昭和57年(1982)11月27日 ジャラン競技場
アジア大会8連覇ならず、韓国初優勝
No.202★77 第8回アジア大会(シンガポール)決勝 | ||||||
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1982年11月27日 G:シンガポール R:不明KO 17:00 | ||||||
日本代表 | 9 | - | 12 | 韓国代表 | ||
1 | 石山 次郎(釜石) | 9 | 前 | 3 | 1 | Oh Kwang Jin |
2 | 井上 雅浩(サントリー) | 0 | 後 | 9 | 2 | Sim Han Sik |
3 | 洞口 孝治(釜石) | 3 | Kim Ho Dae | |||
4 | 林 敏之(神鋼) | 1 | T | 0 | 4 | Jin Heung Nam |
5 | 千田 美智仁(釜石) | 1 | G | 0 | 5 | Bae Youn Min |
6 | 伊藤 隆(リコー) | 1 | PG | 1 | 6 | Baik Sun Yoon |
C7 | 石塚 武生(リコー) | 0 | DG | 0 | 7 | Jung Hyung Sak |
8 | 瀬下 和夫(秋田市役所) | 8 | Ell Ku Bong (or Park Gi Hang) | |||
9 | 小西 義光(サントリー) | 0 | T | 0 | 9 | Han Dong Ho (or Yoo Jae Pil) |
10 | 森岡 公隆(三菱長崎) | 0 | G | 0 | 10 | Moon Young Chan |
11 | 氏野 博隆(東京三洋) | 0 | PG | 2 | 11 | Song No Il |
12 | 狩野 均(東京三洋) | 0 | DG | 1 | 12 | Song Youn Ho |
13 | 南川 洋一郎(八幡) | 13 | Yoo Yong Sub | |||
14 | 辻 悦朗(トヨタ) | 22 | 反 | 13 | 14 | Han Sung Man |
15 | 田中 伸典(天理大OB) | 15 | Myong Bo Kwon | |||
交代【日】渡辺登(横河電機)⑭ [9-9の同点で大会規定により延長戦が行なわれ、韓国がDGで決勝点をあげた] | ||||||
得点:T狩野、G田中、PG田中 |
大会規定による延長戦で、韓国にDGを決められてアジアの王座を失った日本。小林忠郎団長は役員の責任だと『機関誌』Vol.32-4号に報告している。「試合内容は完敗であった。実に惨めな敗北であった。完全な、総力を上げたディフェンス体制で日本に対した韓国は、勝つというより点を取られない作戦だったと思われる。従ってタックルは一発で決める。日本のミスはことごとくカウンターアタック。韓国の3PG、1DGの原因は、日本のバックラインのサインプレーのパスミス、キャッチングミスをついたものである。FWがあれだけ勝っていながら、スクラムからの球出しのタイミングが悪く、又ラインアウトでは1度も速い攻撃がなかった。(中略)団長、監督、主将の失敗である。選手諸君の中には戦いながら、作戦の転換ができないことに疑問を持ち、又いらいらしたことだろう(後略)」。強化委員長の任にありながら監督を山本巌に任せ、遠征に不参加だった私の責任も重大であった。