機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 813件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 17ページ
日本ラグビーフットボール史
(《日本とカナダの国際交流がはじまる》)
《日本と
カ
ナ
ダ
の国際交流がはじまる》 【日本代表が初めて
カ
ナ
ダ
遠征へ】 バンクーバーで記念の写真を,
な
か
でも遠征地
カ
ナ
ダ
で日本チームに寄せられた賛辞の数々は予想外
だ
ったという。,
カ
ナ
ダ
遠征の全貌を伝える貴重
な
史料といえる
だ
ろう。,日本代表の
カ
ナ
ダ
遠征が実現した裏には初代の駐
カ
ナ
ダ
日本公使徳川家正の存在
な
くしては語れ
な
い。,前年度の
カ
ナ
ダ
遠征時はセブンFW
だ
った日本代表が、今回はエイトFWで
カ
ナ
ダ
代表を迎え撃つという。 / 《日本と
カ
ナ
ダ
の国際交流がはじまる》
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.1 カナダ遠征1930第6戦)
△日本代表 3-3
カ
ナ
ダ
BC州代表△ 日本初のテストマッチは引き分け No.6★1 第1回
カ
ナ
ダ
,遠征メンバーの岩下秀三郎が『協会50年史・別冊』P128-129に「画期的
な
カ
ナ
ダ
遠征」と題して寄稿した,これ
だ
けの観衆は当時の
カ
ナ
ダ
では珍しいこと
だ
といわれる[前記香山氏の著書P418に『既にスタンドは立錐,
カ
ナ
ダ
は前回[この遠征での5試合]何れの試合も苦杯を
な
めている。,後半、一進一退するうち15分
カ
ナ
ダ
は味方TBのパント
か
らライトよく受けて突進。 / テストNo.1
カ
ナ
ダ
遠征1930第6戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.3 カナダ代表第1回来日第7戦)
神宮競技場 ○日本代表 38-5
カ
ナ
ダ
代表● 疲労の
カ
ナ
ダ
に大勝 No.11★3
カ
ナ
ダ
代表第,
な
ぜ
な
らば一昨年の遠征地は
カ
ナ
ダ
・ブリティッシュコロンビア州であり、全
カ
ナ
ダ
チームは西部、中部、東部の,
カ
ナ
ダ
全土
か
ら選出されたチーム
だ
か
ら
だ
」と香山蕃が当時の日刊紙[不詳]に記述している。,日本協会もこのチームを全
カ
ナ
ダ
と記録しているが、ま
だ
BC州が中心である。,「歴戦のため
か
カ
ナ
ダ
軍は疲労してFWが不活発
だ
った。 / テストNo.3
カ
ナ
ダ
代表第1回来日第7戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.89 アメリカ・カナダ遠征1986第8戦)
テストNo.89 アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1986第8戦 English 写真 機関誌 昭和61年(1986,)6月7日 スワンガード ○日本代表 26-21
カ
ナ
ダ
代表● 有終の逆転勝ち No.244★89, アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1986第8戦 1986年6月7日 G:スワンガード R:ニクソン(米) KO,マーク・ワイアット 得点:T小西2、松尾勝博、大貫、朽木、G平尾3 北米遠征の最終戦、日本は
カ
ナ
ダ
,最終戦でも5点差を追い
か
けられ、残り10分は
カ
ナ
ダ
の猛攻にさらされたが、DFに集中できてしのぎ切れた。 / テストNo.89 アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1986第8戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.2 カナダ代表第1回来日第4戦)
テストNo.2
カ
ナ
ダ
代表第1回来日第4戦 English 写真 昭和7年(1932)1月31日 ,花園ラグビー場 ○日本代表 9-8
カ
ナ
ダ
代表● 遠征の決着をつける No.10★2
カ
ナ
ダ
代表第,
カ
ナ
ダ
が敗れた2試合はいずれも日本代表との試合であった。,「
カ
ナ
ダ
と対戦して2勝した第1次、第2次の全日本チームの健闘は見事
だ
った。,8対6加奈陀[
カ
ナ
ダ
]リードの儘、タイムアップ
か
と思われた最後の5分間に北野が劇的
な
1トライをあげ、9 / テストNo.2
カ
ナ
ダ
代表第1回来日第4戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.22 カナダ遠征1963第4戦)
テストNo.22
カ
ナ
ダ
遠征1963第4戦 English 機関誌 昭和38年(1963)4月13,日 ブロクトン・ポイント ○日本代表 33-6
カ
ナ
ダ
BC州代表● テスト15連敗(2引き分け含む,)を免れる No.38★22
カ
ナ
ダ
遠征1963第4戦 1963年4月13日 G:バンクーバー R:,D.マッケンジー KO 14:30 日本代表 33 − 6
カ
ナ
ダ
BC州代表 1 川崎 和夫(立大),の事情で遅れ、昭和38年4月に、日本協会は戦後初めて日本代表を
カ
ナ
ダ
に遠征させた。 / テストNo.22
カ
ナ
ダ
遠征1963第4戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.110 アメリカ・カナダ遠征1991第5戦)
