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年代史・観戦記・その他資料
(決勝記録一覧)
京都大学 11−5 ●慶応大学 神宮競技場 目良篤 昭和3年(1928)1.7 ○京都大学 14−11 ●
早稲田大学
,1.7 ○明治大学 54−11 ●京都大学 神宮競技場 目良篤 第6回 昭和8年(1933)1.3 ○
早稲田大学
,27−3 ●同志社大学 花園ラグビー場 巌栄一 第7回 昭和9年(1934)1.3 △
早稲田大学
8,9−8 ●同志社大学 花園ラグビー場 阿部吉蔵 第11回 昭和12年(1937)11.3 ○
早稲田大学
,8−6 ●同志社大学 花園ラグビー場 杉本彰 第25回 昭和29年(1954)1.3 ○
早稲田大学
年代史・観戦記・その他資料
(日本選手権大会の歩み)
第3回大会は横井久監督、矢部達三主将の
早稲田大学
が、八幡製鉄を12−9で破り初優勝した。,第13回大会までは、
早稲田大学
が3回、同志社大学、日本体育大学、明治大学が各1回優勝し、近鉄3回、リコー,分け優勝1を含む) 5 パナソニックワイルドナイツ 6回 (三洋電機時代の優勝回数3回を含む) 6
早稲田大学
,花園ラグビー場 野々村博 第12回 昭和50年(1975)1.15 ○近畿日本鉄道 33−13 ●
早稲田大学
,自動車 26−6 ●大東文化大学 国立競技場 真下 昇 第25回 昭和63年(1988)1.15 ○
早稲田大学
日本ラグビーフットボール史
(《草創から初期の早稲田を支えた京都人脈》)
《草創から初期の
早稲田
を支えた京都人脈》
早稲田
ラグビーの歴史を語るとき忘れてならないのが京都人脈の,せざることを遺憾として、幼年より親しめる楕円球を初めて戸塚球場に持ち来り、同志と共に、蹴球せるがそもそも
早大
,のラグビー選手だった国光素介、弟が同志社の有名な陸上選手だった大久保謙治ら京都出身者や慶應普通部から
早稲田大学
,戦後の
早稲田
はいざしらず、少なくとも発祥から戦前の
早稲田
ラグビー黄金時代を語るとき、京都出身者なくして,これが
早稲田
ラグビー戦前の部の歴史である。 / 《草創から初期の
早稲田
を支えた京都人脈》
年代史・観戦記・その他資料
(大学東西王座決定戦の歩み)
昭和2年(1927)11月23日の第6回早慶戦で慶応大学は
早稲田大学
に6−8で敗れ、創部以来初めて日本人,だがその
早大
も東京大学に6−19で敗れ、関東は全勝校がなく優勝は預かりになった。,京大は関東の
早大
、慶大を破って初の全国制覇を成し遂げた。 ,私はこの時代に
早大
の一部員だったが、スケジュールをすっきりさせてほしいと強く願っていたのを思い出す。,大学東西王座決定戦(35回) 優勝チームおよび優勝回数 1
早稲田大学
11回 2 明治大学 9回 3
年代史・観戦記・その他資料
(大正7年(1918)度)
大正7年(1918)度 English Español 20シーズン目
早稲田大学
ラグビー,部創部
早大
、三高と初試合、YCAC戦キャンセルの非礼を詫びる
早大
は慶応との定期戦に上京する三高,に対戦をお願いし、大正8年1月7日に
早大
戸塚グラウンドで0−15と完敗した。,「
早大
ラグビー部の記念すべき第1戦に、
早大
はえび茶と白の横縞のジャージィ(一着2円50銭)を着用した。,G:
早大
戸塚 R:塩川潤一 第1回定期戦 〈関西〉 T7(1918).11.30 ○同大 6−3 ●
年代史・観戦記・その他資料
(大学選手権の歩み)
連勝を続ける松元秀雄監督、宿沢広朗主将の
早大
を、長い不振から立ち直った北島忠治監督、高田司主将の明大が,の関東学大が、常勝明大の3連覇を阻んで初優勝を遂げた試合、第39回大会、清宮克幸監督、山下大悟主将の
早大
,大学選手権大会(60回) 優勝チームおよび優勝回数 1
早稲田大学
16回 (引き分け優勝1を含む)
年代史・観戦記・その他資料
(九州朝日招待試合史)
日本学生代表 14 10 0 4 71.4 明治大学 13 6 0 7 46.2 (全明大の1勝を含む)
早稲田大学
,○明治大 36−14 ●九州代表 平和台競技場 平山新一 第3回 昭和28年(1953)1.18 ○
早稲田大
,46−0 ●九州代表 平和台競技場 平山新一 第4回 昭和29年(1954)1.15 ○
早稲田大
16,●日本大 10−29 ○九州代表 平和台競技場 松岡正也 第7回 昭和32年(1957)1.15 ○
早稲田大
,●慶応大 5−23 ○九州代表 平和台競技場 堀 博俊 第9回 昭和34年(1959)1.15 ○
早稲田大
年代史・観戦記・その他資料
(昭和8年(1933)度)
が2年連続全国制覇
早大
はゆさぶりだけに満足せず、スクラム[
早大
は7人FW]にボールを投入したSHが、,関東で全勝、第7回東西王座決定戦では同大と8−8で引き分けたが、同大が慶大に敗れたため、シーズン無敗の
