15シーズン目
慶応義塾4回目、6試合の関西遠征を挙行慶応は、正月休みを利用して同大、KRACなどと、9日間で6試合という強行日程による京都・神戸遠征を行った。選手22名(『慶応60年史』P25)と記されている。
T3(1914).1.5 | ○慶応義塾 | 27−0 | ●京都クラブ |
G:京都 | R:不明 | ||
T3(1914).1.6 | ○慶応義塾 | 29−0 | ●京都クラブ |
G:京都 | R:不明 | ||
T3(1914).1.7 | ○慶応義塾 | 46−0 | ●京都一中 |
G:京都 | R:井上 | ||
T3(1914).1.8 | ○慶応義塾 | 8−0 | ●同大 |
G:同大 | R:スペンス | 第2回定期戦 | |
T3(1914).1.10 | ●慶応義塾 | 0−5 | ○KRAC |
G:神戸東遊園地 | R:スペンス | 第6回定期戦 | |
T3(1914).1.11 | ○慶応義塾 | 34−0 | ●神陵クラブ |
G:豊中 | R:スペンス |
三高、部活動休止
「13名という大量の卒業生を送り出したために、部の陣容はにわかに手薄なものになった。これを立て直す努力は払われていたものの思うに任せず、しかも、大正2年1月に予定されていた東征(慶応戦)さえも実現できなくなった“経費不足”は深刻で、部活動として記録に残されたものは見当たらず、対外試合もなかったようである」(『三高蹴球部史』P46)。三高は2休止のあと、大正4年度から活動を再開した。
同志社大学が東上
同大が東上し、YCACに0−17と完敗したが、慶応に0−3と善戦して気を吐いた。