テストNo.110 アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1991第5戦 English 写真 機関誌 平成3年(1991,)5月11日 サン
ダ
ーバード ●日本代表 26-49
カ
ナ
ダ
代表○ 遠征最終戦を飾れず No.295,★110 アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1991第5戦 1991年5月11日 G:サン
ダ
ーバード R:D.レオ
ダ
ン,日本にすればバテずに走り回り、
カ
ナ
ダ
をあのスコットランド戦のように疲れさせたいところ
だ
った。,し
か
し、FLの選手をLOに入れ、FWに機動力を持たせた
カ
ナ
ダ
は、すぐ反撃して3トライ、3Gを奪い18− / テストNo.110 アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1991第5戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.51 カナダ遠征1976第4戦)
テストNo.51
カ
ナ
ダ
遠征1976第4戦 English 写真 機関誌 昭和51年(1976)5,月12日 スワンガード ●日本代表 7-38
カ
ナ
ダ
BC州代表○ 監督も選手も未熟で
カ
ナ
ダ
に惨敗,No.135★51
カ
ナ
ダ
遠征1976第4戦 1976年5月12日 G:バンクーバー R:D.ブロキントン, KO 18:30 日本代表 7 − 38
カ
ナ
ダ
BC州代表 C1 高田 司(トヨタ) 3 前 16,南川洋一郎(早大)⑬ 得点:T氏野、PG松尾 ジャパンの再建を託されて監督に就任した私は、意欲満々で
カ
ナ
ダ
/ テストNo.51
カ
ナ
ダ
遠征1976第4戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.326 テストマッチ カナダ代表戦)
代表● No.565★326
カ
ナ
ダ
遠征2016
カ
ナ
ダ
代表戦 2016年6月11日 G:バンクーバー,立ち上がり、いつものようにフィジ
カ
ルを前面に出してきた
カ
ナ
ダ
に対して、粘り
な
く前進を許して2トライを献上,前へ出て、
カ
ナ
ダ
の反則を誘ったもの。,が敵陣深くまで攻め込ん
だ
ラックでの危険
な
プレーによって退場処分と
な
る(レッド
カ
ード)。,さすがに14人に
な
った直後は
カ
ナ
ダ
にボールをキープされる時間が多く
な
ったが、、連続してPGを外した相手 / テストNo.326 テストマッチ
カ
ナ
ダ
代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.72 カナダ代表第4回来日第6戦)
テストNo.72
カ
ナ
ダ
代表第4回来日第6戦 English 写真 機関誌 昭和57年(1982),4月18日 秩父宮ラグビー場 ○日本代表 16-6
カ
ナ
ダ
代表● 堅い守りで
カ
ナ
ダ
をノートライ,「日本代表が完ぺき
な
ラグビーで対
カ
ナ
ダ
テストマッチ(代表同士の試合)連勝を飾った。,パワーで押してくる
カ
ナ
ダ
に対し、日本は全員が足元目がけての素晴らしいタックルで応酬。,国際舞台での飛躍を目標に一月
か
ら生まれ変わった“日比野・全日本”
カ
ナ
ダ
戦連勝の勢いにのって、二十四日、 / テストNo.72
カ
ナ
ダ
代表第4回来日第6戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.108 アメリカ・カナダ遠征1991第1戦)
テストNo.108 アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1991第1戦 English 写真 機関誌 平成3年(1991,★108 アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1991第1戦 1991年4月27日 G:ミネアポリス R:L.ビアード,チームを磨き上げる場にアメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征を選ん
だ
。,「前半をあえて風下に陣取り、9点差をつけられ
な
がらも、じっと日本の出方をう
か
がっていたアメリ
カ
が、後半,2PG、松尾の48メートルDGで9点を上げたが、ラインアウトを筆頭にFWが力負けし、思ったより攻められ
な
か
った / テストNo.108 アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1991第1戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.88 アメリカ・カナダ遠征1986第6戦)
テストNo.88 アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1986第6戦 English 写真 機関誌 昭和61年(1986,日本 一度は逆転もドロー No.242★88 アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1986第6戦 1986年5月31,今遠征最大、5千観衆が真っ二つに分
か
れ、日本語と英語の声援が飛び
か