早大
,/関東は
早大
、関西は同大が優勝
早大
は7大学[商大(現一橋大)と法大が加入]となった第6回関東大学対抗戦,【その他】
早大
戸塚球場に夜間照明完成 上田輝雄
早大
工学部教授の指導で、戸塚球場に1700燭光の夜間照明,S8(1933).9.9 ○全
早稲田大学
24−13 ●関東代表 G:
早大
戸塚 R:本領信治郎 KO19
年代史・観戦記・その他資料
(大正9年(1920)度)
その他の主要試合 〈関東〉 T9(1920).12.5 ●
早大
3−43 ○YCAC G:横浜根岸,●三高 G:三田綱町 R:増田鉱太郎 第8回定期戦 T10(1921).1.6 ○三高 17−0 ●
早大
,野球の早慶戦で応援合戦が過熱し一触即発の不穏な雲行きとなり1勝1敗で迎えた3回戦が急遽中止された」(『
早稲田
,スポーツの一世紀』P16、
早稲田大学
、1993) 2) 三高蹴球部史P226に11.27、関西協会史
年代史・観戦記・その他資料
(昭和25年(1950)度)
【大学】
早大
2年ぶりの全国制覇 第22回東西王座決定戦で、
早大
が関西4連覇の関西学大に16−3で勝ち,/関東は
早大
が優勝、関西は関西学大の4連覇
早大
が第21回関東大学対抗戦に全勝し2年ぶり8回目の優勝を,第1回は
早稲田大学
が出場し24−3で九州代表を破った。
日本ラグビーフットボール史
(《協会成立の経緯と背景》)
松村(帝) FB 瀬良(立) 11月23日 秩父宮殿下ニハ明治神宮球場ニオケル
早稲田大学
対慶應義塾定期試合,1月1日 慶應対京大ゲーム 1月4日
早大
対同志社ゲーム 1月7日
早大
対京大ゲーム 1月,1月4日 秩父宮高松宮両殿下ニハ明治神宮外苑競技場ニ於ケル
早稲田大学
対同志社大学試合ニ御台臨ノ栄ヲ賜ウ,1月7日 秩父宮朝香宮両殿下ニハ明治神宮外苑競技場ニ於ケル京都帝国大学対
早稲田大学
試合ニ御台臨ノ栄ヲ賜,同夜、東京日々新聞社主催歓迎晩餐会 於日本青年館 2月5日 秩父宮殿下ニハ本日ノ
早稲田大学
対英軍試合
年代史・観戦記・その他資料
(3 YC&ACセブンズ)
東芝府中 3回 三洋電機(前東京三洋)、リコー、YCAC 2回 日野自動車(前日野ディーゼル)、明治大学、
早稲田大学
,東京三洋 32-13 ●横浜国大 第11回 昭和44年(1969)4.13 ○八幡製鉄 26-6 ●
早大
,18-11 ●エーコンクラブ 第14回 昭和47年(1972)4.16 ○新日鉄八幡 38-10 ●
早大
,23-6 ●東洋工業 第16回 昭和49年(1974)4.7 ○東京三洋 14-10 ●リコー ○
早大
,24-10 ●YCAC 第18回 昭和51年(1976)4.11 ○明大 24-14 ●同大 ○
早大
日本ラグビーフットボール史
(《日本とカナダの国際交流がはじまる》)
同じことが慶應や明治の上海遠征、そして日本代表のカナダ遠征の原点ともなった
早稲田
の豪州遠征へと遡っていく,徳川家正氏はその翌年に、カナダ公使として転任されたのであるが、ある会合の席上で、喜多壮一郎先生の御話や
早稲田大学
,昭和5年にカナダラグビー協会が、
早稲田大学
ラグビー部を、是非、カナダへ招待したいとの意向を徳川公使につたえ,カナダラグビー協会から正式の招待状をうけた
早稲田大学
ラグビー部では、部の内部事情のため、やむなく、この,滞在期間を9月に限定したのも学生の夏季休暇の有効利用にあったが、協会が心配した通り
早稲田
OBの坂倉雄吉
年代史・観戦記・その他資料
(日本代表の海外遠征)
日本では昭和2年(1927)7月、
早稲田大学
が当時としては破天荒なオーストラリア遠征を敢行したことが契機,)、鈴木秀丸(法大)、FB、寺村誠一(東大OB)、小船伊助(
早大
) カナダ遠征1963 昭和38年(,)、FB:山本巌(リコー)、植山信幸(
早大
) NZ遠征1974 昭和49年(1974)4月25日~5,OB)、赤間英夫(トヨタ)、石塚武生(
早大
)、山下治(
早大
)、小林一郎(釜石) HB:☆今里良三(近鉄,(近鉄)、南川洋一郎(
早大
)、森重隆(釜石)、藤原優(
早大
)、FB:植山信幸(横河)、田中伸典(トヨタ
年代史・観戦記・その他資料
(国際交流の歩み)
次いで昭和2年(1927)7月から9月にかけて、
早稲田大学
が豪州遠征を敢行した。,この時代は慶大、
早大
、同大、京大、立大、関西大、東大など大学チームが満州、上海、朝鮮などを訪れているが,明大OB]はうまいなあ、ワンバウンドのパスでも取っちゃうんだよね」「斎藤[尞、明大OB]や橋本[晋一、
早大
,私は全
早大
、日本学生代表、日本代表の2試合に出場、多くの経験と生涯の友を得た。 ,私は緒戦の関東・関西連合チーム、第4戦の全
早大
と最終戦の日本代表に出場する栄誉に浴した。
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