昭和50年(1975)度 第13回日本選手権試合 | ||||||
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1976年1月15日 G:国立競技場 R:野々村博 KO 14:30 | ||||||
明大 | 37 | - | 12 | 三菱自工京都 | ||
1 | 千種 昌之(④秋田工) | 23 | 前 | 9 | C1 | 高橋 鉄次(岐阜工) |
C2 | 笹田 学(④盛岡工) | 14 | 後 | 3 | 2 | 小川 正敏(羽咋工) |
3 | 森内 芳隆(④長崎商) | 3 | 仲山 健(新潟工) | |||
4 | 西妻 多喜男(④福岡高) | 3 | T | 1 | 4 | 田中 巧(中大) |
5 | 由佐 研一(④長崎南山高) | 1 | G | 1 | 5 | 水口 忠久(報徳学園) |
6 | 阿刀 裕嗣(④福岡高) | 3 | PG | 1 | 6 | 鍛冶 秀明(中大) |
7 | 中村 喜一(④仙台三高) | 0 | DG | 0 | 7 | 宮村 雄一郎(成城工) |
8 | 熊谷 直志(③黒沢尻工) | 8 | 松岡 智(美馬商工) | |||
9 | 津山 武雄(④広島工) | 3 | T | 0 | 9 | 乾 敏男(御所工) |
10 | 松尾 雄治(④目黒高) | 1 | G | 0 | 10 | 三木 孝文(貞光工) |
11 | 井川 芳行(③旭川工) | 0 | PG | 1 | 11 | 山中 幹夫(上野高) |
12 | 大山 文雄(③報徳学園) | 0 | DG | 0 | 12 | 橋本 光夫(新潟工) |
13 | 福本 努(③新田高) | 13 | 豊田 淳治(中大) | |||
14 | 山本 勉(③北見北斗高) | 17 | 反 | 10 | 14 | 松家 徳男(貞光工) |
15 | 松尾 雄吾(③目黒高) | 15 | 伊倉 博史(北九州高専) | |||
交代【三】杉山洋一(盛岡工)⑫ | ||||||
明大は笹田学主将がチームをまとめ、SO松尾雄治副将がゲームをリードする理想的なチームに仕上がっていた。試合は三菱がキックアンドラッシュでトライ(ゴール)を奪い先行した。明大は7分と16分に松尾兄(雄治)が難しいPGを決めて同点に追いつく。20分にオープンに回し、松尾兄がライン参加のFB松尾弟(雄吾)を飛ばしてWTB山本勉にパスしてトライ、23分には三菱のミスから再び山本、38分にはゴール前ラインアウトから左WTB井川が飛び込んでトライ(ゴール)で23−9と主導権を握った。後半もまったく明大ペースは衰えない。CTB大山の60メートルノーホイッスルトライなど3トライをあげ、三菱を1PGに抑え、日本選手権で大学チームが勝利した最高得点、最多得失点差の記録付きで37−12と完勝した。明大全盛期の会心の勝利としてベストゲームに選んだ。
『ラグビーマガジン』Vol.27から藤島勇一記者の試合評を紹介しよう。藤島氏を知る人も少なくなっているだろうが、私の一年先輩(昭和31年度早大主将、昭和42年度早大監督、共同通信)で、名CTB、FB、私が最も敬愛する親友だった。現在スポーツライターとして活躍している藤島大の親父である。
「日本選手権の明大は、早明戦のような重苦しい雰囲気がなく、実に伸び伸びと動いた。持てる力を存分に発揮した。ミスは立ち上がりに一つか二つ見られただけで、あとはほとんどノーミスといってよかった。この試合で強く印象づけられたのは、明大はバランスの取れたチームということだ。FWは強烈な押しと突進力を随所で見せたが、それも強引に過ぎず、実にいいタイミングでバックスにボールを回した。バックスもディフェンスの動きを良く見て、アナを徹底的についた。スクラムハーフ津山のパスのタイミングが良く、SO松尾兄の動きを助けた。松尾兄の動きは圧巻だった。ボールを受けたとき、常に余裕があり、それがプレーに幅を持たせた。松尾兄はマークだけでなく、ディフェンスライン全体の足並みを乱した。乱した後のパスもよかった。あのパスなら、いくらマークと接近していても取れるし、走れる。天才的な読みとパスのタイミングだった。もうひとつ、今シーズンの明大で特筆しなければならないのは、タックルが良かったことだ。全員のタックルが昨シーズンまでとは見違えるようによくなっていた。常に一歩、二歩と踏み込んでタックルしていた。だから確実に決まる。バックアップする選手もコースが取りやすい。明大は今シーズン、まともな相手の攻撃は、全部止めているのではないだろうか。明大の日本一は、このタックルの良さ、ディフェンスの確実さが原動力となって獲得したといっていい」。