う
な
か
、ショートパントを上げた大貫が,、まっしぐらに突っ走ったゴールライン右隅わず
か
な
ところで、つぶされた瞬間、フィッツジェラルド主審のノーサイド,190cm、100kg台の巨漢の突進を日本は、ひたすらタックルで食い止め、ついにゴールラインを割らせ
な
か
った / テストNo.88 アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1986第6戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.109 アメリカ・カナダ遠征1991第3戦)
テストNo.109 アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1991第3戦 English 写真 機関誌 平成3年(1991,★109 アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1991第3戦 1991年5月4日 G:シ
カ
ゴ R:モリソン(C) KO,PG 3 6 トニー・リドネル 7 中島 修二(日本電気) 0 DG 0 7 ロブ・フェアリー 8 シ
ナ
リ・ラトゥ,のデジョンのハイパント
か
ら1トライを奪われ、
な
か
な
か
リズムに乗れ
な
い。,アメリ
カ
は、後半に入ってもFWの勢いが衰えず、ラインアウト
か
ら直接2トライを奪う
な
ど、日本にラグビーをやらせ
な
い / テストNo.109 アメリ
カ
・
カ
ナ
ダ
遠征1991第3戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.18 カナダBC州代表第2回来日第6戦)
テストNo.18
カ
ナ
ダ
BC州代表第2回来日第6戦 English 写真 新聞記事 機関誌 昭和34,年(1959)3月15日 花園ラグビー場 ●日本代表 17-21
カ
ナ
ダ
BC州代表○ 日本代表追撃及,日本では全
カ
ナ
ダ
と紹介、記録されたが、私の手元にBCユニオンの来日パンフレットがあるので、本書では
カ
ナ
ダ
,33分
カ
ナ
ダ
はハントがトライ、バージェスがゴールして6−10と再逆転。,
カ
ナ
ダ
はピアーソンがトライ、25分に再度ハウエル、ハントの見事
な
クロスパス
か
らガー
ダ
リンがトライ(ゴール / テストNo.18
カ
ナ
ダ
BC州代表第2回来日第6戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.19 カナダBC州代表第2回来日第7戦)
テストNo.19
カ
ナ
ダ
BC州代表第2回来日第7戦 English 写真 新聞記事 機関誌 昭和34,年(1959)3月22日 秩父宮ラグビー場 △日本代表 11-11
カ
ナ
ダ
BC州代表△ 第2テスト,日本では全
カ
ナ
ダ
と紹介、記録されたが、私の手元にBCユニオンの来日パンフレットがあるので、本書では
カ
ナ
ダ
,33分
カ
ナ
ダ
はハントがトライ、バージェスがゴールして6−10と再逆転。,
カ
ナ
ダ
はピアーソンがトライ、25分に再度ハウエル、ハントの見事
な
クロスパス
か
らガー
ダ
リンがトライ(ゴール / テストNo.19
カ
ナ
ダ
BC州代表第2回来日第7戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.291 パシフィック・ネーションズカップ 第3戦 カナダ代表戦)
テストNo.291 パシフィック・ネーションズ
カ
ップ 第3戦
カ
ナ
ダ
代表戦 English 写真 機関誌,13
カ
ナ
ダ
代表● No.529★291 第8回IRBパシフィック・ネーションズ
カ
ップ 第3戦
カ
ナ
ダ
,ブレイク
ダ
ウンでは
な
か
な
か
難し
か
ったが、重要
な
のは成長を続けて行くこと」試合後の記者会見で「今日の勝利,全員が自分の仕事をした
か
らこそ、この試合に勝利すればPNCチャンピオンに
な
れた
カ
ナ
ダ
に、勝つことができた,もちろん、
カ
ナ
ダ
に許した唯一のトライの原因と
な
ったキックオフ
な
ど、「ま
だ
課題は山積み」(同HC)であることも / テストNo.291 パシフィック・ネーションズ
カ
ップ 第3戦
カ
ナ
ダ
代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.311 パシフィック・ネーションズカップ 第1戦 カナダ代表戦)
テストNo.311 パシフィック・ネーションズ
カ
ップ 第1戦
カ
ナ
ダ
代表戦 English 写真 機関誌,20-6
カ
ナ
ダ
代表● No.549★311 第16回WRパシフィック・ネーションズ
カ
ップ 第1戦,
カ
ナ
ダ
代表戦 2015年7月18日 G:アメリ
カ
・サンノゼ R:ルーク・ピアース(ENG) 日本代表,立ち上がり、両WTBが
カ
ナ
ダ
ゴールに迫ったシーンに象徴されるように、ボールをテンポ良く動
か
すアタックに,
カ
ナ
ダ
CTB陣の間にできた隙間に切れ込んで大きくゲイン。 / テストNo.311 パシフィック・ネーションズ
カ
ップ 第1戦
カ
ナ
ダ
代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.302 パシフィック・ネーションズカップ 第1戦 カナダ代表戦)
テストNo.302 パシフィック・ネーションズ
カ
ップ 第1戦
カ
ナ
ダ
