東海大仰星を下して4年ぶり,2回目の優勝、第85回全国高校大会では伏見工が36−12で桐蔭学園を破って5年ぶり4回目の優勝を果たした,/高校代表海外遠征 8月に第31回高校日本代表の豪州遠征(1勝3敗)を実施した。
年代史・観戦記・その他資料 (平成20年(2008)度)

/高校は春・冬ともに常翔啓光学園[前啓光学園]が優勝 第9回高校選抜大会は常翔啓光学園が36−21で御所工,・実を破り、第88回高校大会でも常翔啓光学園が24−15で御所工・実を下して優勝した。,/高校代表海外遠征 3月に第34回高校日本代表のイングランド遠征(3敗)を実施した。
年代史・観戦記・その他資料 (平成22年(2010)度)

/高校選抜大会は東福岡高、花園は東福岡と桐蔭学園が引き分け双方優勝 第11回高校選抜大会は東福岡が31,−24で大阪朝鮮を下し連覇、第90回高校大会は東福岡(2年連続3回目)と桐蔭学園(初優勝)が歴史に残る,【国際】 高校代表海外遠征 3月に第36回高校日本代表のスコットランド・ウエールズ遠征(2勝2敗)を行
年代史・観戦記・その他資料 (平成14年(2002)度)

/高校選抜大会は大工大高、花園は啓光学園が優勝 第3回高校選抜大会は大工大高が52−31で佐賀工との決戦,を制して初優勝、第82回高校大会は啓光学園が26−20で東福岡高を破り2年連続4回目の優勝を遂げた。,/高校代表海外遠征中止 3月に第28回高校日本代表は米国・英国の対イラク戦争の影響で中止された。,3月5日に日本協会により高校日本代表に選ばれた選手の顕彰式を行った。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和56年(1981)度)

/高専は都城工専が初優勝、高校は大工大高が優勝 第12回高専大会は都城工専が21−4で神戸市立工専に勝,第61回高校大会は大工大高が13−4で秋田工を下し4年ぶり2回目の優勝を果たした。,/高校代表海外遠征 3月に第7回高校日本代表のイングランド遠征(5勝1敗)を実施した。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和59年(1984)度)

/高専は大阪府立工専、高校は秋田工が16年ぶりに優勝 第15回高専大会は大阪府立工専が16−4で松江工専,を破り2年ぶり2回目の優勝、第64回高校大会は古豪秋田工が9−4で相模台工を下して16年ぶり14回目の,/高校代表海外遠征 3月に第10回高校日本代表のウエールズ遠征(5勝2敗)を実施した。
年代史・観戦記・その他資料 (平成19年(2007)度)

/高校は春が伏見工、冬は東福岡高が初優勝 第8回高校選抜大会は伏見工が17−12で桐蔭学園を下して初優勝,花園の第87回全国高校大会は東福岡が歴史に残る名勝負の末、12−7で伏見工を破り念願の初優勝を果たし、,/高校代表海外遠征 7月に第33回高校日本代表の豪州遠征(2勝2敗)を実施した。
年代史・観戦記・その他資料 (平成21年(2009)度)

/高校は春冬ともに東福岡高が優勝 第10回高校選抜大会は東福岡高が61−17で常翔学園を圧倒し初優勝を,第89回高校大会は東福岡高が31−5で桐蔭学園の挑戦を退けて2回目の優勝を遂げた。,/高校代表海外遠征 3月に第35回高校日本代表のフランス遠征(1勝3敗)を行った。
年代史・観戦記・その他資料 (昭和55年(1980)度)

/高専は神戸市立工専、高校は伏見工がともに初優勝 第11回高専大会では神戸市立工専が28−7で都城工専,1月7日の第60回高校大会決勝は、伏見工がWTB栗林彰の劇的決勝トライで、7−3と大工大高に逆転勝ちを,/4月に全新日鉄がカナダ遠征(7勝3敗)/高校代表海外遠征 昭和56年4月(55年の事業が翌年度に食い,込んだ)に第6回高校日本代表の豪州遠征(7勝1敗)を実施した。
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