解題・説明
|
椎谷(しいや)藩は、堀(ほり)氏一万石の小藩で元和2年(1616)から明治4年(1871)の廃藩にいたる約250年間、15代にわたり信州飛地など変遷はあるが、刈羽郡北部と三島郡の一部を統治した。初代堀式部少輔直之(なおゆき)(監物直政(なおまさ)の五男)は、はじめ妙法寺村(現・柏崎市西山町)超願(ちょうがん)寺を仮陣屋としたが、6年後に椎谷に陣屋を移したと寺伝にいう。4代直宥(なおさだ)が元禄年間椎谷の唐箕(とうみ)前に新築し、また5代直央(なおなか)は正徳5年(1715)、現在の椎谷の打越(うちこし)に陣屋を造営した。以来幕末に至ったが、慶応4年5月(1868・9月に改元)戊辰の役の兵火で全焼した。今日、陣屋跡一帯は「お屋敷」と呼ばれ、建物等は残らないが、藩主邸・勤番(きんばん)所・馬場・砲術稽古(けいこ)場・井戸・土塁・門などの地名が残っていて、江戸時代の陣屋の姿を偲ぶことができる。
|