代表戦 English 写真 機関誌,25
カ
ナ
ダ
代表● No.540★302 第9回IRBパシフィック・ネーションズ
カ
ップ 第1戦
カ
ナ
ダ
,14分には、日本がプレッシャーを
か
けられるように
な
ったスクラムで、注文通りに
カ
ナ
ダ
の反則を誘い、FB五郎丸,21分のCTB田村優のトライは、既に日本のペースについてこられ
な
く
な
っていた
カ
ナ
ダ
に対して、テンポの良,田中史朗、SO立川理道へのフラット
な
パス
か
ら途中出場のヘンドリック・ツイがタテに
カ
ナ
ダ
の防御を切り裂いて / テストNo.302 パシフィック・ネーションズ
カ
ップ 第1戦
カ
ナ
ダ
代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.31 3国対抗(NZU・カナダBC・日本)第1戦)
年(1970)3月22日 秩父宮ラグビー場 ○日本代表 32-3
カ
ナ
ダ
BC州代表● 3国対抗、
カ
ナ
ダ
,に快勝 No.70★31 3国対抗(NZU・
カ
ナ
ダ
BC.,翌月、早大の監督に就任し、本格的にコーチへの道を歩み
だ
すことに
な
るとは思ってもみ
な
か
った私が、改めて『,37分
カ
ナ
ダ
のミスキックを坂田が取り、一気に走り抜ける
な
ど日本は動きの鈍い
カ
ナ
ダ
を完全にゆさぶった。,低い姿勢で突っ込む日本FWに
カ
ナ
ダ
の大型FWも下
か
ら突き上げられて
な
すすべも
な
く後退し、バックスの足や / テストNo.31 3国対抗(NZU・
カ
ナ
ダ
BC・日本)第1戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.273 第7回RWC2011 NZ大会 第4戦 カナダ代表戦)
テストNo.273 第7回RWC2011 NZ大会 第4戦
カ
ナ
ダ
代表戦 English 写真 機関誌,-23
カ
ナ
ダ
代表△ No.511★273 第7回RWC2011 NZ大会 第4戦
カ
ナ
ダ
代表戦 2011,年9月27日 G:ネーピア R:ジョ
ナ
サン・
カ
プラン(SA) 日本代表 23 - 23
カ
ナ
ダ
代表 1,
カ
ナ
ダ
はトンガに勝っているため、ここで勝てば決勝トー
ナ
メントに可能性を残す大切
な
一戦。,し
か
し、この8点差が選手の心理に影響したの
か
、日本の動きは固く
な
り、
カ
ナ
ダ
の猛攻を受ける。 / テストNo.273 第7回RWC2011 NZ大会 第4戦
カ
ナ
ダ
代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.71 カナダ代表第4回来日(BC代表を含む)第4戦)
テストNo.71
カ
ナ
ダ
代表第4回来日(BC代表を含む)第4戦 English 写真 機関誌 昭和,57年(1982)4月11日 花園ラグビー場 ○日本代表 24-18
カ
ナ
ダ
代表● 予言どおり快勝,場 R:D.バーネット(I) KO 14:00 日本代表 24 − 18
カ
ナ
ダ
代表 1 石山 次郎(,「開始1分、いき
な
り
カ
ナ
ダ
に左オープンプレー
か
らトライを奪われ
な
がら4分、9分と本城の2PGで同点。,予想は終了間際に
カ
ナ
ダ
にトライを返され24−18に狂ったとはいえ、表情はくずれっぱ
な
し
だ
。 / テストNo.71
カ
ナ
ダ
代表第4回来日(BC代表を含む)第4戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.32 3国対抗(NZU・カナダBC・日本)第3戦)
テストNo.32 3国対抗(NZU・
カ
ナ
ダ
BC・日本)第3戦 English 写真 機関誌 昭和45,日本代表 14-46 NZ大学選抜○ 3国対抗、NZUに完敗 No.71★32 3国対抗(NZU・
カ
ナ
ダ
,萬谷 勝治(トヨタ) 15 エバン・テイラー 交代【日】石山貴志夫(朝日新聞)⑫ 【NZ】ピーター・
ダ
ン
カ
ン,③、ホワード・ジョセフ⑫ 得点:T山口、伊藤、G山口、PG山口2 第1戦の
カ
ナ
ダ
に快勝した日本もNZU,
カ
ナ
ダ
に比べてNZUのプレーは強靭さ、正確さ、集散の速さで優る。 / テストNo.32 3国対抗(NZU・
カ
ナ
ダ
BC・日本)第3戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.250 リポビタンDチャレンジ2009 カナダ代表第5回来日第1戦)
テストNo.250 リポビタンDチャレンジ2009
カ
ナ
ダ
代表第5回来日第1戦 English 写真,日本代表、
カ
ナ
ダ
に完勝 No.487★250 リポビタンDチャレンジ2009
カ
ナ
ダ
代表第5回来日第,前半
か
ら日本は鋭い攻撃を見せて
カ
ナ
ダ
陣で試合を組み立てる。10分モールを押し込んでリーチがトライ。,39分に
カ
ナ
ダ
ボールのスクラムを押してターンオーバー、菊谷がトライ。,
カ
ナ
ダ
を1T、1PGの8点に抑えて完勝した。 / テストNo.250 リポビタンDチャレンジ2009
カ
ナ
ダ
代表第5回来日第1戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.251 リポビタンDチャレンジ2009 カナダ代表第5回来日第2戦)
テストNo.251 リポビタンDチャレンジ2009
カ
ナ
ダ
代表第5回来日第2戦 English 写真, 機関誌 平成21年(2009)11月21日 秩父宮ラグビー場 ○日本代表 27-6
