昭和48年(1973)1月6日 昭和47年(1972)度 第9回大学選手権決勝

秩父宮ラグビー場

明大 13-12 早大

連勝ワセダ「35」でストップ

昭和47年(1972)度 第9回大学選手権決勝
1973年1月6日 G:秩父宮ラグビー場 R:池田正徳 KO 14:30
明大 13 12 早大
1 笹田  学(①盛岡工) 3 9 1 田原 洋公(④福岡城南高)
C2 高田  司(④秋田工) 10 3 2 浜野 政宏(③早実高)
3 畦田 広道(④秋田工) 3 奥田 泰三(③洛北高)
4 中山 勝文(④目黒高) 0 T 1 4 中村 賢治(③岡崎高)
5 西妻 多喜男(①福岡高) 0 G 1 5 星  忠義(④早実高)
6 吉田 純司(④福岡高) 1 PG 1 6 神山 郁雄(③宇都宮高)
7 田口 長二(③金足農) 0 DG 0 7 石塚 武生(②久我山高)
8 境  政義(③中川商) 8 佐藤 和吉(①久我山高)
9 松尾 雄治(①目黒高) 1 T 0 C9 宿澤 広朗(④熊谷高)
10 渡辺 千里(④函館西高) 0 G 0 10 中村 康司(④函館北高)
11 渡辺 貫一郎(③福岡高) 2 PG 1 11 金指 敦彦(③下田北高)
12 小松  明(④目黒高) 0 DG 0 12 畠本 裕士(①大分舞鶴高)
13 柴田 精三(④長崎西高) 13 水上  茂(①日川高)
14 横山 教慶(③天理高) 7 16 14 堀口  孝(③早大学院)
15 中川 裕文(②日田高) 15 植山 信幸(③報徳学園)

明大、悲願なる」「劇的逆転で王座に」「終了寸前、渡辺貫飛込む」この見出しで、ああ、あの試合かと思い出される人も多いだろう。

 試合は早大ペースで進んだ。前半3分松尾のPGで明大が先行したものの、8分に中村康がPGを返して同点。28分に明大ゴール前のスクラムからNo8佐藤がサイドを攻めて堀口がトライ、ゴールも決まる。後半の3分にも早大中村康がPGを決めて12−3と徐々にリードを広げた。だがこの日の明大の食い下がりは鋭く、13分と17分にスクラムからのサイド攻撃でつかんだチャンスを、ともにPGを成功させて12−9と追いすがって最後の逆転ドラマへとつなげていった。

「残り時間10分、1トライ逆転を狙う明治の攻めはまさに怒濤であった。ラックを連続して取り、パス攻撃をたたみかける。必死に防ぐ早稲田。“いけいけ”と明治のファン。“タックルだ”と早稲田のファン。スタンドもグラウンドも一つになってのつばぜり合い。そして時計の針がノーサイド2分前を指したとき、ラックから好球が明治に出た。SH松尾がうまく早稲田の守りの崩れを誘って、左WTB渡辺貫へ好パス。渡辺が一気にゴールラインぎりぎりのところで倒れこんだ。喜びのあまり明治側のタッチジャッジが万歳したため、レフリーはタッチインゴールの外に足をふみ出したかと思い、タッチジャッジに確かめてからトライを宣して右手を高々と上げた。その間の一瞬の静寂からの歓声と嘆声、それはあまりにも厳しい勝負の分かれ目であった」(毎日、池口康雄)。

「タッチに出た」と悔しがる選手を「早大生らしく、最後まで堂々としていろ」と叱った宿沢のキャプテンシーが見事であった。明治に積年の恨みを一気に晴らされた早稲田は、3連覇の夢も公式戦の連勝記録も失うことになったが、早明を中心としたラグビーフィーバーはさらに燃え上がることになった。

 このシーズン後に2度目の監督を命じられた私は、部員たちにこう話した。「早大はあの試合でディフェンスの役割分担を決めていた。『ラインアウトの2線防御はSOの中村康、ラック・モールの遠いほうのサイドは宿沢、ゴール前では詰めずに我慢してサイドを宿沢とFWに任せてマーク・マーク』がその骨子であった。最後のプレーでは、明治のラインアウトからのFB参加に中村が一歩遅れたのがピンチを広げ、次のラックサイドも宿沢が間に合わなかった。そして堀口が松尾に釣られて渡辺を倒せなかった。2年連続日本一を達成した中心選手たちでも、決められた自分の役割を全うするのがいかに難しいかということを、この試合から学び、彼らの悔しさを晴らすために、目的を持って練習に取り組んでくれ」(『早大ラグビー史の研究』P307)。