昭和39年(1964)3月22日 第1回日本選手権決勝

花園ラグビー場

同大 18-3 近鉄

同大、FWが健闘して初の日本

昭和38年(1963)度 第1回日本選手権
1964年3月22日 G:花園ラグビー場 R:宮崎俊行 KO
同大 18 3 近畿日本鉄道
1 松岡 克己(④西陵商) 5 0 1 川崎 守央(布施工)
2 平澤  裕(③鴨沂高) 13 3 2 蓬田 和志(天理高)
3 住友 基之(③桃山学院) 3 舟木 一夫(天理高)
4 岡田 正保(④朱雀高) 1 T 0 4 中山  久(成蹊大)
5 松山  均(②山城高) 1 G 0 5 渡辺 修吉(美馬商工)
6 黒田  毅(③同志社高) 0 PG 0 6 佐々木 恭(日大)
C7 石塚 広治(④朱雀高) 0 DG 0 7 畠山(中山)忠(秋田工)
8 藤田 勝三(④同志社香里高) 8 森本  博(関西大)
9 今村 健三(③同志社高) 2 T 1 C9 福田  廣(日大)
10 居島 信二(④洛北高) 2 G 0 10 豊田 次郎(西南学大)
11 坂田 好弘(③洛北高) 1 PG 0 11 伊海田 誠男(日大)
12 俣木 慶治(④桃山学院) 0 DG 0 12 松本 信一(布施工)
13 橋本 武志(③洛北高) 13 長谷川 雄彦(同大)
14 藤川 由武(①同志社高) 10 12 14 田中 伸治(徳島城東高)
15 岸本 博巳(④同志社香里高) 15 神庭 正生(天理高)

 記念すべき第1回日本選手権チャンピオンの座は同大が射止めた。大会は東西学生の覇者と社会人1、2位のトーナメントで行われた。同大は八幡、近鉄を破り文句なしの日本一に輝いた。前半14分、同大がスクラムから⑧藤田が拾って右に開いた⑦[現在のNo8]石塚にパス[現在はスクラムからボールが出るまでNo8が離れられないのでこのプレーは不可]、石塚が前半唯一のトライ(ゴール)をあげた。後半も同大の優勢は動かない。4分SO居島のパントを坂田が取ってトライ、その後PGと岡田のチャージを居島が押さえるトライを加え、近鉄を⑦畠山の1トライに封じて18−3で快勝した。岡仁詩監督はまだ30代。NHK杯優勝に続く日本一の喜びを、『機関誌』Vol.13-6でこう述べている。「(前略)幸運であったというのは、努力なしで得られた幸運ではありません。この大切な二つのゲームに、常に選手が持てる力を十分に出しきったということなのです(後略)」。