カ
ナ
ダ
代表●,ノートライに封じてテスト連勝 No.488★251 リポビタンDチャレンジ2009
カ
ナ
ダ
代表第,今回来日した
カ
ナ
ダ
はNZのクローリー監督のもとでRWCに向けて強化に余念が
な
く、
な
か
な
か
の好チーム
だ
。,日本は
カ
ナ
ダ
と入れ替わって世界ランキング12位と
な
り、シーズンの目標を達成した。 / テストNo.251 リポビタンDチャレンジ2009
カ
ナ
ダ
代表第5回来日第2戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.357 ラグビーワールドカップ2019 決勝トーナメント 準々決勝 南アフリカ代表戦)
これまでの相手であれば、このままインゴールへ飛び込む
か
、フォローの松島へパスが渡りトライと
な
ったはず
な
の
だ
が,作戦
だ
ったの
か
もしれ
な
い。 ,日本は前回大会で、「決勝トー
ナ
メントに進むためには、勝つ
だ
けでは
だ
めで、勝ち点の確実
な
獲得が重要である,と学ん
だ
の
だ
が、今大会では、「決勝トー
ナ
メントを勝ち進むための、予選プールの戦い方と、強豪国の勝負所での,シャイ
な
日本人がスタジアムで見せた一体感のある声援、拍手は世界の人々
か
ら絶賛される本当に素晴らしいもの
だ
った / テストNo.357 ラグビーワールド
カ
ップ2019 決勝トー
ナ
メント 準々決勝 南アフリ
カ
代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.205 第3回スーパーパワーズ選手権(4ヵ国トーナメント)決勝)
平成17年(2005)5月29日 秩父宮ラグビー場 ●日本代表 10-15
カ
ナ
ダ
代表○ 連覇逃,、G森田、DG森田 決勝は、アメリ
カ
を30−26で下した
カ
ナ
ダ
との試合に
な
った。,
カ
ナ
ダ
には勝た
な
くては
な
ら
な
いが、私は2トライに抑えた防御と、5点差の接戦を評価したい。,
カ
ナ
ダ
は大型FWのモールを軸に日本を崩そうとしたが、日本も固いディフェンスで堪えた。,萩本監督は「開いたスペースをうまく突くことができ
な
か
った」と悔やん
だ
が、早い時間帯にトライを取れ
な
か
ったことが / テストNo.205 第3回スーパーパワーズ選手権(4
ヵ
国トー
ナ
メント)決勝
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.195 第2回スーパーパワーズ選手権(4ヵ国トーナメント)決勝)
テストNo.195 第2回スーパーパワーズ選手権(4
ヵ
国トー
ナ
メント)決勝 English 写真 機関誌,平成16年(2004)5月30日 秩父宮ラグビー場 ○日本代表 34-21
カ
ナ
ダ
代表● 後半圧倒,30日 G:秩父宮ラグビー場 R:アル・クレンプ(米) KO 14:05 日本代表 34 − 21
カ
ナ
ダ
,はラグビー4
ヵ
国対抗(日本、
カ
ナ
ダ
、アメリ
カ
、ロシア)、スーパーパワーズ選手権決勝で
カ
ナ
ダ
を破り見事優勝,日本は箕内、大東のトライで計4トライをあげ、
カ
ナ
ダ
のトライを前半の2トライに抑えて優勝した。 / テストNo.195 第2回スーパーパワーズ選手権(4
ヵ
国トー
ナ
メント)決勝
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.173 第6回パシフィック・リム選手権(4ヵ国トーナメント)1回戦)
PG栗原 第6回パシフィック・リム選手権は日本、サモア(南太平洋地域1位)、フィジー(同2位)、
カ
ナ
ダ
,(北米地域1位)の4
ヵ
国によるトー
ナ
メントで行われた。,日本はサモアに8−47で完敗し、フィジーは
カ
ナ
ダ
を52−23で下した。 ,NZオールブラックスに似た強靭
な
鋼の塊のよう
な
サモアはアルゼンチン、フィジー、アメリ
カ
、
カ
ナ
ダ
ら世界第,現状
か
ら20%パワーアップして初めて互角の試合ができるように
な
る
だ
ろう。 / テストNo.173 第6回パシフィック・リム選手権(4
ヵ
国トー
ナ
メント)1回戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.204 第3回スーパーパワーズ選手権(4ヵ国トーナメント)1回戦)
テストNo.204 第3回スーパーパワーズ選手権(4
ヵ
国トー
ナ
メント)1回戦 English 写真 ,バラン③ 得点:T大畑2、G森田2、PG森田2、DG森田 2005年のスーパーパワーズ選手権は、日本、
カ
ナ
ダ
,、アメリ
カ
、ルーマニアの4
ヵ
国トー
ナ
メントで行われた。,国立競技場は久しぶりにファンの歓声がこ
だ
ました。,スペースを探してボールをつ
な
ぐ、フランス流コーチングが実を結ん
だ
トライともいえた。 / テストNo.204 第3回スーパーパワーズ選手権(4
ヵ
国トー
ナ
メント)1回戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.298 アジア五カ国対抗 第2戦 スリランカ代表戦)
9 G 0 5 ディネッシュ・サンジーバ 6 ヘンドリック・ツイ(サントリー) 0 PG 0 6 ス
ダ
ーシャ
ナ
・ムトゥタントゥリ,11 山田 章仁(パ
ナ
ソニック) 0 PG 1 11 チャマラ・
ダ
ーブレ 12 林 泰基(パ
