解題・説明
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日蓮宗妙行寺(みょうぎょうじ)(西本町1丁目)に属し、文永11年(1274)佐渡赦免(しゃめん)の上陸の折、日蓮上人が三十番神を勧請(かんじょう)(神や仏の霊を移して祭ること)したと伝えられる。明治4年10月の下宿(しもじゅく)(今の番神町)大火で類焼、同6年から再建に着手し、明治10年(1877)4月17日竣工した。民謡の三階節に「番神堂がよく出来た…新町宗吉(そうきち) 大手柄」とあるのは、このこと。権現造(ごんげんづくり)(本殿と拝殿との間に「石の間(相の間)」を設けるのが特徴)で、棟梁には柏崎町の4代目・篠田宗吉(そのだそうきち)、石工は小林群鳳(ぐんぽう)、彫刻は出雲崎の原篤三郎・脇野町の池山甚太郎・直江津の彫富(ちょうとみ)、飾り金具は大久保の歌代(うたしろ)佐次兵衛の鋳造である。平成19年中越沖地震で被災したが、修復された。
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