昭和26年(1951)1月5日 瑞穂ラグビー場
八幡時代の幕開け
昭和25年(1950)度 第3回社会人大会決勝 | ||||||
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1951年1月5日 G:瑞穂ラグビー場 R:小林忠郎 KO 13:35 | ||||||
八幡製鉄 | 32 | - | 0 | トヨタ自工 | ||
1 | 守田 貞義(九大) | 8 | 前 | 0 | 1 | 勝 俊二(トヨタ工科) |
2 | 小峰 義隆(鞍山中) | 24 | 後 | 0 | 2 | 近藤 鎌敏(トヨタ工科) |
C3 | 村上 勲(豊津中) | 3 | 田村 秀世(東大) | |||
4 | 川崎 正忠(鹿児島二中) | 2 | T | 0 | 4 | 野沢 弘(横浜大) |
5 | 森広 末之(熊本工) | 1 | G | 0 | 5 | 福本 昭和(トヨタ工科) |
6 | 高倉 泰三(早大) | 0 | PG | 0 | 6 | 永野 美文(松坂工) |
7 | 小澤 宗太郎(早大) | 0 | DG | 0 | 7 | 佐々木 真平(秋田工) |
8 | 園田 実(常盤中) | 8 | 村井 長二郎(秋田工) | |||
9 | 政近 浩(八幡中) | 6 | T | 0 | 9 | 佐藤 元雄(トヨタ工科) |
10 | 宇野 正一(熊本語専) | 3 | G | 0 | 10 | 小濱 幸之助(秋田工) |
11 | 中村 安彦(熊本語専) | 0 | PG | 0 | 11 | 飯田 順雄(萩高) |
12 | 岩城 睦二(早大) | 0 | DG | 0 | 12 | 伊藤 明(聖橋工) |
13 | 芳野 規(松山高専) | 13 | 秋本 正太郎(京城商) | |||
14 | 延武 三郎(東筑中) | 9 | 反 | 10 | C14 | 森 正一(慶大) |
15 | 野見山 可邦(明大) | 15 | 岩崎(朝倉)巽(松坂工) | |||
八幡製鉄が社会人の覇者になったのは第3回大会であった。このあと黄金時代に入り、八幡がラグビーの代名詞といわれる時代を迎える。早明の名選手が中心となった八幡は、縦横果敢なオープンプレーを展開しラグビーの人気を広めていく。この年はまだ発展途上で準決勝では神戸製鋼に6−3で辛勝している。決勝では前半はトヨタの健闘に苦しんだが、後半は6トライ3ゴールと攻めまくり、32−0で快勝した。平成の時代まで迷惑クラブ[九州の40歳以上のチーム]の最年長プレーヤーとして活躍した守田貞義さんがプロップ。小澤、高倉、岩城の早大勢、野見山の明大勢が主力で、九州の名門高校出の選手を育てた。後の新日鉄釜石によく似た強力チームであった。この大会に出場した神鋼、トヨタ、近鉄が、いまもトップリーグの主力チームとしてラグビーの発展に貢献しているのは素晴らしいことである。