ナ
ソニック,) 0 DG 0 12 ファジル・マリジャ 13 村田 大志(サントリー) 13
ダ
ヌシュ
カ
・ランジン,)⑨、松島幸太朗(サントリー)⑪ 【ス】ドゥシェマンタ・ブリヤ
ダ
ルシャ
ナ
③、アショ
カ
・ジャヤラル②、シェハン・パティレ
ナ
,⑦、シャシ
カ
・ジャヤバル
ダ
ナ
⑤、ロシャン・ビールラッド
ナ
⑨、ディミトリ・シハン①、ディヌーシャ・チャトランガ / テストNo.298 アジア五
カ
国対抗 第2戦 スリラン
カ
代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(ラグビーワールドカップ史)
IRBの会議に出席していた南アの
ダ
ニー・クレイブン会長も「まったく知ら
な
か
った」と驚きを隠さ
な
か
った。,2大会連続決勝の笛を吹く偉業は
な
か
な
か
破られ
な
い
だ
ろうが、自国がファイ
ナ
リストに
な
れ
な
いことと引き換えの,箕内の2大会連続主将も
な
か
な
か
破られ
な
い記録に
な
る
だ
ろう。,ジャパンはオールブラックスと同じプールAに入ってフランス、NZ、トンガ、
カ
ナ
ダ
の順に戦ったが、
カ
ナ
ダ
と,をガッチリと受け止め微動
だ
にし
な
か
った。 / ラグビーワールド
カ
ップ史
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.264 アジア五カ国対抗 第4戦 スリランカ代表戦)
3 ランジェンドラニシャルミーベギ 4 大野 均(東芝) 5 T 1 4 セー
ナ
カ
・バン
ダ
ーラ 5,)③、田邉淳(パ
ナ
ソニック)⑮、ジャスティン・アイブス(パ
ナ
ソニック)④、上田泰平(ホン
ダ
)⑫、上野隆太,スリラン
カ
陣22m付近まで攻め込ん
だ
日本が今季取り入れたフラット
な
ライン攻撃に移行したところで、SOショーン・ウェブ,「安易
な
飛ばしパスが多いので、気が利くWTB
だ
ったら絶対狙われる」(代表60キャップのWTB小野澤宏時,日本がスリラン
カ
にアップセットを食らう可能性はほぼゼロ
だ
が、それでもスリラン
カ
・リードの時間帯は意外
な
ほど / テストNo.264 アジア五
カ
国対抗 第4戦 スリラン
カ
代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.274 アジア五カ国対抗2012 第1戦 カザフスタン代表戦)
1年前の
カ
ザフスタン戦でプレーした選手は3人し
か
い
な
い。,最終的に13トライを重ねたジャパン
だ
が、この1トライ
か
ら2トライまでの間隔がトライの
な
い時間帯としては,この
カ
ザフスタン戦が初戦ということを考えても、ま
だ
ま
だ
チグハグ
な
面があるのは当然のこと
だ
ろう。 ,それでも、試合後、ジョーンズHCが「ブレイク
ダ
ウンのところも後半は
だ
いぶよく
な
った」と認めていたとおり,進化させていける感触をつ
か
ん
だ
か
らこそ、試合後メンバーにもコーチングスタッフにもポジティブ
な
安堵感が広 / テストNo.274 アジア五
カ
国対抗2012 第1戦
カ
ザフスタン代表戦
日本ラグビーフットボール史
(Ⅲ 大学選手権に青春をかけて)
名将清宮が去った早稲田
だ
が、それ
だ
けに今季の動向が注目されるのはいうまでも
な
い。 ,それ
だ
けに
か
つては互角
だ
った社会人と大学の実力も新日鉄釜石の登場とともに、じりじりと両者の間に格差が生,じていったのも否定はでき
な
いが、ここで前述の社会人ラグビーの項を思い
だ
していた
だ
きたい。,ま
だ
ある。1980年代後半
か
ら90年代に
か
けての日本代表メンバーに占める彼らの存在。,レベルという単位
だ
けでは測れ
な
い、当時の同志社は類い稀
な
素材の集団
だ
った。 / Ⅲ 大学選手権に青春を
か
けて
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.318 第8回ワールドカップ 第1戦 南アフリカ代表戦)
1 三上 正貴(東芝) 10 前 12 1 テン
ダ
イ・ムタワリラ 2 堀江 翔太(パ
ナ
ソニック) 24,この日の日本はこの
ダ
ブルタックルを何度も決め、パワフル
な
選手が揃う南ア
か
らボールを奪った。 ,し
か
も、日本の戦いは堂々たるもの
だ
った。,南アフリ
カ
と引き分ける
だ
けでも歴史的
な
こと
な
の
だ
。,ヘスケスはボールを大切に抱え、南アWTBピーターセンのタックルを受け
な
がら左コー
ナ
ーぎりぎりに滑り込ん
だ
/ テストNo.318 第8回ワールド
カ
ップ 第1戦 南アフリ
カ
代表戦
日本ラグビーフットボール史
(Ⅱ 社会人大会からトップリーグへ)
この訴えを聞いてく
だ
さったのがど
な
た
だ
った
か
全く覚えてい
な
いがそれ
か
ら間も
な
く第9回大会
か
ら朝日新聞社,…10年前までは、ほとんど見
か
け
な
か
った光景
だ
。大会4日間を通じ、観客は延べ2万8千人。,とに
か
く融通が利
か
な
いくらい潔癖で純粋
だ
った。 ,伝統と文化』とプロフェショ
ナ
リズムを、い
か
に両立させる
か
だ
そう
だ
」と
な
る。,が参加する日本選手権ということに
な
るの
だ
ろうが、多分に多面性を内臓する21世紀のラグビー界はま
だ
始まったば
か
り / Ⅱ 社会人大会
か
らトップリーグへ
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.262 アジア五カ国対抗 第2戦 カザフスタン代表戦)
