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日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム

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年代史・観戦記・その他資料 (テストNo.15 NZ代表コルツ(U23)第1回来日第3戦)

テストNo.15 NZ代表コルツ(U23)第1回来日第3戦 English 写真 新聞記事 機関誌,昭和33年(1958)3月2日 平和台競技場 ●日本代表 3-34 NZ代表コルツ○ NZコルツの,15 佐藤 英彦(八幡) 15 パット・ウォルシュ 得点:PG新井  日本のマスコミは「世界最強オールブラックス,来る」と書きたてたが、実際にはオールブラックスコルツ[23歳未満のオールブラックス]であった。,ウィナレイ主将、ブラウン副主将、ウォルシュ、ワット、リニーン、ソーパー、ピカリング、ミーズらオールブラックス / テストNo.15 NZ代表コルツ(U23)第1回来日第3戦
年代史・観戦記・その他資料 (テストNo.16 NZ代表コルツ(U23)第1回来日第5戦)

テストNo.16 NZ代表コルツ(U23)第1回来日第5戦 English 写真 新聞記事 機関誌,昭和33年(1958)3月9日 花園ラグビー場 ●日本代表 6-32 NZ代表コルツ○ 1トライあげるのが,精一杯 No.27★16 NZ代表コルツ(U23)第1回来日第5戦 1958年3月9日 G:花園ラグビー,場 R:川田大介 KO 14:30 日本代表 6 − 32 NZ代表コルツ 1 小林  清(明大) 3,このあとケガの佐藤がもどり全日本は宮井のライン加入からの突進、日比野の快走などがあり、ゆさぶりをかけたが、オールブラックス / テストNo.16 NZ代表コルツ(U23)第1回来日第5戦
年代史・観戦記・その他資料 (テストNo.17 NZ代表コルツ(U23)第1回来日第9戦)

テストNo.17 NZ代表コルツ(U23)第1回来日第9戦 English 写真 新聞記事 機関誌,昭和33年(1958)3月23日 秩父宮ラグビー場 ●日本代表 3-56 NZ代表コルツ○ 完膚なきまでに,叩かれる No.28★17 NZ代表コルツ(U23)第1回来日第9戦 1958年3月23日 G:秩父宮,ラグビー場 R:川田大介 KO 14:30 日本代表 3 − 56 NZ代表コルツ 1 小林  清(明大,日本は前半36分にSH斉藤がチャージしたボールをFL尾崎が押さえた1トライだけでNZコルツに12トライ / テストNo.17 NZ代表コルツ(U23)第1回来日第9戦
日本ラグビーフットボール史 (《初遠征でオールブラックスJr.を破る》)

《初遠征でオールブラックスJr.を破る》 日本協会が戦後初めて日本代表チームを海外へ派遣したのは1963,しかもBC州代表の来日前後にオールブラックス・コルツ、オックスブリッジ両大学連合など、話題の来日チーム,オールブラックスJr.との対戦はじめNZU(2試合)、州代表(3試合)のほか大学チーム(4試合)の計10,長期間の遠征と云い、オールブラックスに次ぐジュニアとの対戦といい日本代表にとっては破格の遠征条件。, ○日本代表23−15ポパティベイ州代表● ⑧6月3日(CAP対象)  ○日本代表23−19オールブラックス / 《初遠征でオールブラックスJr.を破る》
年代史・観戦記・その他資料 (昭和32年(1957)度)

【代表】 NZ代表コルツ(U23)に日本代表3テスト完敗 日本代表はNZ代表を迎え撃っため、監督西野網三,★15 1958.3.2 ●日本代表 3−34 ○NZ代表コルツ 平和台 ★16 1958.3.9 ●,日本代表 6−32 ○NZ代表コルツ 花園 ★17 1958.3.23 ●日本代表 3−56 ○NZ代表,【国際】 NZ代表オールブラックスコルツ来日 NZ協会がオールブラックス[実際は23歳以下のオールブラックス,NZコルツの来日が国内にラグビーを広めた功績は大きい。
日本ラグビーフットボール史 (《黒衣のパワフル3軍団》)

1958年にラグビー王国NZから初めて来日したオールブラックス・コルツのプログラム    なかでも,豪州大学選抜に続いて1958(昭和33)年3月に来日したオールブラックスコルツのパワーラグビーのすさまじさは,来日チームについては「オールブラックス」と発表され、日本のマスメディアもすべて「オールブラックス」の名称,を使用したが、日本協会80年史での表記は「オールブラックスコルツ」とした。,理由の第1として、いったんは「オールブラックスコルツ」の名称が決まりながら、後にNZ協会から「オールブラックス
日本ラグビーフットボール史 (《レッドデビルの来襲》)

だっただろうか、思えば戦後初めてオックスフォード大学を迎え、矢つぎばやにケンブリッジ大学、豪学生(大学)代表、オールブラックスコルツ,、カナダ、オケ大連合、パリ大学クラブ、カンタベリー大学、NZ大学(選抜)、豪コルツ等々ラグビー界では世界,外国選手として、過去にオックスフォード大学のカネル、ブーブバイヤー、豪州大学選抜のツース、フェレプス、オールブラックスコルツ,とはもとより1968(昭和43)年5月~6月にかけてニュージーランドに遠征した日本代表が、この戦法を駆使してオールブラックス
年代史・観戦記・その他資料 (国際交流の歩み)

昭和31年(1956)2月の豪州学生選抜、昭和33年(1958)2月のNZオールブラックス・コルツ、昭和,なかでもNZオールブラックス・コルツの来日は、ウィルソン・ウィナレー、コリン・ミーズ、パット・ウォルシュ,オールブラックス・ジュニアを破り、世界に日本ラグビーを発信した昭和43年(1968)の日本代表。,10月に世界チャンピオンとなったNZオールブラックスが来日、日本代表は0−74、4−106とテストマッチ,日本代表はウエールズに10−57、アイルランドに28−50、そしてNZオールブラックスに17−145と
年代史・観戦記・その他資料 (1 戦前から昭和35年(1960)度まで)

昭和31-34年(1956-59)度に、日本代表は豪州学生選抜3試合(北島忠治監督)、NZオールブラックスコルツ
年代史・観戦記・その他資料 (ラグビーワールドカップ史)

その渦中に1985年7月17日、NZオールブラックスの南ア遠征がキャンセルされるという大問題が起きた。,それは政治的配慮で遠征を取りやめたはずのNZオールブラックスのメンバーが、IRBとNZ協会の決定に造反,ダニー・クレイブン会長に「即時に追い返す」ことを求めたが、団長のコリン・ミーズ[NZ協会セレクター、1958年にオールブラックス・コルツ,帰国後、参加したメンバーは何事もなかったようにオールブラックスに復帰している。,最強のNZオールブラックスは、前人未到の連覇と3度目の優勝を飾った。
年代史・観戦記・その他資料 (各国との対戦成績内訳)

年3月25日 6 ‐ 19 1 69 1981年3月21日 10 ‐ 9 1 2 4 0 豪州代表コルツ,1982年5月30日 6 ‐ 22 1 76 1982年9月26日 31 ‐ 15 1 2 11 2 NZ,代表コルツ No.
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