昭和57年(1982)1月4日 昭和56年(1981)度 第18回大学選手権決勝

国立競技場

明大 21-12 早大

怒濤の大逆転 健闘ワセダ後半力尽く

昭和56年(1981)度 第18回大学選手権決勝
1982年1月4日 G:国立競技場 R:八木宏器 KO 14:00
明大 21 12 早大
1 梨本 清隆(④新潟商) 6 12 1 伊藤 秀昭(④石神井高)
2 佐藤 康信(①秋田市立高) 15 0 2 佐伯 誠司(④崇徳高)
3 井上 賢和(④久我山高) 3 松瀬  学(③修猷館高)
4 相沢 雅晴(④久我山高) 1 T 1 4 杉崎 克巳(③松原高)
C5 川地 光二(④熊本工) 1 G 1 C5 寺林  努(④早大学院)
6 岸  直彦(③久我山高) 0 PG 2 6 梶原 敏補(④日田高)
7 遠藤 敬治(④松山西高) 0 DG 0 7 渡辺  隆(④安達高)
8 河瀬 泰治(④大工大高) 8 土屋 謙太郎(②久我山高)
9 窪田  穣(④目黒高) 2 T 0 9 佐々木 卓(④早大学院)
10 若狭 平和(②秋田市立高) 2 G 0 10 本城 和彦(③久我山高)
11 長谷川 浩(④名古屋学院) 1 PG 0 11 濱本 哲治(②大分舞鶴高)
12 工藤 浩明(②大分舞鶴高) 0 DG 0 12 佐々木 薫(③久我山高)
13 小林 日出夫(②目黒高) 13 吉野 俊郎(③日立一高)
14 新出 康史(①秋田高) 9 12 14 野本 直揮(④早大学院)
15 籾山  裕(①目黒高) 15 安田 真人(②早大学院)

“大西魔術”ともてはやされた早明戦を制した早大が、正月の再決戦に敗れた。早大は18分に本城がPGを決めて先行。32分明大オープン攻撃のミスボールを、本城が拾い50メートルを走りきって中央にトライ(ゴール)。35分にも本城がPGを決めて12−0とリードを広げる。

 しかし明大の歴史と伝統はこれを覆した。早大がこのまま12点のリードを守りきって前半を終われば結果は違っていただろう。前半40分、早大ゴール前に攻め込んだ明大は、スクラムトライを執拗に狙ってきた。必死に堪える早大。5度目のスクラムがつぶれたとき、八木レフリーが笛を吹いてゴールポスト中央を指さした。ペナルティトライである。試合の流れを明大がグッと引き戻した。若狭がゴールを決めて早大12−6明大で前半を終了。

 後半11分には、再び早大ゴール前のスクラムから、明大早大ボールをグッと押しきって取り、No8河瀬がサイドを強引に突破して右中間にトライ、若狭がゴールを決めて12−12の同点に追いつく。明大は25分にも早大ボールのスクラムを押してミスを誘い、遠藤が飛び込んでトライ(若狭ゴール)、明大18−12早大とついに逆転した。33分に若狭がPGを決めた明大は、3つのスクラム勝負に勝ち逆転優勝を遂げた。

 サンスポには“80歳、北島監督満願スマイル”と題して「前半は向こう(早大)のエンジンのかかりが早かっただけで、うちとしてはあんなもの。まあ、そのうちやってくれると思っていたよ。(中略)孫たちがプレゼントしてくれた大学日本一。次は日本選手権が待つ。『相手は釜石かな。あそこにはウチの生意気なOB二人(森、松尾)がいるからな』。そういった“日本一のオジイちゃん”はしあわせそのものだった」(サンスポ、今村忠)。敵将、忠治親分のタバコを燻(くゆ)らした横顔が懐かしい。

 私はこの試合に特別な思い出を残している。大西監督をサポートしてヘッドコーチを務めていた私は、明大がゴール前のスクラムからはスクラムトライを狙い、No8河瀬がサイドを突破してくることを予期していた。新人でFBのレギュラーをつかんだ安田真人に、ゴール前ではスクラムサイドを固めるように命じた。安田は「オープンに回されたとき、相手FB籾山に届かない」と心配したが、ゴール前で明大がオープンへ回す確率の低さを示し、たとえ回されても、明大ラインが深いためディフェンスに間に合うことを、反復練習して安田を納得させた。

 後半11分、その局面がやってきた。安田はスクラムサイドを固めて河瀬に備えた。「来た!」。しかし安田のタックルは、河瀬に浴びせ倒されて同点に追いつかれた。