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日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム

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年代史・観戦記・その他資料 (テストNo.8 オックスフォード大学第1回来日第6戦)

テストNo.8 オックスフォード大学第1回来日第6戦 English 写真 機関誌 昭和27年(1952,)10月1日 花園ラグビー場 ●日本代表 0-35 オックスフォード大学○ 第1テストに完敗 No,.17★8 オックスフォード大学第1回来日第6戦 1952年10月1日 G:花園ラグビー場 R:S.M,.ダフ KO 15:30 日本代表 0 − 35 オックスフォード大学 1 関川 哲男(慶大) 0 前,来日以降オ大は、全早大に苦しんだものの6戦全勝で迎えた。 / テストNo.8 オックスフォード大学第1回来日第6戦
年代史・観戦記・その他資料 (テストNo.57 オックスフォード大学第2回来日第4戦)

テストNo.57 オックスフォード大学第2回来日第4戦 English 写真 機関誌 昭和52年(,1977)3月27日 国立競技場 ●日本代表 16-20 オックスフォード大学○ オ大執念の逆転勝利,No.151★57 オックスフォード大学第2回来日第4戦 1977年3月27日 G:国立競技場 R,:町井徹郎 KO 14:00 日本代表 16 − 20 オックスフォード大学 C1 高田  司(トヨタ,遠征でのオ大戦はテストマッチになっていないが、日本は完勝したメンバーが10人出場している。 / テストNo.57 オックスフォード大学第2回来日第4戦
年代史・観戦記・その他資料 (テストNo.9 オックスフォード大学第1回来日第7戦)

テストNo.9 オックスフォード大学第1回来日第7戦 English 写真 機関誌 昭和27年(1952,)10月5日 東京ラグビー場 ●日本代表 0-52 オックスフォード大学○ 第2テストも0敗 No,.18★9 オックスフォード大学第1回来日第7戦 1952年10月5日 G:東京ラグビー場 R:高橋勇作, KO 15:00 日本代表 0 − 52 オックスフォード大学 1 夏井 末春(明大) 0 前 17,オ大戦はすべての試合でスタンドが満員となった。 / テストNo.9 オックスフォード大学第1回来日第7戦
年代史・観戦記・その他資料 (テストNo.99 オックスフォード大学第4回来日第5戦)

テストNo.99 オックスフォード大学第4回来日第5戦 English 写真 機関誌 昭和63年(,1988)10月1日 秩父宮ラグビー場 ●日本代表 12-23 オックスフォード大学○ オ大の理詰,めの攻撃に敗れる No.267★99 オックスフォード大学第4回来日第5戦 1988年10月1日 G,:秩父宮ラグビー場 R:P.ロバートソン(S) KO 14:30 日本代表 12 − 23 オックスフォード,オ大は立ち上がりから徹底したアップ・アンド・アンダーの攻撃。 / テストNo.99 オックスフォード大学第4回来日第5戦
日本ラグビーフットボール史 (《初めて目にした創始国のラグビー》)

冒頭に記した本論ともいうべき英国オックスフォード大学ラグビーチームの初来日にもどることとしよう。,このように年度にも違いがあるように、本格的な戦後の来日外国チームはオックスフォード大学と理解するのが一般的,オックスフォード大学来日のポスター  歓迎の辞    オックスフォード大学のラグビーチームを迎えることができたのは,私も嘗て、極めて短い期間ではありましたが、オックスフォード大学の生活を味わったことがあります。,1952年に戦後初めて来日したオックスフォード大学のプログラム   〔オックスフォード大学日本ツアー
日本ラグビーフットボール史 (《ダークブルーの次はライトブルーのケンブリッジ大学》)

それによると「…イギリス本国より代表チームを日本へ迎える計画をたて、まずオックスフォード大学並びにケンブリッジ,大学に対して来日の可否を問い合わせたところ、最初にオックスフォード大学から応諾の回答を受けたのでオックスフォード,オックスフォード大学チームを迎え、引き続いて今年ケンブリッジ大学チームを迎えることになったのであります,1953年に来日のケンブリッジ大学のプログラム    また前年のオックスフォード大学来征時もそうであったが,しかし、オックスフォード大学とのシリーズで露呈した日英両国の実力差を、今回のケンブリッジ戦ではさらに思
年代史・観戦記・その他資料 (昭和27年(1952)度)

