明治32年4月~33年3月(以下同じ)
1シーズン目
慶応義塾でE.B.クラークがケンブリッジ時代の盟友田中銀之助とともに、この年の秋、塾生にラグビーを教えた。これが日本ラグビーの発祥となった。『慶応60年史』P189-208には、明治42年(1909)11月11日博文館より発行された、慶応義塾蹴球部著作になる『ラグビー式フットボール』の一部が紹介されている。そこには「クラークと田中銀之助が慶応にラグビーを伝えたこと」に加え、「慶応義塾の最初の練習場が仙台ケ原」であったことが記されている。「フットボールの老選手が到底忘る可らざるは麻布仙台ケ原也。三田山上の運動場は余りに固くして且つ狭く、フットボールグランドとして全然不適当のものなりき」、「仙台原は現在麻布竹谷町の辺りで只一面の草原であった」(同P104田邊九萬三)とある。