ドウルト・アキュンベコフ 11 上田 泰平(ホン
ダ
) 0 PG 0 11 パヴェル・スティヒン 12,(パ
ナ
ソニック)⑤、ジェームス・アレジ(ノッティンガム)⑫ 【
カ
】アントン・グンビン⑤、ロマン・ソロコデュバ,⑧、ドゥミトリー・トゥ
カ
チェンコ③、ウラディミル・シジコフ②、ドゥミトリー・トローニン⑨、
ダ
スタン・スレイメノフ,その後も木津選手のモール
か
らのトライ
な
ど4トライをあげ、合計9トライで
カ
ザフスタン代表を突き放し、無得点,し
か
し
な
がら結果以上に、代表メンバーが一丸と
な
って、勇気を持って、80分間戦い続けた試合
だ
ったと思います / テストNo.262 アジア五
カ
国対抗 第2戦
カ
ザフスタン代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.303 パシフィック・ネーションズカップ 第2戦 アメリカ代表戦)
テストマッチも珍しい
か
もしれ
な
い。,極論すれば、た
だ
た
だ
スクラムで圧倒し続けたことで勝利をつ
な
ぎ留めておくことに成功したのが、この日のジャパン,前半の時点でアメリ
カ
のスクラムは「こっちがまとまりさえすれば、組ん
だ
ら怖く
な
い」(HO堀江翔太副将)という,14分にも、敵陣ゴール前右のスクラムを一気に押し込んで、そのままインゴールに
な
だ
れ込ん
だ
。,られ
な
か
った。 / テストNo.303 パシフィック・ネーションズ
カ
ップ 第2戦 アメリ
カ
代表戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.194 第2回スーパーパワーズ選手権(4ヵ国トーナメント)1回戦)
テストNo.194 第2回スーパーパワーズ選手権(4
ヵ
国トー
ナ
メント)1回戦 English 写真 ,コルシューノフ(ロ) 得点:T平尾、池田、G池田2、PG池田5 第2回のスーパーパワーズ選手権は日本、米国、
カ
ナ
ダ
,、ロシアの4
ヵ
国によるトー
ナ
メントで行われた。,トライ数はともに2対2
だ
ったが、日本はSHの池田が5PGを決めたことが勝因と
な
った。 ,一人目が下に入り、常に前へ出てプレッシャーを
か
けていくことを求める』と泥臭く初戦勝利を目指す決意をみ
な
ぎらせ / テストNo.194 第2回スーパーパワーズ選手権(4
ヵ
国トー
ナ
メント)1回戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.127 第3回ラグビーワールドカップ(南アフリカ)第2戦)
それは依然として基本的
な
ものが不足している
か
ら
だ
。,ゴール前のスクラムを押されて2つの認定トライを許したように、世界のトップと互角に争う
だ
けのパワーがま
だ
ついてい
な
い,タックルにしても二、三人が
か
りでやっと倒しているのが現状
だ
。,奇襲や小手先の技も時には有効
か
もしれ
な
いが、これ
か
らは正攻法でいっても全員が相手のプレッシャーに耐えられる
だ
けの,強靭
な
体力を持つことが必要
だ
と思う。 / テストNo.127 第3回ラグビーワールド
カ
ップ(南アフリ
カ
)第2戦
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.321 第8回ワールドカップ 第4戦 アメリカ代表戦)
立川 理道(クボタ) 13 シーマス・ケリー 14 藤田 慶和(早大) 8 反 7 14 タクスワ・ン
ダ
ウェニア,残念
な
がら勝ち点差で南アフリ
カ
(1位)、スコットランド(2位)に届
か
ず決勝トー
ナ
メント進出は
な
ら
な
か
ったが,、24年ぶりの勝利、初の一次リーグ3勝、そして、一次リーグで3勝をあげて決勝トー
ナ
メントに進め
な
か
った,3勝
だ
った。 ,特に南アを最後の勇敢
な
判断で逆転した試合は、世界中の人々
か
ら「勇気をもらった」という声が相次い
だ
。 / テストNo.321 第8回ワールド
カ
ップ 第4戦 アメリ
カ
代表戦
日本ラグビーフットボール史
(《アジア競技大会で7人制日本代表が悲願の金メダル達成》)
アジア競技大会へ向けてコンデイションやモチベーションを合わせていくことは容易では
な
か
った
だ
ろう。,た
だ
し、この時もワールド
カ
ップ・アジア地区予選と重
な
る年で、日本は7月に韓国を破って、4年連続の出場を,獲得したば
か
り
だ
った。 ,今回は、7人制
だ
けの大会と
な
った。佐野順監督率いる日本代表は、「Get a Gold!」,これはアジア競技会に出場した日本選手団の中で唯一、チーム競技で獲得した金メ
ダ
ルと
な
った。 / 《アジア競技大会で7人制日本代表が悲願の金メ
ダ
ル達成》
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.66 フランス・オランダ遠征1980第1戦)
もちろんオラン
ダ
も強豪であり簡単に勝てる相手では
な
いの
だ
が、この試合に限っていえばまったくもったい
な
い,オラン
ダ
は
カ
スティールがPG、日本はすぐ37分に森がトライ(及川G)。,後半はオラン
ダ
の
カ
スティールがPG、16分ミッシェルのトライ(ゴール)で12−13と1点差に迫り、23,分
カ
スティールがPGを決めて逆転した。,笑え
な
い話
だ
が、本人が言うの
だ
か
ら間違い
な
