解題・説明
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真珠院第22世秀快(しゅうかい)上人は、享保2年(1717)刈羽郡藤井(ふじい)村(現・柏崎市藤井)の竹田家の長男として生まれ、9歳にして刈羽郡長鳥村の真珠院(真言宗)第20世秀清上人の弟子となり、名を秀快(しゅうかい)と改めた。享保17年(1732)豊山派総本山長谷寺に留学して大学僧に就任するなど精励に努め、宝暦5年(1755)に帰村して真珠院第22世住職となった。50歳にして深く入定を決意し、穀を断って修業すること10年後の安永9年(1780)3月に、同院裏山の堂宇内石室に入り、真言を唱え五鈷杵(ごこしょ)をかざし、鈴を打ち鳴らし続け、ついに3月21日に入定した。年は62歳であった。入定堂は、安永8年に建立、堂宇拝殿の格天井(ごうてんじょう)の絵は、岡野町の画家村山致道(ちどう)の作であり、また同じく梵字は乙宝寺の瑜伽僧正(ゆがそうじょう)の書である。平成19年中越沖地震で被災したが、修復された。
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