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日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム

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年代史・観戦記・その他資料 (決勝記録一覧)

○慶応大学 17−0 ●同志社大学 花園ラグビー場 望月信次 第5回 昭和7年(1932)1.7 ○明治大学,花園ラグビー場 松見平八郎 第9回 昭和10年(1935)11.17 ○明治大学 29−0 ●同志社大学,43−3 ●同志社大学 花園ラグビー場 長沖彰 第13回 昭和15年(1940)1.7 ○明治大学,51−3 ●京都大学 神宮競技場 目良篤 第14回 昭和15年(1940)11.3 ○明治大学 58−,33−0 ●同志社大学 秩父宮ラグビー場 石井太郎 昭和30年(1955)1.2 ○明治大学 21−
年代史・観戦記・その他資料 (日本選手権大会の歩み)

第2回大会は同志社大学が近畿日本鉄道を17−6で破り、第3回大会では八幡製鉄が25−6で明治大学に勝ちそれぞれ,第13回大会までは、早稲田大学が3回、同志社大学、日本体育大学、明治大学が各1回優勝し、近鉄3回、リコー,引き分け優勝1を含む) 11 同志社大学 2回 11 リコー 2回 13 日本体育大学 1回 13 明治大学,早稲田大学 国立競技場 八木宏器 第28回 平成3年(1991)1.15 ○神戸製鋼 38−15 ●明治大学,●法政大学 国立競技場 斉藤直樹 第31回 平成6年(1994)1.15 ○神戸製鋼 33−19 ●明治大学
年代史・観戦記・その他資料 (大学選手権の歩み)

連勝を続ける松元秀雄監督、宿沢広朗主将の早大を、長い不振から立ち直った北島忠治監督、高田司主将の明大が,第34回大会、春口廣監督、箕内拓郎主将の関東学大が、常勝明大の3連覇を阻んで初優勝を遂げた試合、第39,大学選手権大会(60回) 優勝チームおよび優勝回数 1 早稲田大学 16回 (引き分け優勝1を含む) 2 明治大学
年代史・観戦記・その他資料 (平成30年(2018)1月7日 平成29年(2017)度 第54回大学選手権決勝)

平成29年(2017)度 第54回大学選手権決勝 写真 機関誌 秩父宮 ○帝京大 21-20 明治大,● 帝京大、明治大の猛攻を強靭な精神力と巧みな試合運びで凌ぎ、九連覇達成 平成29年(2017)度, 第54回大学選手権決勝 2018年1月7日 G:秩父宮 R:麻生 彰久  帝京大 21 - 20 明治大,、岡本慎太郎(③京都成章)①、浅岡俊亮(③京都成章)③ 【明】武井日向(②国学院栃木)②、坂和樹(②明大中野八王子,明治大学の気迫満点の攻守に立ち上がりから劣勢を強いられ、前半を10点ビハインドで折り返す。
年代史・観戦記・その他資料 (大正11年(1922)度)

1922)度 English Español 24シーズン目 第1回早慶戦の実施  明治,明治大学ラグビー部創部  同年春、創設者能美一男が中心となり、柔道仲間の島崎軍二、大里弼二郎、鎌田久眞男,このとき、大町主将から手渡されたボールを能美が力いっぱい蹴ったのが、明治大学ラグビー部誕生のファースト・キック,でもあった(『明大ラグビー史』P1より抜粋)。,私の推測だが、それ以前は慶應のクラーク先生から教えられた『ラグビー式フットボール』(明治42年、慶応義塾蹴球部
年代史・観戦記・その他資料 (九州朝日招待試合史)

対戦チーム 試合数 勝 分 敗 勝率 日本学生代表 14 10 0 4 71.4 明治大学 13 6,○早稲田大 24−3 ●九州代表 平和台競技場 平山新一 第2回 昭和27年(1952)1.15 ○明治大,○早稲田大 16−3 ●九州代表 平和台競技場 平山新一 第5回 昭和30年(1955)1.15 ○明治大,6−30 ○九州代表 平和台競技場 高武昭夫 第13回 昭和38年(1963)1.15 ○明治大 20,14−13 ●九州代表 平和台競技場 吉丸秀利 第42回 平成4年(1992)3.8 ○明治大 34
年代史・観戦記・その他資料 (令和2年(2020)度)

は天理大が初優勝 第57回大学選手権は、関西大学Aリーグ1位の天理大学が準決勝で関東大学対抗戦1位の明治大学,/対抗戦は明大、リーグ戦は東海大が優勝 第91回関東大学対抗戦は箸本主将率いる明大が6勝1敗で連覇を達成
日本ラグビーフットボール史 (《実業団と軍隊ラグビー》)

また明治大学ラグビー史には明治と関東の実業団チームとの対戦を記録した記述はまったくないが、1933(昭和,競技場は和泉とあるから明治大学のグラウンドだろう。,明治では北島忠治監督が1年先輩にあたるところから、全明治との対戦が実現したのだろう。    ,試合記録としては、日本ラグビー史が歩一(第1師団歩兵第1聯隊)について「大正13年1月13日に綱町で新進の明大,それは「機関学校のコーチが1942(昭和17)年にそれまでの京大OBから明治大学の北島忠治監督に交替した
日本ラグビーフットボール史 (《はじめに》)

明治、大正から昭和シングル世代にかけてのラガーマンにとっては、あのダークブルーの勇姿に接するだけで、感極,なお、全香港と対戦した全関東は主将和田政雄(明大OB)はじめOB8人、関西九州連合にいたっては主将阪口正二,〔戦後の来日第1号となった全香港の成績〕 ①●明治大学   0-14 全香港○ ②△全関東   
年代史・観戦記・その他資料 (3 YC&ACセブンズ)

)、東芝府中 3回 三洋電機(前東京三洋)、リコー、YCAC 2回 日野自動車(前日野ディーゼル)、明治大学,-12 ●くるみクラブ ○早大 24-10 ●YCAC 第18回 昭和51年(1976)4.11 ○明大,-18 ●朝日生命 第19回 昭和52年(1977)4.3 ○警視庁 16-6 ●エーコンクラブ ○明大,32-27 ●エーコンクラブ 第24回 昭和57年(1982)4.11 ○明大 30-10 ●法大,早大 ○リコー 28-10 ●日大 第27回 昭和60年(1985)4.7 ○東京三洋 34-12 ●明大
年代史・観戦記・その他資料 (国際交流の歩み)

国際交流の歩み 明治32年(1899)度慶応義塾にラグビーが始まって以来、慶応はクラーク先生の手ほどきを,受け、明治34年(1901)度に横浜のYCACに初試合を挑んだ。,明治、大正の時代は慶応がYCACとKRACを良い目標としてきた。,同年9月に同志社大学が大連、旅順への満州遠征、12月に明治大学が上海遠征と続く。,「SOの和田[政雄、明大OB]はうまいなあ、ワンバウンドのパスでも取っちゃうんだよね」「斎藤[尞、明大
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