い。 / テストNo.66 フランス・オラン
ダ
遠征1980第1戦
日本ラグビーフットボール史
(《すべては同好クラブから》)
それは「慶應義塾体育会蹴球部」と呼ばれるが、では1899年秋の発祥時
か
らこの名称をもっていた
か
といえばそうでは
な
い,さきに紹介した歴史の証人、猪熊隆三も追悼文の中で「
か
くて威勢よく発足はしたものの、その後は順調とはいえ
な
か
った,部の名称にこの肩書きが付く
か
、付
か
な
い
か
で大学当局の扱い、待遇は大きく変わってくる。,それまでは2つの同好クラブ
だ
ったことを明ら
か
にしている。 ,また、安藤復蔵の記述は「ま
だ
形
だ
けのもので内部的には完全
な
ものでは
な
いので、寄宿舎に毎日の様に(氏名省略 / 《すべては同好クラブ
か
ら》
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.67 フランス・オランダ遠征1980第5戦)
これ
だ
け激しく戦っても“善戦”の域を脱し
な
い現実が悲しい。,一週間後に南アフリ
カ
遠征に旅立つ“オラがチーム”に絶大
な
信頼を寄せ、日本代表が“血しぶき”を上げてのた,
だ
が、そん
な
スタンドがフランス代表へのブーイングと、コマネズミのようによく動き、すばらしいタックルで対抗,自己の限界を超えているとし
か
思えぬプレーの数々を見せてもらった。,早くこのよう
な
プレーを身につけたい』と話した賛辞、そこには一片のおせじも
な
か
ったと思う」(サンスポ、大和国男臨時通信員 / テストNo.67 フランス・オラン
ダ
遠征1980第5戦
日本ラグビーフットボール史
(《ダークブルーの次はライトブルーのケンブリッジ大学》)
、それ
だ
けに招聘の順がオックスフォード、ケンブリッジと
な
ったことについて、当時の日本協会理事長香山蕃(,、及びもつ
か
な
い破天荒の計画といえたが、それが実現できたということは偏に朝日新聞社の理解と協力
な
くしてはありえ
な
か
ったといえる
だ
ろう,それもノーサイド寸前にオックスフォードがFEのDGで早稲田を振り切る劇的
な
幕切れ
だ
った
だ
けに、1年後の,…」と敗因を分析するとともに「ケ大は前年のオ大戦の成績
か
ら早稲田に最も重点をおいて試合に臨ん
だ
」とも記,早稲田ラグビーにとってはショッキング
な
敗戦
だ
ったといえるが、それはとも
か
くオックスブリッジ両大学がグラウンド / 《
ダ
ークブルーの次はライトブルーのケンブリッジ大学》
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.128 第3回ラグビーワールドカップ(南アフリカ)第3戦)
どう歯向
か
っても試合に
な
る相手では
な
いことは承知していた。,が、ラグビーW杯が続く限り、この記録は破られ
な
い
だ
ろうと思うと悲しい。,強化が進んでいるどころ
か
、後退したことを世界にさらけ出した日本は、十両
か
らやり直すほ
か
は
な
い。,が21本中はずしたのは1本
だ
けというほぼ完ぺき
な
ゴールキック。,日本は後半、梶原が2トライを奪うのがやっと
だ
った」(朝日、美土路昭一)。 / テストNo.128 第3回ラグビーワールド
カ
ップ(南アフリ
カ
)第3戦
日本ラグビーフットボール史
(《三高ラグビーも寄宿舎から》)
、突如として、さわや
か
な
キックの音を響
か
せたのである。,の気風を嘆き『若人の血を湧き立たせるよう
な
方法は
な
いもの
か
』とスポーツを好む同志とともに語りあっていた,京都出身あるいは在住のラガーマンの方
な
ら下鴨神社(注)境内「糺(た
だ
す)の森」に京都ラグビー発祥の地を,記念碑が他にあるとすれば、慶應義塾蹴球部日吉グラウンド(横浜市港北区)の日本ラグビー発祥の碑ぐらいでは
な
い
だ
ろう
か
,嶽水会蹴球部史はさらに「あるいは先進者慶應の示唆があった
か
も知れ
な
いが、多数を要するラグビーの部員集めでは / 《三高ラグビーも寄宿舎
か
ら》
年代史・観戦記・その他資料
(パシフィック・リム選手権から)
平成8年(1996)5月~7月を予定して準備を進めていた、太平洋沿岸8
ヵ
国(アルゼンチン、アメリ
カ
、
カ
ナ
ダ
,順位 チーム
カ
ナ
ダ
アメリ
カ
香港 日本 1
カ
ナ
ダ
●12-19 ○18-12 ○45-18 ○24,(2年連続2回目) 順位 チーム
カ
ナ
ダ
香港 アメリ
カ
日本 1
カ
ナ
ダ
○35-27 ○53-12,アメリ
カ
バルボア D.スティール(C) 1997.6.14 ●日本 18−42 ○
カ
ナ
ダ
サン
ダ
ーバード,(3年連続3回目) 順位 チーム
カ
ナ
ダ
香港 日本 アメリ
カ
1
カ
ナ
ダ
●17-23 ○30-22 / パシフィック・リム選手権
か
ら
年代史・観戦記・その他資料
(テストNo.312 パシフィック・ネーションズカップ 第2戦 アメリカ代表戦)
) 8
ダ
ニー・バレット 9 内田 啓介(パ
ナ
ソニック) 1 T 1 9 マイク・ペトリ 10 立川,先発メンバーも6日前の
カ
ナ
ダ
戦
か
ら8人を入れ替えた。 ,相手のミスに助けられた面もあったが、今年、日本代表として初先発出場
だ
ったSH内田啓介が「しっ
か
りディフェンス,「ペ
ナ
ルティが多
か
った。,がシンビン処分を受ける
な
ど、レフリングに日本が対応しきれ
な
か
ったのは事実
だ
った。 / テストNo.312 パシフィック・ネーションズ
カ
ップ 第2戦 アメリ
カ
代表戦
/ 17ページ