/東京ラグビー場に中央スタンドが完成 オックスフォード大学の来日に備え、9月に2千名収容の中央スタンド,【代表】 オックスフォード大学に完敗 日本代表は10月にオ大を迎え奥村竹之助監督で対戦したが、テストマッチ,★8 1952.10.1 ●日本代表 0−35 ○オックスフォード大 花園 ★9 1952.10.5,●日本代表 0−52 ○オックスフォード大 東京ラグビー場 【大学】 早大2年ぶり全国制覇 第24回東西王座決定戦,【国際】 オックスフォード大学初来日 戦後初めて海外の名門チームを迎えて、日本のラグビー界は大いに盛り
年代史・観戦記・その他資料 (昭和51年(1976)度)

3月27日に記念試合としてオックスフォード大学を招待、日本代表とテストマッチを行ったが16−20で惜敗,★57 1977.3.27 ●日本代表 16−20 ○オックスフォード大 国立競技場 秩父宮ラグビー,日に部員がタクシー料金踏み倒し事件にかかわったとして1年間の公式試合辞退を決定、朝日招待試合を辞退、オックスフォード,加えて韓国アジア大会、カナダBC大学、アイルランド・クインズ大学、オックスフォード大学の来日など国際試合,/オックスフォード大来日(4勝) オ大は日本代表に20−16で勝ったほか、新日鉄釜石に22−16、トヨタ
年代史・観戦記・その他資料 (昭和63年(1988)度)

【代表】 第2回RWCへ向けて強化のバトンを託された私だったが、思うに任せず、オ大に敗れさらに韓国にも,/オックスフォード大学来日 第1回RWC優勝キャプテン、デビッド・カーク率いるオ大は日本代表を23−12,★99 1988.10.1 ●日本代表 12−23 ○オックスフォード大 秩父宮 第11回アジア大会
年代史・観戦記・その他資料 (1 戦前から昭和35年(1960)度まで)

戦後  戦後の日本ラグビーは、昭和27年(1952)9月、オックスフォード大学との対戦から始まった。,高校2年生だった私は、オ大の妙技に酔いつつも、子供のようにあしらわれる日本代表に地団駄を踏む思いだった,前提としたうえで、チームに、選手に、“いかに戦うか”を示すのがコーチの役割だと思っているので、同氏が『オ大戦,「オ大に接して、まず第一に体得してもらいたいのはアマチュアスピリットである。
年代史・観戦記・その他資料 (平成10年(1998)度)

/日英大学対抗試合スタート 日本協会は読売新聞の共催を得て、大学チームのレベル向上を期してオックスフォード,大学、ケンブリッジ大学を招聘し、日英大学対抗試合を継続的に行うことにした。,第1回はオ大が全早大、全同大と、ケ大が全関東学大、全明大と対戦したが、いずれも英国勢の勝利に終わった。,【国際】 第1回日英大学対抗 4月にオ大、ケ大が帯同来日し、オ大59−12全早大、43−17全同大、ケ,/9月、オ大来日(2勝1敗)。
年代史・観戦記・その他資料 (平成14年(2002)度)

早大はまた、オックスフォード大学との日英大学対抗戦を、9月15日に上井草グラウンドのオープニングゲーム,/第5回日英大学対抗、オ大2勝1分 9月、オ大23−23早大、38−30慶大、41−33関東学大。
年代史・観戦記・その他資料 (国際交流の歩み)

第2期のハイライトは昭和27年(1952)9月のオックスフォード大学、翌28年(1953)9月のケンブリッジ,戦争の影響で昭和18年から25年まで7シーズンもの間、国際交流を絶たれた日本にとって、オ大とケ大の来日,日本はオ大と7戦、ケ大と8戦、計15試合に全敗したが、ゼロからの出発に手ごたえを感じさせてくれた価値ある,平成10年(1998)から平成19年(2007)にわたって、日英大学対抗[オックスフォード大学とケンブリッジ
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